カテゴリ:言葉( 69 )

タイ人の中学生が泣き出した。どうも見るからに元気ないなとは感じていたのだが、周辺にいる先生が心配しているのでタイ語で聞いてみた時だった。春に来日して夏。多分辛い時期だろうと思う。最初は訳分からずにいる。言葉ができないのも当然。しかし少し慣れて余裕がでてみると、自由に話せるわけじゃなく日本人の子とは別世界で友達もいないし、勉強だって進まない。中学だから小学生ほどの子どもでもない。しかしまあ人前で泣けるというのは素直というか、素直すぎるというか。泣いたからと気にしていてはお話にならないので適当に切り上げて日本語の授業をした。とにかく言葉さえできるようになれば大方の問題は解決するのである、と私は思っている。せめて数学が得意だと自信という点で随分と違うのだが…。

それにしてもいつも思うことがある。外国人が来たら、日本人生徒にもいいチャンスとして生かすような事をすればいいのに。そりゃあ日々の事で精一杯なのは分かるが、手間をかけるのではないコミュニケーションの力を養うチャンスにはなると思う。日本語の覚束ない相手とどうコミュニケートするか。分かりやすい日本語を使ってどう伝えるか。相手の話を理解する方法は、等々は、国際社会の中で求められるスキルと思う。それによって例えば英語に置き換えて、知っている少ない単語を駆使してなんとかサバイバルの会話するなどという方向にも発展できる気がするのだ。言葉に敏感になることって重要じゃないだろうか。どうも見ていると、外国人が来るとお客さま扱いするか、一方的な支援対象か、あるいはもう訳分からないからお手上げとか、そういう残念な対処になっているように感じられてならない。自分が担任だったらそういう風にするのにな。楽しそうじゃないだろうか。
by kienlen | 2010-08-25 20:59 | 言葉 | Comments(2)
午前中はタイの子の日本語指導へ。中学3年というのは私にとってはやりやすい。その子のキャラクター、相性もあるけど、こういう仕事でここまでストレスがないのは珍しい。楽観的で適度にひょうきんで呑気で素直で楽しく授業ができて、宿題をちゃんとやってくる。そして何といってもいいのは、このくらいの年齢になると理屈が通じることである。タイ語で文法解説したテキストを使えるのがありがたい。小学生ではこうはいかない。その代わりに理屈なしでじきに覚えるんだけど。どうも理屈に偏りがちになる自分としては、単なる乏しい自分の経験から、小学校で移動するよりも中学以上の方がいい、なんて感じていることもあって、ちょうどこの間ずいぶんとフィリピンの子達を見てきているベテランのフィリピン人に会ったので「中学で来た方がいいですよね。小学校は大変じゃないですか」と言ってみた。

すると彼女は「そんなことない。中学は困る。中学で来るのは親がいけない。小学校だったらすぐに日本語覚えるのに中学だとそうじゃないから落ちこぼれる」と自信をもって断言するのだった。お互い単に経験による印象論に違いない。だからここで小学だ中学だと言い張ってもしょうがないし、どういう点をもっていいとするかよくないとするかによっても判断は異なる。私は小学生で困難さを感じ、中学生で可能性を感じる例に触れ、彼女の場合はそれが逆ってことである。個人差、家庭環境、学校の支援態勢、友人とか先生、諸々が関係してくるので簡単に言えないんだろうが、一般的な能力と庶民の家庭環境でしかないのであれば、しっかりした母語の力があってこそ第二言語を効率的に習得できる。そういう気がしてならない。しかし言葉というのはつくずくと不思議なもんだな。現世ではそれを感じるところまでしか至らなかったから、来世にこういう分野を研究したいもんだ。飲み過ぎて忘れないようにしよう。
by kienlen | 2010-07-09 18:08 | 言葉 | Comments(0)

考えさせられる出来事

歳すると心臓がバクバクという機会は、病気とか以外では少なくなる。若かったらこういう場面で緊張したのになあ、と感じることがよくある。そして若い頃に戻りたくないと思う。人によってはあの若さを懐かしむんだろうけどな。で、こういう日常で突然心臓がバクバクし出すとインパクトが強い。つい最近だが、それを経験した。場所は裁判所の法廷。タイ人の裁判の判決のある日で、審理を傍聴していたのと、時間があったのとでふらっと傍聴に行ってみた。判決言い渡しだけなのですぐに終わると思ったら、なんかごちゃっとしたやり取りがあって、弁護士が唐突に手紙を読み上げたのである。あれ、どっかで聞いたような記憶があるなと思ったら、自分が訳した手紙ではないか。こ、こ、こんな所で読み上げられるなんて思ってもいなかった。こんなのアリですか、裁判官、じゃない、翻訳を依頼してきた会社のシャチョーさん。ものすごくびっくりした。そして本当に心臓の音が聞こえるくらいだった。薄着だったら危なかった。厚いコートが消音作用をしてくれた。隣席では通訳を長年やっているタイ人の友達が真剣な目で成り行きを見つめている。「ねえ、この訳ひどくない。誰がやったんだろ」「じ、じ、実は私」と告白するか、いやいや内緒にしておこうとか、などと、もうとんでもない妄想に支配される。退出しようかと思ったくらいだ。しかしここらへんも歳を取るっていいなあと思うのは、もう自分の責任は取りましょう、と開き直れることで、逃げも隠れもしません。って、大げさなひとり相撲イメージだけなんだけど。

この手紙については小さな翻訳会社を経由して私の元にきて、大急ぎで頼むってことだった。特に難しい内容ではない。感情に訴えたいものであることは想像できる。となると、それなりの表現になる、というものだ。ひとつひとつの言葉をどう選んでどう組み合わせるかは人によって違うに違いない。恋文代筆業があこがれの仕事だったくらいの年代の生まれであるから、情に訴えるのに自信がないわけじゃないが、まさかそこまで演出するわけもなく、普通に訳したつもり…などと、もう自分の注意は細部に入っていく。すると検事が「・・・・の箇所は同意できない」というようなことを言った。裁判官が「その部分を説明してやって」と通訳に指示した。心臓やっぱりバクバク状態。通訳が「これは原文とちょっと違います」なんて言ったら、翻訳自体を問うような展開になるんだろうか。その場合、問われるのは訳者か受注会社か。半分ボランティアみたいな仕事でなんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。通訳さんもイレギュラーな展開にとまどっている。別に私は間違った訳をしていると不安になっているわけじゃなくて、こういう扱いをするのなら最初から分かっていたかったというだけのことである。この時は判決に際して情状を求めるという使い方だったので(もっとも他の使い方があるのか、裁判についてそう知らないから分からないけど)表現のレベルまで突き詰めるものではなかった。実際、そこまで突き詰める場面があるのかどうかは知らないが、今日の多言語状況を考えると、なんかすごくびっくりする出来事ではあった。まあ、たまたま傍聴に行かなければ知らなかったことでもある。
by kienlen | 2010-02-24 16:04 | 言葉 | Comments(3)

タイ語の「おはよう」

f0104169_14205069.jpg

少し前のことになってしまうが、横浜市のいちょう小学校という、外国につながる子が生徒の半数以上を占めるという学校を視察した。大変興味深いお話しをうかがうことができた。その内容はまたゆっくり消化することとして、案内してもらった校内は、さすがに国際的だった。階段に五十音が張ってあって目につくようになっていたり、いろんな国の民族衣装や民芸品の部屋があったり、それに先生もラオスかな、タイかな、と思われる上着を着る演出ぶり。用意されたお茶も3か国だか4か国のもの。で、下駄箱のところにあったのが、各国の「おはよう」である。タイ語も目立つ。これを見て、ちょっとびっくりした。「アルンサワッ」と書いてある。まさにおはようなのだが、日常生活で日本人が「おはよう」と言うのと同じように使う言葉ではない。というよりか、まず聞かない、言わない。

また翻訳って何だろうという、いつもの疑問。これを書いたのはタイ人の子かもしれない。悩んだかもしれない。おはようって言葉は確かにあるけど、普段使わないなあ、でも、おはようをタイ語でってことだからそうしなくちゃなあ、テレビのキャスターなんかは使うんだし、ちゃんと正規の挨拶としてこっちかなあ…などと。もちろん正しいのである。かといって、子供が学校で挨拶する言葉としては、普通に「サワッディー」を想像するから、意外性が拭えない。どうしてこっちにしたのか機会があったら聞いてみたいなという気がした。たかが「おはよう」だけでもこれである。ほんと、言葉の世界も奥深い。
by kienlen | 2009-11-01 14:59 | 言葉 | Comments(2)

タイ人の名前と外来語

タイ人と話している時「コーン サパイ」という音に聞こえる単語の意味が分らなかった。サパイっていう音だと嫁みたいな意味があるけど、その時の話の文脈からすると変。それにコーンというのはモノだしなあ。えー、何、何、分らない、と思ってよくよく聞いたら英語から来た言葉だった。つまりサプライズがタイ語風になるとサパイみたいに聞こえるわけだ。「サプライズなモノ」ということらしい。よく英語圏の人が一番分りにくい日本語は英語からきたカタカナ言葉である、みたいなことを言っているが、英語からきたタイ語というのも分りにくいことが多い。この間はタイ人の子に「きょうだいはいるの」と聞いたら「弟がふたりいる」と言うから年齢と名前を聞いた。こういう場合、日本人相手だったら名前を尋ねるようなことはしないと思うが、タイ人の名前は世相と親の好みを反映していて楽しいので、私はよく聞くことにしている。ああ、名前と言ってもニックネームであるが。

するとひとりは「デーン」だった。デーンは古典的な名前で「赤い」という意味だ。私の知り会いにもいたな、と思って「デーンね」とオウム返ししたら「違う、違う、デーン」と何度も直された。ああ、私の発音が悪いわけね、と思ったが、それにしてもここまで通じないってことはあんまりないぞ。おかしいなあ、と思ってよく聞いたら英語のダンスのタイ語風であることが判明。それだと確かに発音は異なる。なるほど。納得して発音したらOKが出た。しかし、ダンス君ですか…。思ってもみなかった。下の弟は「ディス」だそうだ。もうここまでくると英語からという発想に切り替えた方が良さそう。ディス イズ ア ペンのディスかな。珍しすぎ…。よく聞いたら「ディスク」のタイ語風発音だった。名付け親はお父さんだそうだ。ふたりの名前から、お父さんは遊び人で、CDとかDVDとかで音楽聴きながら踊るのが好きらしいってことが想像できる。日本語は通常、子音で終わらないので英語もそれらしくなる。タイ語だと末子音がいろいろなので、それ風になってしまう。コツをつかむと難しくないが、それ以前に、どっからでも来てくれ、というほどに頭を柔軟にしておくことが大切に感じる。
by kienlen | 2009-10-20 15:44 | 言葉 | Comments(2)
昨日も今朝からもずっとパソコンに向っている。ここで終わり。本来なら、そして集中して仕事している、がくるはずなのに…。お気に入りに入っているブログを片っ端から覗いてみたり、当ブログの検索キーワードを見てイメージを膨らませてみたりしている、延々と。この間、ホームページ製作を受けているエンジニアと話していたら、検索エンジンの進化がすごいらしい。どこがどうすごいかの説明も受けたように思うが、分からなかった。ただ、すごいらしいというだけ。それを念頭にキーワードを見てみると、そういえばそういう気もする。そもそもこんなささやかなブログに、膨大な情報の波をくぐってたどり着く仕組み自体が、もう常人の想像を絶している。で、毎週1-2件あるのが「タイ語 よろしくお願いします」である。前にも書いたけど、この言葉のために、今日もどこかで誰かが困っていると思うと、連帯感のようなものを感じる。毎週毎週登場するものだから「よろしく」がヤケに気になるようになった。そういえばつい最近もタイに赴任する前のビジネスマンから、タイ語でどう言うかと聞かれたばかりだったな。

日本風の挨拶言葉としては使わないことは、この間も元日本留学生の大学教授に確認したばかりだから間違ってはいないと思う。でも、それに相当する言葉がないわけではなく、日本語を学ぶ人々の間では使用されているらしいのが、タイ語表記のできない悲しさはさておき「ファーク ヌア ファーク トゥア」というもの。私の肉も体も預けます、みたいな意味だ。ただ、これは、実験的に使ってみて相手の反応をうかがう、という使用法でいいと思う。結果を知りたい。あと、一体日本語の「よろしく」ってどういう意味なのか、である。例えばどこかに丁稚奉公に入り、生活の何もかもを委ねる意味での「よろしく」ならこれでOKだろうが、ビジネスマンの赴任の挨拶で言ったら…ちょっとミスマッチ。それはさておきこの「ファーク」が時には「よろしく」と訳せる働きをする。意味は、重要基礎単語のレベルに位置していると思う「預ける」。銀行に金を預けるとか、伝言を頼むとか応用範囲広い。「ファーク 〇〇〇」で、「〇〇〇をよろしくね」となる。留守の間に「家のこと、よろしく」とか。この場合「頼む」という意味だから「よろしく」では漠然としすぎかもしれないが、日本語としては不自然じゃないように思う。でも、そう考えると、この「ファーク」と「よろしく」は近そうだな。ただし専門家じゃないので感想のレベルにおいて。タイ-日だと、冨田先生の素晴らしい辞典で事足りるけど、日-タイが物足りない。いい辞典が欲しい。
by kienlen | 2009-09-06 10:57 | 言葉 | Comments(4)
教育という分野はまったく疎い。しかし関わらざるを得ないのが、タイ人の子の支援ということでの小学校通い。夏休み中は休みでほっとしていたが休みが明けてまた始った。たった1時間のほとんどボランティアのために行くのは、時にはひじょうに辛い。どうしても仕事と重なる時には仕事を優先せざるを得ないので当日キャンセルということもある。こういう仕組みで運営している限り、個人の使命感とか責任感とか良心がすべてなわけだ。これでいいのか、と思うが、これ以上の方法も難しそうだ。例えば工業地帯でブラジル人が集住しているような地区だと-そしてそういう所はマスコミの話題にもなりやすいが-数の力で制度を整えることもできる。でも、データを見ても、ほとんどの自治体は当地同様に多言語少人数の状況にある。一体どうしているんだろう。それを知りたいが、視察なんかで行くのだって集住地区だから、言語習得の面では勉強にはなっても制度整備の意味での参考にはならない。まあ、それでも子どもたちが日本語をガンガン覚えていって学校で楽しそうにしていると救われる感じはあるが、ちょっと昨日は愕然としてしまった。

ここらあたりのタイ人だと、ほとんどが母親タイ人、父親日本人なので、日本に定住するだろうことが前提だし家族内言語も日本語が主になる。少なくとも私が見てきたケースは全部そうだった。ところが、最近知り合った子は違う。休み明けに頭をまるめていたから、随分すっきりしたなと思っていたら「お坊さんになってきた」と言う。休み中に子どもが小僧になることはよくあるから驚くべきことではないが、タイに戻ったんじゃなくて日本のタイ寺院で修行したそうだ。しかも10人以上もそういう子がいたそうだ。お坊さんはタイ人だし、タイ料理の食事を用意してくれる尼僧さんもタイ人。「ご飯がすごく美味しかった!」と喜んでいた。それはいいが、そういう夏休みの間にタイ語とタイ文化に逆戻りしたようで、日本語が後退しているように感じられて愕然だったのだ。よく中国人の担当の人が「しょっちゅう中国に帰るので、その度に日本語を忘れる」とぼやいているが、こういうことなのか。大人だと覚えるのも遅いが忘れるのも遅いので、いったん覚えたのをしばらく離れたからって忘れることもないが、小学生はそうはいかないみたいだ。来週までに復元していてくれることを願うが、家庭がタイ語だもんな。長い目で見たらバイリンガル環境にはいいかもしれないけど、学校の勉強って甘くないし…。どうなるんだろ。
by kienlen | 2009-09-04 20:34 | 言葉 | Comments(0)
4日もあけたのか。外出が多かったのと、書けること、書けないことを吟味していたら後者に分類される機密情報収集と隠密行動に満ちた日々だった、というのは全くあり得ず、つまりはサボっていた。時期が時期だから個人的なことも政治的になるのを避けて、というのも冗談であるが、読んだ本のことを書いたら、アップする前に手違いで消してしまった。それで気を取り直して言葉の話題。今日、夫がラジオでしゃべった。テレビに出た時なんか見たこともないが、なんとなく今日は聞く気になって娘と車に入ってカーラジオをつけて聞いた。そもそも数日前に夫から「ラジオに出ないかという話があったがどうしよう」という電話があった。そんなことで私に尋ねてくる理由も分からず「出たくなければ断わればいいでしょ、でも、断わる理由もなくない」と言った。私もどっちかっていうと依頼する立場に立つことが多いので、依頼を断わるのは申し訳ないという気持ちが働く。「出ていいものか悪いものか分からない」と彼。そういう迷いって珍しいな、分からんでもないが、と思って聞くと、電話でライブということだった。ううむ、これは結構ハードル高いかも。編集の余地がなく、言葉が100パーセントの世界である。しかし相手が外国人なんだから当然そのへんは心得た話し方をするだろうし、今までイベントなどで話したのを聞いていてもそう問題はないから、それ以上深く考えなかった。

それで本日が本番。いきなりしゃべる夫。もしや自分で話し続けなければいけないと誤解しているんじゃないか、と思わせる話しっぷりである。その後も話がかみ合わない場面があった。例えば「タイ料理ならではの食材って何ですか」という質問。「ならでは」はないでしょ、と私は思う。私だったら特別に日本語に長けた人以外の外国人以外、これは使わない。案の定、答えがかみ合わない。それで聞き直しのつもりなのかまた今度は「ならでは」を単独でアナウンサーが繰り返す。外国人と接しなれていれば、いや、外国人でなくても言語の使い方は人によって違うから、慣れない使用方法だと言葉の言い換えをするのが普通だろうし、特に言葉の仕事であれば当然だと思うが、それをしないのにはびっくりしたが、アナウンサーの方からすると「おかしいな」なのかもしれない。でもまあこの程度は日本人同士でもありそうな範囲と言えば言えなくもないから、ご愛嬌。

夜になって夫から電話があって「聞いたか」と言う。「分からない言葉がいくつかあったでしょ」と私が言うと、あたっていた。だいたいどこが分からないかは分かる。先の質問をタイ語にしてやった。「自分でしゃべり過ぎたような気がする」とも自覚していた。昨日打ち合わせをしているはずなので「打ち合わせの時に答え方を教えてくれなかったの」と聞くと「聞いてない」である。「経験不足の若い人だった?」と聞くと「若くない」。この間、選挙絡みで外国人労働者導入について言及している候補がいてびっくりしたものだが、そんなことになるなら、日本語の語彙を段階分けして、日本人自身が日本語に敏感になる必要はあるなと思ったラジオ出演だった。私も、自分がタイ語で電話でこの応答をするとしたらどうだろうかと考えながら聞いていた。いろいろ勉強になって面白かった。
by kienlen | 2009-08-20 23:24 | 言葉 | Comments(0)
昨夜は飲み会だった。近くに、ブラジル出身の、もう長い付き合いの友人がいた。外国人に関わる活動の中ではちょくちょく会う機会があるが、彼女は大変な忙しさで久しくゆっくり話してない。そういえば子どもも大きくなっているんだろうから尋ねたら「今年受験生だよ」と言われた。ウチは高3だからあちらは中3。ウチの場合は「受験生」なんて言葉をとうてい使えたもんではないが。「ポルトガル語できるの?」と聞いてみた。彼女は日本人との結婚で日本に来た日系3世。当初は日本語はそんなにできなかったそうだ。でも「おばあちゃんが日本語で話すのを聞いていたせいか」と自分で言うくらい、じきに上達した。そして確か子どもが小さい時はポルトガル語の公文をさせているとか言っていた。その時は私も自然なバイリンガルについてもっと関心があったから「いいなあ、ポルトガル語の公文があって」と思って羨ましかった。タイ語があったらお金払っていたかもしれない、と思うくらいの気持ちがあったのだ。

彼女は首を横にふって苦笑いした。「できないよ」と言いながら。この場合の「できない」がどの程度のできなさを意味するかは分らない。期待以下という意味かもしれないし、全然できないのかもしれない。しかし、あの環境でバイリンガルになっていたとしたら私は考え方を変えなければならないなと思う。つまり家族は彼女を除いて日本人のみで、今は変化しているとはいえかつての典型的な農村地帯に家がある。ここまではまあ良しとしても、唯一のポルトガル語話者である母親が仕事をしていて、子どもに長い時間関わっていられるわけじゃない。その仕事が通訳だったりするのは皮肉であるが。今日もこれから、小学4年で日本に来たばかりのタイの子がいる学校に行く。このくらいの年齢で日本に来て膨大な漢字を覚えなければならないタイの子を見ていると、ひどく考えてしまう。自分の意思で行ったり来たりじゃないので強い動機がない。そして時間はある。その子の力にもよると思うけど、来たばかりの頃は楽しそうにタイの話をタイ語で説明してくれたり、教科書にタイ語で書き込みをしていた子も、1年くらいすると、書くのはもちろん、タイ語を読むことが面倒そうになって「読めない」とか「読めるけど意味わかんない」と言い出す。当然友達と話すような日本語はほとんど問題なくなる。しかしその程度の日本語って、大人になってから必要に迫られてやったらなんとかなる程度のものでしかないような気がしてしょうがない。
by kienlen | 2009-07-17 08:43 | 言葉 | Comments(2)
昨日は細かい事がいろいろあって外周りしているうちに終わった。今日は余裕。タイ人の子の支援ということで昨年から通っている小学校へ行った。週に1度だけ、しかも1時間弱。もう1人が数時間みているから、私が何をしたらいいのかは手探りなのだが、今日は教室に入ったら同じクラスの日本人の女の子が私のところに来て「これ訳して下さい」と言う。渡された粗末な冊子を見たら、英語とタイ語が書いてあった。タイ人の子に聞くと「タイの英語の教科書」だと言う。よく見ると教科書というかワークブックみたい。タイの学校で小学5年にやる教科書を受け取ったきり日本に来たので、その教科書を日本に持参した。たまたま「英語ができる」と自慢気なクラスの友達がいるから、それを持ってきて見せたのだが、問題部分がタイ語で意味不明なので訳して欲しいということだった。訳した後で日本人の子が問題に挑戦するというわけだった。それで、今日の授業はそれにしようとひらめいた。その友達のために、タイ語の問題文を日本語に訳して書くというのは勉強の動機としても強いのではないだろうか。

来日から1年でタイ語力も弱くなっていると思われるので、それも試してみたかった。タイ語部分を読ませると、かなりたどたどしい。しょうがなく私が読んでやる部分もある。それから意味を聞くと、一応分るけど、かといって日本語にするには複雑すぎる。結局タイ語の学習言語が小学校4年でストップしているわけだから、タイ語の「動詞」「名詞」という語彙も読むことは読むけど「意味分らない」という。そうかあ、品詞名も分らないのか。何が分って何が分らないのかもいちいち確認しないと分らない。小学生相手に理屈もなと思って「動詞ってのは行くとか食べるとか来るとか座るとか書くとか読む」「名詞は机とか時計とかペンとか…」とタイ語で説明すると、ふんふんとまじめに聞いているから「じゃ、水は?」と聞くと即座に「名詞」と答える。分ったことにしとこ。ただ、こういう遊びというか試みは面白いとは思った。日本人の子にしたら、外国人の子がどういう感じで日本語によるテスト問題を見ているかイメージできるだろうし、外国人の子にしたら、自分の方が余計に言語を知っているという自信を持てるだろうし。そういうことも言ったらいつもより真剣に、タイ語の問題文の上に日本語文を書いていた。訳すことはとてもじゃないがムリで、私の言うなりではあるが。「じゃ、〇ちゃんに解いてもらってね。来週見てあげるから」と言ったら表紙に「〇ちゃん、がんば」と大書きしていた。かわいいもんである。そして、どういう将来が待っているのか楽しみ。
by kienlen | 2009-06-17 16:14 | 言葉 | Comments(6)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
カレンダー