カテゴリ:言葉( 68 )

それ、いくらですか?

NHKのラジオ・ジャパンのタイ語放送をインターネットで聴けることを、遅ればせながらつい最近になって知った。早速アクセスしてみる。日本のニュースのタイ語版もあるが、企画物もあって、日本で暮らすようになったタイ人が日本の印象を語り合うなんてのもあったし、タイ人向けに日本語の学習コーナーもあった。たまたま私が聴いたのは、こういうシーンを想定したもの。タイ人男性が八百屋らしき店に行くと、店員が「このトマト、小さいけど甘いよ」と誘う。ここで「トマト」「小さい」「けど」「甘いよ」などの単語解説。でもこの会話の一番の狙いは「いくらですか?」を覚えることなのだ。店員の口上に誘われてタイ人男性は「それ、いくらですか」と尋ねる。それは60円で、彼はふたつ買う。重要単語としてひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…を復唱させる。

ウチの近所にも八百屋はあるが、皿盛の野菜にも果物にも価格が表示されている。多分そうでない店もあるのだろうが、表示されている方が日本では一般的ではないだろうか。例えば私が外国人に当面のサバイバルの日本語を教えようとなったら「それ、いくらですか」のフレーズの順番までには時間がかかるに違いない。このラジオの日本語学習をタイを知らない人が聞いたらヘンに感じる可能性もあるな、と思った。が、タイで暮らすとなると「それ、いくらですか」は真っ先に覚えるべきタイ語である。デパートやスーパーは別にして、日常の買い物をするなら、これを知らなければどうにもならない。それで、タイ語学習の場合は「えー、高すぎる、まけて下さい」「いくらならいい?」「50バーツ」「じゃあ、中間をとって80バーツにしよう」ってな具合に続く。さすがにNHKラジオはここまでいかない(ここまでやったら面白いぞ)。ちなみにタイ語の「いくらですか?」はタオライと言うが、これはまず通じる。でも、先方の答えを理解できるようになるには、かなりの日数を要するのだ。発してみるは易し、理解は難しが、私のタイ語学習の感想。
by kienlen | 2006-07-20 12:34 | 言葉 | Comments(0)
ほんのちょっとした在宅ワークをやった。来週はギリギリなんとかなる程度の仕事があるだけで、その次からの予定が皆無。こんな繰り返しだ。もうやっていけないと考えると胸が痛くなる。世間はボーナスの話題。そういうものと無縁になって久しい。とはいえ、そもそもたくさんもらった経験がないので、あの頃は良かったという思い出もない。今は、雇用の形態が多様化しているので、査定だけではなくて雇用形態によるボーナスの差もあるようで、同じ会社に勤務する人同士が、多寡のさぐりあいみたいな応酬をしていたり、不満たらたらなのを見ると、もういっそ、そんな世界から足を洗ったら、少なくともそういうイライラからは開放されるよ、と言いたくなったりする(もちろん冗談です)。仕事に関する話題というのは、友人達との話の中で圧倒的に多い。それも、女+若くない+何でも言うなりになるような従順さなし+専門職ではない、という悪条件を背負った人がほとんどだからで、悪い方の話題に事欠かない。

偶然道端で知人に会って「結局あの会社、辞めちゃった。やっぱりやってられない。何かあったら紹介して」と言われることは結構ある。このところ連続でそういう人に会った。自転車を止めて立ち話。それで、ハローワークでいつも募集しているような所って、結局いい所ないよ、ってな話になる。どうも聞いていると、それなりに歴史がある会社だと、雇用形態の多様化が可能にになったために、有利な方法で雇ってみるものの、そういう事態に慣れていないのでマネージメントできないような印象を受ける。そういえば私も、大手企業の現地支局に、前例のない形態で雇われたことがあったが、それを承知して使い方の分かる上司がいる間はいいが、そうでなくなった時に居場所がなくなる感じがしてすぐに辞めた。従来の土壌の中に従来の土壌では育たないタネをまいているような、そんな感じ。となると、今のところは、従来の中にはまり込む道を探して淡々とやり過ごすか、従来というものがない新業種が良さそうに思われる。
by kienlen | 2006-07-15 20:58 | 言葉 | Comments(1)
映画を観た後に夫の店に行った。常連の日本人とタイ人女性カップルがジョニ黒を飲んでいて、母親がタイ人という若い女性がいて、その横では、娘同士が同学年同クラスのタイ人の母親がビールを飲んでいた。ランチタイムなのにカウンターには酒類がたくさん並んでいる。つられて私もビールを飲み、つまみにぴったりの極辛のヤム・パカチェを頼んだ。唐辛子がゴロゴロ入っていて汗と元気がでた。日本人の夫との間に3人の子がいて全員、娘と同じ小学校在学中で、その内の1人はずっと娘と同クラスのKさんとは、昨年のPTA役員が一緒だった。私が学級会長で彼女が副。「仕事は休み?」と聞いたら「こんな天気の時は休み」と言う。いまにも降りそうな空模様。建築現場の仕事をしているのを「恥ずかしい」と言って、周囲から「何が恥ずかしいんだ」と言われていた。

小学3年の息子が少年野球を始めたということで、「月に1回、お茶当番がある」「この間は、練習の後にバーベキュー大会があって、タイ風のタレを作って持っていったら、子供達が喜んで食べた」などと話している。会話の中で「トーバン」だけ日本語を使った。考えてみたら私は「当番」というタイ語を知らないではないか。日本では生活の中でよく使うのに、タイでは気付かぬうちにきた、という単語としては「反省」というのもあるが、当番も、外国人が日本にいたら比較的初期に覚えるべき単語と思われる。学校だけでなく、職場によっては掃除当番があるし。ある意味、平等を象徴する言葉といえるのかもしれない。身分に関係なく順繰りに回るのだから。タイの職場では社員の間の掃除当番は聞かない。掃除は学歴がない人の職で、身分制度はないにしても暗黙のうちの壁があり賃金格差も大きい。Kさんが建築現場の仕事を恥ずかしいと言ったのも、タイでは技能とか技術職というよりは、低学歴者の職だから、という含意があってのことだろう。バンコクでタクシーに乗った時に運転手が建築作業現場を指差して「ちゃんと勉強しないとああなるぞ」とまだ小さかった息子に話しかけていたことが忘れられない。日本もそういう方向に向かっているのが気になる。
by kienlen | 2006-06-26 18:53 | 言葉 | Comments(0)
県の国際チーム主催の「多文化共生ネットワーク検討会」というのに行ってきた。隣の隣の市でちょっと仕事があったので昼間180kmほど運転し、一旦帰宅して子供の夕食だけ作って、自転車に乗り換えて検討会へという、最近にしては珍しく行動的な日だった。集まったのは、県と市町村レベルの行政官、教育委員会、学校の教師、法務局など国の機関の人、外国人支援団体の人、個人で外国籍住民と接する人。私は最後尾のカテゴリー。全く期待していなかったが、予想に反して参加した意義を感じた。特に、日本語が分からない子達を相手にする学校の先生達の話が、私自身も少し垣間見ていることもあって、深刻さが分かる。それに、久しく会っていなかった知人がたくさん参加していて、今の自分にはいい刺激になった。いずれも日本人と結婚して子供がいるタイ人、ブラジル人、フィリピン人、中国人。よく知った面々だが、久しぶりに会うと、いろいろな経験を経て成長している、なんて言い方は失礼かもしれないが、なんだかひとまわり逞しくなっているようで嬉しい。社会は変わっている。

トルコで日本語教師をしていたことがある、という中学の先生から声をかけられた。以前に会ったことがあるらしい。記憶力の悪さを呪う。自分の意志で勉強したくてする大学生に日本語を教えるのと、親について日本に来ただけの中学生に教えるのとの違いにとまどっていた。それはそうだ。日常会話に不自由しなくたって、学習言語となると次元が違う。個人差もある。親の姿勢による差異もある。どれがどう影響しているのか、日本の子より判断が難しいという。これは個人の能力レベルなのか、環境に影響されているのか…。立ち話ではどうしようもない話の内容で、近々ゆっくり聞きたいと伝えた。タイ人の場合、出稼ぎに来た母が日本人と結婚して、国に残してきた子を呼び寄せるケースがかなりある。高校で移住した子達の様子を見たことがあるが、外国人のための学校教育のメソッドが確立されていないから、先生も試行錯誤だし、生徒も同じ。学校によっては事実上放置もあるようだ。知識を吸収する大事な時期にこれでいいのか、と心配になる。日本人の識字率が100%なんて、そのうち言えなくなるだろう。外国人問題では政策も過渡期に来ている。ちょうど暇でもあるし、この分野に注目していこう、と最近には珍しく前向きな気持ちになった。何重にも珍しい日だった。
by kienlen | 2006-06-22 23:31 | 言葉 | Comments(0)

アクと泡は同じなのか

7時になっても子供達が起きないので呼んだ。いつも朝は夫が子らを送り出すのだが、昨夜は息子とサッカーを見ていたらしいから寝坊しているのかもしれない。昨夜から煮ていたイチゴにまた火を入れることにする。いつもこの時期は娘が祖父母の家にイチゴ採りに行き、祖父の手作りジャムを持ち帰るのだが、今年はタイミングが合わず、昨日、祖父が摘んだイチゴを持参してくれた。少し生食して、ジャムにした。娘はいつも祖父とやっているので慣れたものだ。キッチンに様子を見に行くと、鍋の前に立って、慎重にアクをすくっている。「よく知っているね」と言ったら「だって、いつもじいちゃんがやっているもん」と言っている。いい香りがして、味見すると清々しい美味しさ。これなら娘がいつも「温かいジャムがすごく美味しいんだよ」と言う訳が分かる。

アクをすくうのを見て、そういえばタイ語でアクは何て言うのかな、と思って、辞書をチェックする前に、そこに居た夫に聞いた。「フォーン」とひと言。これって泡の意味じゃないか?タイ語については拍子抜けすることが多いが、反対に、合理的だとも思う。アクとアワって何が違うのだろう。いや、言葉というのは、これをこう呼ぶ、という決まりなのだから、物質が異なるか同じかで考えるものではないのかな。アクとアワと名前を変える必要はないようにも思うし、かといって「イチゴのアワをすくう」というのもしっくりこないが、外国人がこう言ったとしたら、私にとっては許容範囲内。例えばタイ語だったらお湯=熱い水だから、水+熱い=お湯、の式が成り立ち、覚える単語は2個でいいのに、日本語だと並列に3個覚えないといけない。水+目=涙。もっとも日本語の場合は漢字があるからイメージしやすいらしく、タイ語をすっかり忘れている子供達は知らないタイ語の単語を聞くと「それ、漢字でどう書くの?」と言ったりする。頭が日本語に1本化しているらしい。
by kienlen | 2006-06-05 08:42 | 言葉 | Comments(0)
公立小学校で英語教育が行われるというトピックを、昨日のNHKのクローズアップ現代で取り上げていた。偶然テレビがついていたのと、もともとテレビに集中できないタチなのでしっかり見入ったわけではないが、第一印象としては、ここまで大げさに扱う問題なのかってこと。我と汝の関係が曖昧なタイ語の方が日本人には馴染みやすいので採用するとか、お隣なんだから中国語か韓国語の選択学習を決定、というならテレビにかじりついたと思うが、英語?だから?である。でも番組はマジメだった。すでに実践している所では、得意な子もいる反面苦手な子がでて問題、とか。算数だって体育だって何だって得意な子もいれば苦手な子もいる。恥が生まれる前に始めるべき、という意見もあった。今時の学校及びその周辺地域には恥ずかしげもなく様々な母語を使う人達が暮らしているのだから、言語は多様であることを日常の中で体感する方が恥払拭効果としては期待できるような気もする。もっとも国内の外国人人口構成から予想すれば英語以外の可能性の方が高いから、学校教育的には価値ナシか。

全体としては、コミュニケーションの道具としての英語、という側面が強調されていたようだ。道具は使う主体があってこそだから、使い手は自己責任を伴う意見があって、それを伝えたいという意志があって、相手の考えも知りたい理解したいという姿勢で臨むということだろう。まさか、ここでいうコミュニケーションが挨拶だとか世間話であるはずがないと仮定して。となると、どうもイメージしにくいのは、論理や議論よりは情感や和をもって日本人の美徳とするような面々が、地域や家庭や学校現場だけでなく、権力の中枢にもいるらしいこととの整合性。英語では主張を恐れず、日本語では主張は遠慮しろ、では人格障害にならないだろうか。漠としたコミュニケーション云々より、どんどん外資に開放するから企業内言語が英語になる可能性大なので、最低限英語くらいできないと職に就けないぜ、と明言してくれた方がコミュニケーションの種類が特定できてターゲットが定まってやりやすいと思うけど。
by kienlen | 2006-05-17 20:24 | 言葉 | Comments(0)
久々に、日本語教師養成プログラムの通信教育のテキストを開いた。昨年の夏に申し込み、数回分は楽しくてワクワクで提出したのが、難しくなってついていけなくなって放置、という通信教育の王道をまっしぐら。通信で独学は自分には無理なことは熟知していたので、スクールがあれば行きたいが地方都市の教育機会は極度に限定されていて、しょうがなく通信を申し込んだものだ。裏返せば、この講座への意欲のレベルはそれだけ高いということになる。時間がある今がチャンスなのだが、自分に何が向いていないかへの理解は年齢と共に高まって確信に至り、それを圧して進めるために苦手分野はすっ飛ばすことにした。それで開いたのが『社会言語学』のテキスト。そこに興味深い記述があった。

「言語における性差別分類」という表から導いた結論として、最も性差が大きいのが日本語、次がタイ語、ということ。渦巻いていたわだかまり星雲消散。中国語をちょっと習った時に、1人称が男女の区別なく「我」でいいらしいことに目を見張りそうになったが、タイ語はそういうわけにいかない。日本語同様、意味が通じれば人称代名詞を省略することは多いが、しかし、相手との上下関係などでかなり複雑だ。特に女性。子供や若い女性はへりくだって、私=ヌーという。このヌーというのはネズミの意味である。上下関係は年齢であったり社会的地位だったり、なかなか微妙なようだが、男女間では女性がへりくだるのが一般的。こういうことは知識としては持っていても、実行までのハードルが私の場合は高くて、自分を「ネズミは○○でございます」と言えたためしがないし、ネエサン・ニイサン、オバサン、オジサン等と、タイ語ではごく当たり前の人称代名詞さえ使いこなせない。だから自分で話しながらぎこちないのが分かる。抵抗なく馴染んでいる日本人はいるから、言葉と性格の相性もあるのだろうとよく思う。どうも、関係性や状況で使い分けることの重要性に比重がある言葉というのが苦手なのかもしれない。となると、日本語が母語でなかったら私にとって習得はひじょうに難しかっただろう。
by kienlen | 2006-04-27 13:25 | 言葉 | Comments(0)
息子が2泊3日の修学旅行に行き、娘と2人だけの夕食だった。娘のみが祖父母宅に長期連泊することはよくあるので逆はあるが、今日のようなことは珍しい。あまり脈絡はないものの比較的おしゃべりな息子に比べると、話し始めるのも遅かったし無口な方だったが、このところ、その分を取り返すように発話量が増えた。今日は学校の様子を伝えていた。メインは英語の授業の様子。小学校でもとっくに取り入れているところが多いから遅い方かもしれないが、教育方針がめまぐるしく変わっていることだけは感じられる。今年赴任してきた先生方の中で、唯一の新卒の先生が担当するとのことで、犬のポチを使うとか、AからZの中で日本語と違う発音の再現など、細部の描写も明瞭である。なんとおだやかな食事風景。経済的困難は別にして、最も平和な家族形態は「母1人娘1人男っ気なし」であろうという仮説を私はもっていて、離婚してその形態をとっている友人に確認したところ認めていた。もっとサンプルを収集して実証してみたいものだ。

さて、息子の場合だと、1章分聞いたら混迷が深まるだけなので、ほとんど1~2文(ただし文の体裁になっていれば)ごとに質問をはさまないとならないが、娘の話にそれは不要。でもただフンフン言っているのも暇なので「で、英語の授業は今日初めてだったわけ?」と聞いてみた。もし2回目だったら初回の様子も聞けば会話の進行としてはスムーズだ。娘はちょっと躊躇して「ホントは今の話は月曜日にあったことで、月曜日に話そうとして忘れて、火曜日はパパの日だから話さなくて、今日になったの」と言った。パパの日とは、つまり火曜日だけは夫の店の店番とウチの番の人員を交代するのである。「なんでパパに話さないの?」と言うと、今度は躊躇なしに「だって、パパに話しても言葉通じないもん」。こういう境遇をどう感じているのか聞いてみた。「パパと言葉が通じないのってどう?」「えー、いいよ別に。パパ面白いから」。日本に来ないであのままタイにいたら、私がこっちの立場になっていたはず。どっちが楽かは体験できる身が1つなので永遠に知ることはできないのだが、1人で、せめて中期間タイ遊学をと思っても、これじゃあ実行は我慢せざるを得ないことは分かる。
by kienlen | 2006-04-19 22:55 | 言葉 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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