カテゴリ:言葉( 71 )

パソコンに向かったまま仕事にならず、お気に入りに入っているいくつかのHPを覗いていた。その中にタイ在住の英語圏の外国人達が共同で開設しているフォーラムがあって、面白いのでたまに読んでいる。特に目的もなく大変な情報量の中を彷徨っていたら、ひじょうに興味深い質問があった。เกรงใจ=グレンジャイ=「遠慮する」ってどういう意味か?というもの。日本語圏の人にとってはこの言葉はスンナリ理解できるのではないかと思う。ただしちょっと使い方は違うかも。というのは、タイ語だと、自分自身の行為に対してよく使っているように感じられる。日本語だったら相手に対して「遠慮しないでね」とは言うけど「遠慮しちゃいます、私」とは、まあ言ってもいいけど、例えば目上の人に対してだったりいい大人などは、あまり言わないんじゃないだろうか。でも「遠慮」という概念自体を改めて振り返ったことがなかった私は、このタイ語は日常的に使っている。これ食べて食べて、と勧められたらเกรงใจと一応言って、さらに勧められたらいただきます、とか、あとは「遠慮しないではっきり言って」とか、いろいろな場面で。

ところがこの英語圏の方の質問に対しての答えは「これは私達西洋人にとっては難しい考え方で、ぴったりの単語はありません」というもの。辞書的な解説をしたのもあれば、状況設定して教えているのもあるが、結構苦戦しているようで楽しい。状況としては「アパートの廊下を女の子2人が走り回ってノックもせずに部屋に入って来たとする。この子達は『無遠慮な子』である」。ううむ、なる程ね。でもなんか苦し紛れの気もする。次はこういうの。「隣人からパーティーの招待を受けているがその日は行きたくない。そしたら妻が『断ったら無遠慮である』と言った。活きたサンプルがあった」みたいなもの。多分この妻はタイ人だろう。そして私も混乱してきた。改めて考えると、もしや、自分が日本語的に使っているこの単語の使い方やら考え方は異なるのかもしれない。今、それを調べている時間がないが、こうして別の言語圏の方の見方を知るのも面白いことだ。しかし、英語だとやはりその場に合った言い回しになるんだろうか。その点、タイ語と日本語の遠慮概念は親戚くらいの近さはあると思う。
by kienlen | 2007-02-24 21:07 | 言葉 | Comments(2)

日本語ってお上品だ

うっかりしていたらまた日付が変わっていた。さすがにこれ以上延ばせないのがあってやっていた。畑違いのこともやらないと食べていけないのでやっているけど、一応本職はあって、本末転倒それが後回しになっていた。昨日は、タイ人高校生の支援に行っている高校の校長先生から呼ばれた。来年も予算が出るということだろう、続けてお願いできるかという打診だったので引き受ける。都合のつかない時はキャンセルできる、という条件でいいということだからとっても助かる。そうでないと定期的な現場仕事を入れるのはイザという場合にやっかいなことになる。それにこの仕事は結構面白い。なんというか、隙間というか。日本語指導というのでもないし、もちろん教科指導でもない。私は教師でもないし、日本語教師のプロでもないから、どっちかだったら僭越であるのだが、何をしているかというと、歴史の教科書を、中身を教えるのではなくて文章を読み解くという作業なのである。彼女たち、話すのは随分と上手になったが漢字はまだまだだし、高校の教科書の言い回しにはついていけないでいる。それで、こういう方法を試してみようということになった。

タイ語はなるべく使わないけど、知らないよりは便利だ。文脈で意味が変化しない固有名詞なんかはタイ語で言ったほうが手っ取り早い。抽象度の高い言葉は、ものによっては容易な言葉で言い換えたり説明したり、ものによってはタイ語を使ったり、ものによっては辞書を引く。すると当然2つ、3つと並んでいるのを読むから、この場合はそれだし、こっちの場合はそっちという具合に説明してみる。少しタイ語を知っていると、これはタイ語の言い回しと似ているから分かりやすいし、これは分かりにくいだろうな、というのがなんとなく想像できるから、そんな説明もする。1時間だからあっという間だが、時々は脱線もする。今日は「先生、ตอแหล(トーレー)って日本語で何ですか」と聞かれた。こういう時はたいていが罵倒語とその類似品であることが多い。私は苦手、ほとんど何も知らないのだが、タイ語は罵倒語が豊富であるということだけは知っている。面白がってタイ語の綴りを言うので黒板に書くと、もっと面白がる。「ウチで辞書で調べてくる」と約束しておしまいにする。引いてみた。「女性が嘘つきであることを罵る語」と書いてある。こういう時、自分の語彙の貧弱さを内心で罵る。なんて説明したらいいんだ。
by kienlen | 2007-01-25 02:03 | 言葉 | Comments(0)
「先生、ンゴンって日本語で何ですか」と昨日タイ人の高校生から聞かれた。「わけわからない」でしょう、と答えたら「違う違う、それはンゴン(งง)でしょ、ンゴーン(งอน)の方」と言う。文脈なしにこんな微妙に発音の異なる単語を突如言われても困る。そして私はこれを知らない。「どういう時に使うの」と聞いたら「怒るまではいかないけど、何もしゃべらないとか…」。この説明で分かる人っているのか。そもそもどういう種類の言葉なんだ。辞書を引くと例文なしにただ「態度」とあるのだが、説明から判断するに違う。それで私の宿題にしたのが昨日のこと。私のタイ語の勉強じゃないのに、とはいえ、タイ語で使う言い回しを日本語で知りたくなる気持ちは分かる。調べるより楽なので夫に聞いてみたら、やはり高校生と同じような事を言っている。男と女がどうのこうの、とか。そのうち面倒になって「怒るみたいなもんだ」と言うからお話にならず、優れものの辞書を引いた。

結果は「すねる」とあった。なるほど、そういわれてみると皆さんの説明が納得できるような、かなり言葉足らずであるような…。それを今日の授業の時に伝えたら「じゃあ、キー・ンゴンは?」と言う。勘弁してくれ。この「キー」というのは糞の事だが、ひじょうに便利な接頭語として口語では頻出する。よく~~する人、みたいなニュアンスだ。日頃よく使うのは、酔う=マオにつけてキー・マオで酔っ払い。よく怒る人なら、怒るにキーをつける。怒りんぼでいいかも。よく泣くなら、泣くにキーをつけて泣き虫。ここらへんの単語だとすぐに浮かぶけど、よくすねる人をひと言で表せという事である、彼女たちの質問は。すね者だと、このタイ語の意味と違ってしまいそう。「タイ語のキーに相当するのは日本語ではないから、よくすねる人、とか言うしかないと思う」と言ったものの、家に帰ってこっそり広辞苑まで引いてしまった。私の答えは間違ってはいないと思った。
by kienlen | 2007-01-10 18:06 | 言葉 | Comments(0)
夫がタイ語のキーボードを持っていることが判明したから、昨夜パソコンの方をタイ語も使えるように設定してみた。するとタイ語が優先になって日本語にするのに切り替えが必要になった。タイでインターネットカフェを利用した時がそうで、言語バーの位置なんかがそれぞれ少しずつ違うのでその都度店の人を呼んでしまった。そういうことから、ますます技術革新についていけない感覚は強まる。今朝、さっそくキーボードを交換してみた。ひらがな入力しているわけではないからキーボードに日本語なんて不要である、と簡単に考えていたが、ちょっと並びや大きさが異なるだけで使いにくくいつもの数倍もかかっての入力となる。いっそ、キーボードをふたつ取り付けられればいいのだと思って見たが穴は一個しかない。機械の側じゃなくてキーボードの方で簡単に取り替えられればいいのに、そういう作りになっていない。ちなみにタイ語を打ってみると「ดีมาก」=とってもいい。スラスラ打てたら快適だが、使うのは初めてだから、配置が全く分らず必死で探す。でも子音の四方に母音がくっつくタイ語の入力ってどうやるんだろうと思っていたけど、みんな自動じゃないか。考えてみたらそのはずで、母音によって上につくか下か右か左か固定なので当然といえばいえる。

なんだか入力練習のような気分で書く内容までたどたどしい。しかし、来年はタイ語の勉強をする環境は整った。なんといってもこういう時に便利なのは夫がタイ人であることで、一応聞けば、面倒そうにではあるが教えてくれる。それにしてもこんなことを思いついたおかげで今日は掃除をしていない。大晦日だけ実家で過ごすという息子を送り届け、ちょっとお茶だけ飲んで、今年は特に買い物もないのでプリンターのインクとフラッシュメモリーだけ購入して帰宅。夫は友だちの家でパーティーがあるからと外出している。なんとかキッチンの片付けをしたい。ここまで打ったがなかなか慣れられない。すぐにやらないとならないテープ起こし作業があるが、このキーボードでは太刀打ちできないからちょっとお休みいただこう。以上、試しうちを兼ねて。
by kienlen | 2006-12-31 14:25 | 言葉 | Comments(0)

近いと遠いの近似

もう、我ながら呆れたことがあった。タイ語の「近い」と「遠い」について。乗り合いトラックの表示を改めてみていて、これは「遠い」じゃなくて「近い」ではないかと気付いた。つまり「最低15バーツ」ということだ。あまりに恥ずかしいので直そうかと思ったが、それもさらに恥ずかしいのでそのままにする。それでタイ語を勉強し始めた当初を思い出した。なにしろ「遠い」と「近い」がすごく良く似ているのだ。この表示も
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้้้้้้้้่ล้という文字の上についている声調記号をとって最初のใをไにすると「近い」が「遠い」になる。それで、全く勘違いしていた。こんな初歩を間違えていたらどうしようもない。たぶん私は今後この間違いをすることはないと思うけど…、それにしても…。当然発音も似ている。なんで反対の意味の音が似ているのだ、と思うのはタイ人じゃないからで、ネイティブの人が、これらが似ていると意識することなんてないだろう。文字だと後で気付くことができるけど、話しているのを誤解した場合は気付きにくい。そういう事はたくさんあるのだろうと思うと、怖くなる。怖がっているとコミュニケーションそのものへの恐怖になってしまうから適当なところで考えるのをやめよう。というわけで最低の自分。
by kienlen | 2006-12-28 23:50 | 言葉 | Comments(0)
旅行中に読むつもりで買っておいた本で、途中までしか読んでなかった養老孟司『無思想の発見』を2-3日前に読み終えた。といっても、ほとんど酔っ払って眠る前に目を通したって感じだし、それ以上のコンディションで読みたいとも思わずだったから、思いついたトピックのみ。冒頭に気になる部分があった。「自分を表現する日本語は数多い」で始まり例が挙がっている。で、次なのだが「英語にかぎらずたいていの言語では、自分を表現する言葉は一つで済む」と続く。これが本当だとしたら、タイ語も日本語と一緒に特種な部類に入ることになる。確かに英語やその親戚の言語はそうなんだろうし、ちょっとかじったところでは中国語もそうだった。韓国語はどうなんだろうか。ちょっと知りたい。で、タイ語だが、これはかなりやっかいな問題。タイ人同士がどう話しているかに見習って自分でそれを使えるかというと、これまた面倒なのだ。というのは、相手との関係性によって変化するから、相手との関係を自分なりに特定できないと困る。で、それをするだけの適応力を私は今のところ持ち合わせていない気が自分でする。

その点日本語の方が、とりあえず「私」を使っておけばいいから楽じゃないかと思う。タイ語にも「私」に相当する言葉はあって、大体私はこれを使っているが、使いつつ違和感を感じる。というのは、日常生活においてタイ人達はほとんど使わないし、カジュアルな会話でこれを言うと、なんか気取った感じになってしまう。友達同士で「ワタクシはですね」と言うような。それから次の手は自分の名前を使うもの。日本でも子供が自分を「○○ねえ」と言うアレ。これは便利で違和感もないが、年齢を経ると「いいのか、今の自分の年齢でこれで…」と思ってしまう。タイ人の関係性というのは年齢とか社会的地位とかジェンダーから判断されるが、外国人って年齢も分かりにくいし、社会的地位もタイ人同士のが通用するかも疑問。で、ここんとこ利用しているのは、自分のことなのに「我々」みたいな言い方。よく英語で、ちゃんと自分の意見として言うところを「we」にして先生から注意された、というような話を聞くが、タイ語だとそんな指摘はされずにすむ。養老先生の本は、その後、自分と相手が入れ替わる現象を示して「こんな言語が他にあるかというのはほとんど愚問であろう」と書いているけど、これもタイ語では起こる、と思うのだが、私の誤解でしょうか。いや、多分、先生がタイ語を知ったら、ここまで断定しないようにも思う。これでその後の読み進め方が上の空になってしまったというのはある。
by kienlen | 2006-12-27 14:22 | 言葉 | Comments(0)
夫から何年も前に「ネット依存だ」と言われた時はバカらしく感じた。メールと本の検索と仕事で調べる程度しか使っていないからあり得ないと思った。基本的状況は今も同じだが、ううむ、依存しようと思えばできるな、というのが正直なところ。今の自分は心半分がタイにあって、日本の新聞を読んでもあまり興味を惹かれない。そもそも外出よりは在宅の方が好きな出不精タイプなので、仕事とか用事がなければ自宅で引きこもることもできそう。するとどうなるか…。タイのラジオを流して、タイ語の新聞社のページを開いてプリントアウトしてタイ語の勉強と自称。たどっていくと面白いページがたくさんある。特に興味を惹かれたのは、タイの英字紙のコラムニストだったという若いタイ人男性の書いたもの。バンコクの若者の生活の一部分がよく分る。麻薬中毒だったこと、それを克服したと思われたのに、今はその件で服役中。

感心したのは、この彼の書いた若者向けの英語のコラムを、バンコクの中学校の生徒がタイ語訳してネットで公表していることだ。中学生が書くタイ語なので実に分りやすく、その上、巨大な文字で表記してくれている。こういう授業はさぞ面白いだろうと思うし、私なんかが学ぶ教材としても最適だ。とても息子の中学でこのような授業が行われているようには見えないのは残念。この彼のコラムは、ガールフレンドの事から学校の様子からテーマがアクチュアルで、中学生がそのまま自分を投影できる内容であるから、翻訳作業も興味深くはかどるに違いない。そういえば息子に「3月までにタイ語の新聞を読めるようになるから」と言ったら「それってどのくらいの難しさ?僕が英字新聞読むくらい?」と言っていた。どう見ても引きこもりタイプではない息子よりは、こういう母の方が、この種の事なら早いぞ、と思って複雑な気持ちになっている。
by kienlen | 2006-12-23 00:02 | 言葉 | Comments(0)
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14歳以下だかの子供の数よりペットの数の方が多い、とかいう事態になっているとか聞くと、ふうん、と思うだけだが、考えてみるとウチにもペットがいた。ウサギのココアで、娘が学校で増えすぎたのを赤ちゃんの時にもらってきて1年と少しになる。私が子供の頃は田舎の家にウサギもヤギもニワトリもいたが、もちろんペットなんて感覚はなくて、ニワトリは卵を食べるためだし、ウサギは毛を売るためだし、ヤギは乳を飲むためだ。タイから来ている高校生の日本語の教科書に「ペット」という単語があって、タイ語の翻訳を見たら「飼育している動物」とあった。で試しに「○さんの家にペットはいますか」と聞いてみたら「います。牛と豚とニワトリ」と答えていた。家畜とペットってどう違うんだろう。精神的癒しと物的癒しの差異なのか。そのうちにタイ語にもペットという用語が外来語で導入されるかもしれない。
by kienlen | 2006-11-21 10:04 | 言葉 | Comments(0)
バンコクから帰って来たばかりの学生さんに「楽しかった?」と聞いたら「つらかったです」と言う。タイへ旅行してこう明快に答える人にはそんなに会ったことがない。そういえば彼は、グリーンカレーを食べて、主観的辛さに驚いて痙攣を起こしたという人だから、食べ物がつらかったのだろうか。そんなはずはないな、辛くないものはいくらでもあるんだし、辛いものが苦手なタイ人だっているんだから。で、何が?と聞いたら「英語が全然通じなくて」という答え。「言葉が通じないってほんとつらいです」。分かります、この感覚。私もほんとつらかった。食堂に行っても注文できない、露店の洋服の値段を聞いても電卓で示されないと理解できない。それに自分は旅行者という意識で住んでいたわけではないので、もっともっとみじめに感じる。

しかし、言葉が通じなくても比較的平気な人もいるのだ。身振り手振りで通じるという説もある。こういう人の方が、私みたいに、それに先の学生さんのように普段から英語で話すサークル活動なんかして言葉を信じている人よりも、もしやインターナショナルなのかもしれないと思ったりもする。そもそも私のように何か覚えるのに時間のかかるタイプが何か国語もできるようになるのは、もう無理だ。すると、全く未知でないという意味で英語圏かタイか、タイ語が通じるラオスくらいしか行ける所がないではないか。あ、それと筆談がちょっとは使える中国か。そう思うと、身振り手振りの能力を鍛えた方がいいような気もしてくる。今日は夫がタイから帰る日だ。留守はつらかった。自分の仕事だって、暇とはいえ、全くないわけでもないのに店番。昨夜はじいちゃんに留守番を頼んだのに、娘が泣きべそをかきながら何度も店に電話をよこした。「じいちゃん、7時くらいに寝ちゃったんだよ。つまんないよう、寂しいよう」と。もう歳だもの仕方ない。とにかく今夜は帰るから、と言い聞かせるしかなかった。
by kienlen | 2006-11-08 11:10 | 言葉 | Comments(0)
朝一番で打ち合わせ1件、それから別件で取材、それから全く別件で運転2時間の地へ、という予定だった。お昼を食べる時間がない可能性もあるので、おにぎりを持参する。でも結果的には朝のうちに食べてしまったが…。朝出掛けに夫に「帰宅は多分7時になる」と、つまりは夕食担当を頼んでいたら、会話を聞いていた息子が「え、1時に帰るの?!」と言ったが、面倒だから答えずに出かけた。2時間の地へ行くまでは予定通りにスケジュール消化。でもその地の仕事は予想の倍もかかってしまった。夜道になったので、いつもの山越えはやめておとなしく国道を来たら、えらく渋滞していて、帰ったら9時過ぎていた。昨夜も子供に会ってないので、食事も抜きであせりつつ着いたら、娘が「兄ちゃんがママは1時に帰るって言ってたよ」と言う。彼の誤解であるが、誤解した理由を考える時、一抹の寂しさを感じる。

私達夫婦が、ごくたまに交わす会話はタイ語であるから、今朝ももちろんそうだった。タイ語では夜の7時から夜になるようで「夜1時」が日本語の午後7時にあたる。それから8時=2時、9時=3時と続いて、夜中の12時は、専用の単語があり、そこからは深夜の時間帯になって、深夜の数え方でまた1時、2時、と数え、5時まで続く。6時から「朝6時」の数え方になり、朝7時、朝8時と続く。12時は専用の言葉があって、午後はまた、午後の数え方で1時、2時、3時ときて、4時から夕方の数え方で4時、夕方5時、夕方6時まできて、夜1時=7時に戻る。時間の表現は結構複雑で覚えるのに苦労した記憶がある。それに、ちょっと違う数え方をする人も時々いて、通訳の時は確認しないと混乱することがある。公式には24時間表現を使うが、話し言葉では先の複雑な方だ。それで、息子である。もうタイ語を忘れているので「1」という単語だけ聞き取って、日本語風に深夜の1時と誤解したに違いない。4歳まではあんなに流暢だったタイ語を維持できないのは、夫に責任があると思うが、そういう方面にも向き、不向きがあるから、彼に期待したってしょうがない。息子にあまり言うのも酷だから、間違いを訂正したのみで黙っていたら、自分でボソボソ復讐していたが、発音がなんかヘンになっていた。言葉って、子供って、残酷なんだ。
by kienlen | 2006-10-18 23:05 | 言葉 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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