カテゴリ:言葉( 72 )

主人がお世話になっています

たまに覗くタイ語関係のHPに「主人がお世話になっています、を会社の上司に言う時のタイ語は?」という質問があった。この質問を発見してから、たまに覗くは、毎日楽しみに覗くに発展したのだが、なかなか返事の書き込みがない。幸い友人には語学の達者な人が多いから、リサーチしてみた。まずはイギリス在住経験者の弁を要約すると。日本人は会った時に、たとえ1年ぶりでも過去の出来事を持ち出して挨拶するが、イギリス人はそれはしない。が、会話の中で知ったことに相応しい言葉を最後に言う。例えば旅に出る人にはそれなりの挨拶。つまり過去ではなくて未来に向かって話す。どうやら時間の軸が異なるようだ。となると、冒頭のフレーズはどの時点を表現しているのか不明でそのまま訳すことはできない。

次にアメリカ在住経験者。まず「主人」をそのまま訳したらとんでもないことになる。次に「お世話になっている」とは具体的にどういう意味か。結論は翻訳不能。同じことを感じていたのは私だけではなかったのだ。が、日本人としては、つい聞いてみたい質問であることも分かる。私自身「よろしくお願いします、ってタイ語で何?」と尋ねた経験があるくらいだし。さて、もう回答はないのかと諦めた頃に、なんと書き込みがあった。要約すると、タイ人にはこういう感覚はないので、感謝の意味を伝える他の表現を探した方がいい、ということ。タイに暮らしていたらこういう感覚は確かになくなる。日本の常識も、離れてみると意味不明。これはもう単に挨拶と捉えるか、文脈に即した意味をくんで意訳するか、だろうな。でも、その前に、夫の事に妻がここでなぜ触れるかが不思議なのだ。これはウチとソトの感覚がなせる業なのだろうか。興味深い文化だ。
by kienlen | 2006-08-09 23:37 | 言葉 | Comments(0)

母語を外国人に教える難しさ

午前中ちょっとした仕事でちょっと外出。お昼に帰宅すると郵便物がいくつか届いている。仕事した分の口座振込み明細、電話の引き落としのお知らせその他いろいろ。入っては出るという経済活動を細々とまじめに行っている微小な自分が郵便受けの中に棲んでいる、という猛暑の中の幻覚か。その中に振込み用紙同封の請求書があった。日本語講師養成講座の通信教育の1年間延長代金9000円。じきに期限が切れる、暇な毎日だから必死で課題を提出したら終わらせることができるかもしれない、しかしやる気がでない、でも途中で挫折したのでは無意味で無駄、と逡巡しているところに「もったいないですから9000円で1年間延長しませんか」との勧誘電話があり、その対応が悪くなかったこともあって、延長することにした。なかなかニクイ額の提示である。さすがはこの道の大手。せいぜい来年の今頃、さらに9000円の無駄を上乗せしたことを後悔しないようにがんばろう。

でも我ながら自信はない。机上の勉強が嫌いなわけではないし、将来外国に住む時に日本語教師の資格を活かせる可能性があるかもしれないから、という具体的な動機もあるし、勉強時間もあるはずなのに、なんで挫折するのか。第一、通信講座では過去に何度も挫折しているから、今回は覚悟して始めたはずなのだが、なさけない。しかし、自分が苦労して身につけたわけでない母語を外国人に教えるというのは、多分相当に難しいことなのだ。ちょうど、自分が作った造形物なら構造が分かっているから仕組みを説明できるが、誰かが作ったものを分解してからいちいち吟味して理解するのが難しいのと同じことなのだろう。タイ語の表現でも同義語の適切さが分からない時など夫に聞く。答えは「どっちでもいい」がほとんど。当方はその先の微妙なニュアンスの違いが知りたいのだが、これを専門家でもない人に答えろというのが無理なのだ、ということは、日本語教師養成講座を受講してみて、つくずく分かった成果。これだけの事を知るだけなら高すぎるから、なんとかがんばる。
by kienlen | 2006-08-04 13:42 | 言葉 | Comments(0)

とっても恋しい、という日本語とタイ語

お気に入りに登録してある項目をおおざっぱに分類すると、時刻表や郵便番号などの、いわばハウツー、それから他人のブログ少々、それから市や県や入管など公的機関の公式ページ、それから本の検索関係、そしてタイ語の関係で、これは誰かが質問して誰かが答える、という形式が複数ある。そのうちのひとつを見ていたら、こういう質問があった。「キトゥン・ジャンは日本語で何ですか?(原文はタイ語)」。これだけの情報に対して、一体何と答えているのだろうかと興味深深で開けてみたら、こうなっていた。「とっても恋しい。すごく想ってます」。ふーーーむ。日本語としては正しいが、これを言うかい?手書きで切手を貼って出すレトロなラブレターならあるかも。「私はあなたがとっても恋しい、すごく想ってます」と。しかし、タイ語のこれはごく普通の日常会話用語。

電話を取ったら久々の友人で「お久しぶり、どうしてるのー」みたいな時に「なつかしいね」「会いたいね」というニュアンスで使ったり、電話じゃなくて、バッタリ会った時にも「キトゥン・ジャン・ルーイ(ルーイは強調的)」と言う。性別年齢関係ない、ということを知らなかった時は、私も教科書的に「恋しい」と理解していたので、ムムムと思ったが、何のことはない、生活用品のように気軽な言葉なのだ。私にとって不思議なのは、この種の回答者。言葉なんて、文脈で意味が変わってくる。それをあたかもひとつの定義があるかのように書き込む。「恋しい」「想ってます」と覚えたタイ人が、タイ語の「キトゥン・ジャン」の場面で「恋しいです」と言ったら、と想像すると、誤解されて結婚なんてことにならないでね、と余計なお節介をしたくなる。そういえば日本語だと気軽に、慕う親しい気持ちを表す言葉が思いつかない。こういう言語環境で育って、それでパーク・ワーン(口・甘い=甘言)に乗って行き過ぎになった日本人も少なくないようだ。それも楽しいだろうが。
by kienlen | 2006-07-27 01:30 | 言葉 | Comments(0)

通訳って何だろう

3日連続遠出の最終日。今日は仕事ではなくて「災害通訳ボランティア養成講座」に参加のため。主催は県の国際チーム。義務でもないし交通費もかかるし時間もかかるし、それに今までの経験からして、この手の講座で面白いことはあまりないから、挫折してしまおうかとも思ったが、申し込んだものをサボるのも気持ちが落ち着かないのでがんばって行く。講演会があってワークショップという、ありがちな進行。でも、ありがちでなかったのは、講演がとても面白かったことだ。阪神淡路大震災で、外国人向けの多言語情報提供をしたことをきっかけに誕生した「多文化共生センター」の現在理事、もともとは代表だった田村太郎さんの講演。現在、やたらに使用されている感のある「多文化共生」という表現は、どうやらここが発祥らしい。自身の経験を、その上の次元で普遍化させ、両者を行き来しながら話してくれる。こういう話こそ講演で聞きたいという内容のものだった。

私が面白いと思ったのは、ここで使われる「通訳」という言葉である。通常、通訳という場合、相手が話したことを別の言語にしてもう一方に伝える役割のことだろうと思うが、今日の話は、災害時に言葉が分かっても混乱するのに、情報を理解することも難しい外国人では一層だから、その相談にのるため、という設定におけるものである。だから誰かが言った内容を伝達するのではなくて、自己判断が強く求められる。私も経験があるが、通訳と言われて行くと、とんでもなくて、当方にお任せ状態。というのは、相手に関する知識がないと、何を聞けばいいのかさえ分からないし、遠慮もある(もちろんケースバイケース)。私自身はどうでもよくて、通訳と言われたらするし、お任せされたらそれなりの対応をする。ただ、困るのは、お任せを通訳と思っている人が結構いるということ。以前の事になるが、通訳という役割で依頼され、自分で余計な口は挟めない類の時、言葉足らずだな、と思ってもそのまま伝える。すると、理解がしにくいらしく、付き添いの日本人が気をきかせて同国人に電話してアドバイスをもらったという。これはこれで問題ないが、その事をもって「通訳し直してもらいました」と言った時には驚いた。これは別問題であろう。通訳とは何かは、いろいろあるらしい。が、自分がどう理解しているかは自覚すべきだと思う。多文化共生って、そう簡単ではないと思うことが常である。
by kienlen | 2006-07-23 23:55 | 言葉 | Comments(0)

それ、いくらですか?

NHKのラジオ・ジャパンのタイ語放送をインターネットで聴けることを、遅ればせながらつい最近になって知った。早速アクセスしてみる。日本のニュースのタイ語版もあるが、企画物もあって、日本で暮らすようになったタイ人が日本の印象を語り合うなんてのもあったし、タイ人向けに日本語の学習コーナーもあった。たまたま私が聴いたのは、こういうシーンを想定したもの。タイ人男性が八百屋らしき店に行くと、店員が「このトマト、小さいけど甘いよ」と誘う。ここで「トマト」「小さい」「けど」「甘いよ」などの単語解説。でもこの会話の一番の狙いは「いくらですか?」を覚えることなのだ。店員の口上に誘われてタイ人男性は「それ、いくらですか」と尋ねる。それは60円で、彼はふたつ買う。重要単語としてひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…を復唱させる。

ウチの近所にも八百屋はあるが、皿盛の野菜にも果物にも価格が表示されている。多分そうでない店もあるのだろうが、表示されている方が日本では一般的ではないだろうか。例えば私が外国人に当面のサバイバルの日本語を教えようとなったら「それ、いくらですか」のフレーズの順番までには時間がかかるに違いない。このラジオの日本語学習をタイを知らない人が聞いたらヘンに感じる可能性もあるな、と思った。が、タイで暮らすとなると「それ、いくらですか」は真っ先に覚えるべきタイ語である。デパートやスーパーは別にして、日常の買い物をするなら、これを知らなければどうにもならない。それで、タイ語学習の場合は「えー、高すぎる、まけて下さい」「いくらならいい?」「50バーツ」「じゃあ、中間をとって80バーツにしよう」ってな具合に続く。さすがにNHKラジオはここまでいかない(ここまでやったら面白いぞ)。ちなみにタイ語の「いくらですか?」はタオライと言うが、これはまず通じる。でも、先方の答えを理解できるようになるには、かなりの日数を要するのだ。発してみるは易し、理解は難しが、私のタイ語学習の感想。
by kienlen | 2006-07-20 12:34 | 言葉 | Comments(0)

ボーナスシーズンの確執めいた雰囲気

ほんのちょっとした在宅ワークをやった。来週はギリギリなんとかなる程度の仕事があるだけで、その次からの予定が皆無。こんな繰り返しだ。もうやっていけないと考えると胸が痛くなる。世間はボーナスの話題。そういうものと無縁になって久しい。とはいえ、そもそもたくさんもらった経験がないので、あの頃は良かったという思い出もない。今は、雇用の形態が多様化しているので、査定だけではなくて雇用形態によるボーナスの差もあるようで、同じ会社に勤務する人同士が、多寡のさぐりあいみたいな応酬をしていたり、不満たらたらなのを見ると、もういっそ、そんな世界から足を洗ったら、少なくともそういうイライラからは開放されるよ、と言いたくなったりする(もちろん冗談です)。仕事に関する話題というのは、友人達との話の中で圧倒的に多い。それも、女+若くない+何でも言うなりになるような従順さなし+専門職ではない、という悪条件を背負った人がほとんどだからで、悪い方の話題に事欠かない。

偶然道端で知人に会って「結局あの会社、辞めちゃった。やっぱりやってられない。何かあったら紹介して」と言われることは結構ある。このところ連続でそういう人に会った。自転車を止めて立ち話。それで、ハローワークでいつも募集しているような所って、結局いい所ないよ、ってな話になる。どうも聞いていると、それなりに歴史がある会社だと、雇用形態の多様化が可能にになったために、有利な方法で雇ってみるものの、そういう事態に慣れていないのでマネージメントできないような印象を受ける。そういえば私も、大手企業の現地支局に、前例のない形態で雇われたことがあったが、それを承知して使い方の分かる上司がいる間はいいが、そうでなくなった時に居場所がなくなる感じがしてすぐに辞めた。従来の土壌の中に従来の土壌では育たないタネをまいているような、そんな感じ。となると、今のところは、従来の中にはまり込む道を探して淡々とやり過ごすか、従来というものがない新業種が良さそうに思われる。
by kienlen | 2006-07-15 20:58 | 言葉 | Comments(1)

そういえばタイ語で「当番」は?

映画を観た後に夫の店に行った。常連の日本人とタイ人女性カップルがジョニ黒を飲んでいて、母親がタイ人という若い女性がいて、その横では、娘同士が同学年同クラスのタイ人の母親がビールを飲んでいた。ランチタイムなのにカウンターには酒類がたくさん並んでいる。つられて私もビールを飲み、つまみにぴったりの極辛のヤム・パカチェを頼んだ。唐辛子がゴロゴロ入っていて汗と元気がでた。日本人の夫との間に3人の子がいて全員、娘と同じ小学校在学中で、その内の1人はずっと娘と同クラスのKさんとは、昨年のPTA役員が一緒だった。私が学級会長で彼女が副。「仕事は休み?」と聞いたら「こんな天気の時は休み」と言う。いまにも降りそうな空模様。建築現場の仕事をしているのを「恥ずかしい」と言って、周囲から「何が恥ずかしいんだ」と言われていた。

小学3年の息子が少年野球を始めたということで、「月に1回、お茶当番がある」「この間は、練習の後にバーベキュー大会があって、タイ風のタレを作って持っていったら、子供達が喜んで食べた」などと話している。会話の中で「トーバン」だけ日本語を使った。考えてみたら私は「当番」というタイ語を知らないではないか。日本では生活の中でよく使うのに、タイでは気付かぬうちにきた、という単語としては「反省」というのもあるが、当番も、外国人が日本にいたら比較的初期に覚えるべき単語と思われる。学校だけでなく、職場によっては掃除当番があるし。ある意味、平等を象徴する言葉といえるのかもしれない。身分に関係なく順繰りに回るのだから。タイの職場では社員の間の掃除当番は聞かない。掃除は学歴がない人の職で、身分制度はないにしても暗黙のうちの壁があり賃金格差も大きい。Kさんが建築現場の仕事を恥ずかしいと言ったのも、タイでは技能とか技術職というよりは、低学歴者の職だから、という含意があってのことだろう。バンコクでタクシーに乗った時に運転手が建築作業現場を指差して「ちゃんと勉強しないとああなるぞ」とまだ小さかった息子に話しかけていたことが忘れられない。日本もそういう方向に向かっているのが気になる。
by kienlen | 2006-06-26 18:53 | 言葉 | Comments(0)

県主催の検討会で旧交を温める

県の国際チーム主催の「多文化共生ネットワーク検討会」というのに行ってきた。隣の隣の市でちょっと仕事があったので昼間180kmほど運転し、一旦帰宅して子供の夕食だけ作って、自転車に乗り換えて検討会へという、最近にしては珍しく行動的な日だった。集まったのは、県と市町村レベルの行政官、教育委員会、学校の教師、法務局など国の機関の人、外国人支援団体の人、個人で外国籍住民と接する人。私は最後尾のカテゴリー。全く期待していなかったが、予想に反して参加した意義を感じた。特に、日本語が分からない子達を相手にする学校の先生達の話が、私自身も少し垣間見ていることもあって、深刻さが分かる。それに、久しく会っていなかった知人がたくさん参加していて、今の自分にはいい刺激になった。いずれも日本人と結婚して子供がいるタイ人、ブラジル人、フィリピン人、中国人。よく知った面々だが、久しぶりに会うと、いろいろな経験を経て成長している、なんて言い方は失礼かもしれないが、なんだかひとまわり逞しくなっているようで嬉しい。社会は変わっている。

トルコで日本語教師をしていたことがある、という中学の先生から声をかけられた。以前に会ったことがあるらしい。記憶力の悪さを呪う。自分の意志で勉強したくてする大学生に日本語を教えるのと、親について日本に来ただけの中学生に教えるのとの違いにとまどっていた。それはそうだ。日常会話に不自由しなくたって、学習言語となると次元が違う。個人差もある。親の姿勢による差異もある。どれがどう影響しているのか、日本の子より判断が難しいという。これは個人の能力レベルなのか、環境に影響されているのか…。立ち話ではどうしようもない話の内容で、近々ゆっくり聞きたいと伝えた。タイ人の場合、出稼ぎに来た母が日本人と結婚して、国に残してきた子を呼び寄せるケースがかなりある。高校で移住した子達の様子を見たことがあるが、外国人のための学校教育のメソッドが確立されていないから、先生も試行錯誤だし、生徒も同じ。学校によっては事実上放置もあるようだ。知識を吸収する大事な時期にこれでいいのか、と心配になる。日本人の識字率が100%なんて、そのうち言えなくなるだろう。外国人問題では政策も過渡期に来ている。ちょうど暇でもあるし、この分野に注目していこう、と最近には珍しく前向きな気持ちになった。何重にも珍しい日だった。
by kienlen | 2006-06-22 23:31 | 言葉 | Comments(0)

アクと泡は同じなのか

7時になっても子供達が起きないので呼んだ。いつも朝は夫が子らを送り出すのだが、昨夜は息子とサッカーを見ていたらしいから寝坊しているのかもしれない。昨夜から煮ていたイチゴにまた火を入れることにする。いつもこの時期は娘が祖父母の家にイチゴ採りに行き、祖父の手作りジャムを持ち帰るのだが、今年はタイミングが合わず、昨日、祖父が摘んだイチゴを持参してくれた。少し生食して、ジャムにした。娘はいつも祖父とやっているので慣れたものだ。キッチンに様子を見に行くと、鍋の前に立って、慎重にアクをすくっている。「よく知っているね」と言ったら「だって、いつもじいちゃんがやっているもん」と言っている。いい香りがして、味見すると清々しい美味しさ。これなら娘がいつも「温かいジャムがすごく美味しいんだよ」と言う訳が分かる。

アクをすくうのを見て、そういえばタイ語でアクは何て言うのかな、と思って、辞書をチェックする前に、そこに居た夫に聞いた。「フォーン」とひと言。これって泡の意味じゃないか?タイ語については拍子抜けすることが多いが、反対に、合理的だとも思う。アクとアワって何が違うのだろう。いや、言葉というのは、これをこう呼ぶ、という決まりなのだから、物質が異なるか同じかで考えるものではないのかな。アクとアワと名前を変える必要はないようにも思うし、かといって「イチゴのアワをすくう」というのもしっくりこないが、外国人がこう言ったとしたら、私にとっては許容範囲内。例えばタイ語だったらお湯=熱い水だから、水+熱い=お湯、の式が成り立ち、覚える単語は2個でいいのに、日本語だと並列に3個覚えないといけない。水+目=涙。もっとも日本語の場合は漢字があるからイメージしやすいらしく、タイ語をすっかり忘れている子供達は知らないタイ語の単語を聞くと「それ、漢字でどう書くの?」と言ったりする。頭が日本語に1本化しているらしい。
by kienlen | 2006-06-05 08:42 | 言葉 | Comments(0)

イマドキの英語教育論議がこれでいいのかなあ

公立小学校で英語教育が行われるというトピックを、昨日のNHKのクローズアップ現代で取り上げていた。偶然テレビがついていたのと、もともとテレビに集中できないタチなのでしっかり見入ったわけではないが、第一印象としては、ここまで大げさに扱う問題なのかってこと。我と汝の関係が曖昧なタイ語の方が日本人には馴染みやすいので採用するとか、お隣なんだから中国語か韓国語の選択学習を決定、というならテレビにかじりついたと思うが、英語?だから?である。でも番組はマジメだった。すでに実践している所では、得意な子もいる反面苦手な子がでて問題、とか。算数だって体育だって何だって得意な子もいれば苦手な子もいる。恥が生まれる前に始めるべき、という意見もあった。今時の学校及びその周辺地域には恥ずかしげもなく様々な母語を使う人達が暮らしているのだから、言語は多様であることを日常の中で体感する方が恥払拭効果としては期待できるような気もする。もっとも国内の外国人人口構成から予想すれば英語以外の可能性の方が高いから、学校教育的には価値ナシか。

全体としては、コミュニケーションの道具としての英語、という側面が強調されていたようだ。道具は使う主体があってこそだから、使い手は自己責任を伴う意見があって、それを伝えたいという意志があって、相手の考えも知りたい理解したいという姿勢で臨むということだろう。まさか、ここでいうコミュニケーションが挨拶だとか世間話であるはずがないと仮定して。となると、どうもイメージしにくいのは、論理や議論よりは情感や和をもって日本人の美徳とするような面々が、地域や家庭や学校現場だけでなく、権力の中枢にもいるらしいこととの整合性。英語では主張を恐れず、日本語では主張は遠慮しろ、では人格障害にならないだろうか。漠としたコミュニケーション云々より、どんどん外資に開放するから企業内言語が英語になる可能性大なので、最低限英語くらいできないと職に就けないぜ、と明言してくれた方がコミュニケーションの種類が特定できてターゲットが定まってやりやすいと思うけど。
by kienlen | 2006-05-17 20:24 | 言葉 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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