カテゴリ:タイの事と料理( 150 )

とうとう出家するらしい

店の定休日の日曜日。娘は文化祭で登校。夫は出たり入ったりで夕方戻ってきた。また出かけるのかと思っていたら出かけないという。夕食を家で食べるか聞いたらラーメン食べたいという。それじゃあ、ということで出かけた。どうせなら少し足を伸ばして美味しいと評判の店に行きたかったが、夜はイナゴ捕りに行くから近くで済ませたいという。それじゃあと、近間の初めての店にした。夫が息子の様子を尋ねるから「お金足りなくて頭痛い」と答えた。特に反応なし。それから「1月に1週間店を休む」という。どうしたのかと思ったら「出家する」という。「出家する」というタイ語と「飽きた」という語が、似ているというほどじゃないが、最初の音が似ているのと、出家は予想していなかったので「飽きた」と言ったのかと思ってぎょっとした。出家と聞いて、やはりタイ人だと思った。当たり前だが。それに日本にいるから日本的になったと思うことも、これっぽっちもない。

「私も出家を見に行きたい」と言うと「行けば」と言う。娘も息子も行けばいいと言う。息子に行くか電話しろという。行くわけない、と私は思うからそう言った。答えが明白なのに電話するのも嫌だ。変なこと言うなという様子の不機嫌な声を聞くのも嫌だ。「出家するには儀式があって、お経を覚えてないとダメなんでしょ」と言うと「忘れてないから大丈夫」と言う。娘はこのやり取りを聞いていたと思ったら漫画を読んでいて無関心だった。あるいは言葉を理解してないかもしれない。出家なんて単語知らないかも。タイにいたら必須単語に入るが。店を出てから娘に「パパが出家するから1月にタイに行く?」と聞くと「その時期は忙しいから行かない」と言う。そうか受験の時期だ。一応意識しているということらしい。行きたければいけばあ、というが、ひとり残すわけにもいかないしな。出家は折に触れて言っていたものを、そういえば最近言わなくなったところだったから、とうとう決心したということだろう。通常タイの男性の場合、結婚前に出家することになっているようだ。そうじゃないと一人前になったことにならないようだ。1週間で即席一人前になるんだから便利といえば便利だな。出家の儀式は見てみたい気もする。夫は娘に「勉強用具持って行けばいい」と言っている。説得にのるかどうか。
by kienlen | 2010-09-26 22:06 | タイの事と料理 | Comments(4)

楽しみなイナゴ

f0104169_10524222.jpg今、そしてこれからしばらくは在宅中心の生活になる予定。それなのに本も読めそうにない。よって話題がない。よって外からの持ち込みを待つしかない。今朝の持ち込みはこれだった。イナゴ。昨日、店の定休日だった夫はイナゴの捕獲に出かけた。お父さんはイナゴ捕りに、お母さんはお家で仕事。娘の視点を説明すると、そういうことになると思う。そしてお母さんの仕事なんかどうでもいいのだが、イナゴは食べたいのである。「たくさん捕ってきてよね」と言うきり、自分も一緒に行こうとはしないのが、小さい時とは違う。確かに前回はそれほどの収穫がなく、娘が分けてもらえたのは数匹で不満そうだった。今回は、結構騒がしいほどの数がペットボトルの中で跳ねている。空気穴を開けて放置して糞を出させてから揚げる。今はこれを店でやっているが、店を始める前は家でやっていたし、もっと大量に捕ってきたし、手違いでその大量のイナゴを家の中に放してしまったこともあった。

家の中で跳ねるイナゴを捕まえるのは田んぼで捕まえるよりもやっかいである。どこに行くか行動パターンをつかめないのだから。印象に残っているのは、娘が素早く捕らえていたことと、その時に遊びに来ていた友人が悲鳴を上げたことだ。ペットボトルには紐がついている。これを身体に結びつけて捕獲するんだろう。タイでどうやっていたかは知らないが進歩しているというか、なお原始的というか。こういう事をしていると、イナゴのいる田んぼが減少していることが分かるらしい。家の近所にも田んぼがあるがイナゴなど見たことがない。あそこにいたらいいのにねえ、と娘を話していた。日本人はコオロギやバッタは食べないように思うが、そういう区別はないようで(ああ、名前はタイ語でも違いますが)コオロギもバッタも捕まえて一緒に揚げる。揚げてしまえば正体不明ということは決してなくて、やっぱりイナゴよりバッタの方が大きいし、コオロギは色が一層黒い。イナゴを揚げるとエビの唐揚げと同じか、もうちょっとコクがあって実に美味しい。ビールのつまみに最高。娘から「パパ、お願い」と言う方が効果が大きいので、私は欲しがらなくても大丈夫だ。
by kienlen | 2010-09-20 11:14 | タイの事と料理 | Comments(0)

ココナツアイスクリーム

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ココナツアイスクリームは日本でも一般的になってきているようだ。ココナツとくればタイは本場。この間の旅ではやけにココナツアイスが目についた。今までもあったには違いないが、アイスクリームにはほとんど関心がないので、今回のようにスイーツを見ることを目的のひとつにして初めて目に入るわけだ。かといって味見するほどの元気がなくて食べてない。これじゃあダメだ。年齢のせいもあるかな。アイスクリーム食べるなら料理を一品余計に食べたい。食べた人の感想を聞いたら「甘い」と言われたのも怯んでしまった理由。

つまり、ココナツの殻を使ってココナツアイスを詰めるのだが、これ、ココナツの殻を使うためにココナツジュースを取り出さねばならない。そこで「飲んで下さい」と頼まれた。ココナツジュースは嫌いじゃないから飲んだ。アイスは大人気で次々と売れていたが、ジュースを飲みたくない人がいたら捨てちゃうんだろうか、なんて考えた。このアイスだとココナツミルクになる部分を食べることができる。殻の内側についている白いのがそれ。ここは私も大好きで、ジュースを飲んだ後は必ずスプーンですくって食べる。ココナツを見ると思い出すことがある。息子が赤ちゃんの時、バナナやパパイヤを食べさせていれば栄養も取れるし楽だしで便利だったのだが、水の代わりにココナツジュースを飲ませようかと思った。煮沸消毒の必要もなさそうだし。それを言うとお手伝いさんも夫もビックリ仰天して「そんなの絶対ダメ」と言われた。脂肪なんである。コレステロールも高いらしい。無知な母の元でここまで育って良かった。
by kienlen | 2010-08-19 17:32 | タイの事と料理 | Comments(0)
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連日遠出だった先週。ランチをどうするかがひとつの楽しみだった。私は直売所が大好きなので併設の食堂に寄ることは多い。でも地場物の食材というと蕎麦などのお決まりが多いのは難点で、そういうのを食べたくない時はどうしようかなあということになる。写真の日は直売所の2階にもうひとつレストランがあって、そっちに行ってみた。洋食のメニューが並んでいる中に特別らしい七夕ランチというのがあった。洋食よりは和食の方が好きなのでこれを注文。全国的にも知られた観光地の名前をそのまま名前にしたレストラン。でもなんか半端。空っぽの冷蔵庫が店内に出ていたり、従業員が極度に少なかったり。観光シーズンが本格化する前だから、とも言えるだろうけど、それにしてもなあ、と思って経営主体を見たら、××公社となっていたから、何となく納得。それでも観光地だからシーズンに人が入るとやっていけるのかなあ。それはともかく、このセットに食べるラー油がついていた。大変なブームになっているのは聞いていた。「豆腐にかけてどうぞ」と言われた。自家製だそうだ。この取り合わせからすると、辛いものがあるのはありがたいが、あんまり辛そうに見えない。味を見たらぼやけた感じ。甘みの方を強く感じてしまう。どうも「最近人気だから食べるラー油を売ろう」ということになって、直売所とレストランで販売している、程度しか訴えるものを感じない。単に私の感想だけど。

これが流行となると飛びつく人が多いのは日本の特徴にも感じるが、まあ、メディアを通じてしか知らないから本当にどれくらいが飛びついているか知らない。でもあちこちで自家製を販売しているのを見る。で、私は食べるラー油と聞いた時に思ったことは「ナムプリックと似ている」ということだった。タイ料理の典型的なおかずで、ご飯につけたり野菜につけたりする他、調味料として使う種類もある。とにかくものすごくたくさんの種類があって、一口で説明するのは難しいが、いろんな素材をたたいて混ぜてペースト状にしたもの、と言うのがいいかな。例えば焼いたアジの身をほぐして香草と一緒にたたいてなめらかにしたもの。ひき肉を使ったもの。発酵調味料の味を前面に出した物。地域や家庭によって多種多彩。必ず入るのは唐辛子で、ナムプリックという名前も直訳すると「唐辛子の水」ということになる。よく「唐辛子味噌」とか紹介されているけど、ナムプリックという言い方でもっと知られてもいいように思う。食べるラー油のように油中心じゃないし、簡単に手作りできてヘルシーだし、美味しいし。タイだと手作り品をこうして路上に並べて売っている人がいたり市場にもたくさん並んでいる。
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こういうのは市場で買う方が美味しくて、私もバンコク滞在中の夕食の1回は市場からナムプリックと、日本では食べられない野菜をたくさん買ってきてホテルで食べた。その時はタマリンドという木の実のナムプリックにしてみた。スーパーに行くと容器に入ったのが並んでいて、今のお気に入りは「地獄のナムプリック」というの。名前の通り、ものすごく辛い。これをちょっとご飯に乗せたり、炒め物にちょっと入れるのも夏の食欲増進にきく。やっぱりタイ料理が好きなんである。
by kienlen | 2010-08-15 16:01 | タイの事と料理 | Comments(0)

行き場のない話

タイ人の妻と日本人の夫という組み合わせは多いが、その逆は身近にあまりいない。タイ在住だと知り合いは多くなるけど、もう日本に来て長くなりタイとの関係の濃い生活をしているわけでもないと交際も途切れる。そんな中で貴重な友人から電話があった。用事が済むと雑談。夫の店のコックさんのビザの件がどうなったかと聞かれる。「行政書士に頼んでいるらしいよ」と私。ハローワークに行ったこととか入管の対応などを伝え「なんか、ニッポン大丈夫かな、と思うよね」と言うと「そーよ、そーよ、あの鳩山の目を見ていると腹立つわよ」と友人。「でも、石原を選んでいる東京都民もすごくない」と私が言うと「あれは単に選択肢がないからじゃないの、問題はそれよ、選択肢がないのよ」と都民の友人。「日本もだけどタイもねえ」と友人。「タイはもっとひどいんじゃない」と私。

友人とはタイ人の夫を持つという点では同じ境遇だが、他は何もかも違う。労働者と不労所得者、土着系と中国系、中央と地方、子供の有無、等々。そして友人はタイにしょっちゅう行っている。今月も行くらしい。デモ隊側にはひじょうに批判的である。玄関に血を塗られたりしているイケメン首相に同情的である。「でも地方の人達にはタクシンが人気あるよね」と私。「そうよ」と友人。「でもね、千バーツもらってデモに参加しているらしいよ。だったら夫も参加しようかなって言ってた」と友人。「だったら今月行く時にデモに参加して稼いでくればいいでしょ」と私。「何言ってんの。今回は今までと違って、テロみたいになっているから結構怖いのよ」と友人。交通が遮断されて出勤に支障をきたした知り合いの話が相次ぐ。かといってデモ隊以外は他人事という全体の様子。想像に難くない。政治の話というのは着地点がなくて苦手。本当のことが分からない。分からないなりに自分の考えを言うと、それぞれの置かれた立場によって見解がすごく違ってくることが分かる。インフラも社会保障も整わず都市と地方の格差がものすごいタイだと、もろにそれが出る。だから「やめよ、この話」ってことにしたのだが、遠い国のことじゃない点では同じなのだ。
by kienlen | 2010-05-04 09:29 | タイの事と料理 | Comments(0)

唐辛子15本というレシピ

夫が書いたタイ料理のレシピの翻訳を始めた。手書きでいただいたが読めない。読んでもらいながら日本語で手書きしようとしたが、あまりに面倒。それに夫は夫で私のメモを見て「その日本語だって読めない」と文句を言う。その通りである。このまま続けても、後になって自分で自分の日本語読めない可能性もありそうだし時間の無駄もありそうだしで、パソコン入力して欲しいと言った。彼は来日前は一応ビジネスマンであったのでタイピングが苦手というわけではなかった。しかし今は全然ダメ。いかにも面倒そうにしている。しかしお願いするしかない。やるしかないことは彼自身も承知している・・・ハズ。ノロノロと取りかかる。そのうちにコックさんに「入力得意?」と聞く。そういえば彼女は高等専門学校まで出ているのであった。嬉しそうに「できますよ」と言うからやってもらった。事務仕事の方が似合いそうな人である。それを私のパソコンに送信して翻訳作業の始まり。安心だ。分からない言葉があったら辞書引けばいいし。

最初は海鮮のヤム(酸っぱい辛いサラダ)だった。貝、イカ、エビなどを唐辛子とレモン等で和える。定番タイ料理で私も大好物。玉ネギを入れて、セロリも入れて、と、順調、順調。次はソース。私も一応作ったことはあるから知らなくはない。唐辛子とニンニクとパクチーの根をつぶして入れるはず。確かにその通りなのだが、分量を見てびっくり仰天。唐辛子、しかも何種類もある中で一番辛いのを「15本」である。これってあんまりじゃないだろうか。店で作っているのなんか2本か3本である。これだと私は全く物足りないが、かといって15本はないでしょう。まあ、後で訂正すればいいやと思って次。ニンニク10粒である。ここまでくるとあんまりである。夫に電話して「唐辛子15本って何、ニンニク10粒って何」と言うと「タイ人用だった」と言う。「じゃ、私が適当に直しておくから」と言うと「唐辛子とニンニクを変えたら他も変えないと」と、いきなり几帳面になった。それにしても唐辛子15本は間違いだろうと思うが、違うんだろうか。
by kienlen | 2010-03-25 22:13 | タイの事と料理 | Comments(4)

年末の鳥料理

f0104169_21142333.jpg 憂鬱な日記を新年から書くのはやめてタイ料理の話。西暦の年末にタイ人がすることはパーティーに類することのみなので、夫の店に来る人達もいつもに増してお祭り気分となっている。29日の昼に寄った時にあったのがこの鳥の手足を揚げたもの。たいていのタイ人にとっては美味しいものだが、たまたま居合わせた女性は「食べられない」と言っていた。そういうタイ人を初めて見た。バンコクに住んでいた頃、家の前をこれを売る人がよく通っていて、それをお手伝いさんが買ってまだ小さかった息子が喜んで食べていた。今となると信じられない。今の息子がとてもじゃないが食べると思えないから。食は文化なのであると思う。

そういう思い出話をカウンターでした。「食べて、食べて、美味しいよ」と言われて、そういえば今まで一度も食べたことがないしなと思って食べてみることにした。近所の鶏肉の店でキロ200円で販売しているそうだ。それを買ってきて爪を切り落として下ごしらえしたものを店に持ち込んで揚げて貰っているわけだ。持ち込んだタイ人の観点から言うと。でもその下ごしらえが手間なのである。味だが、とっても美味しかった。今までどうして食べなかったんだろう。慣れないから。それと野菜だと何でも手を出してみたいが肉類はそうでもないから。美味しいので3つ、4つ食べた。「昔は、安く仕入れたのをキロ1000円で売りに来ている人から買った」「あの頃はまだ景気良かったもんね」みたいな思い出話をする。「喜んで食べるのは韓国人とタイ人だけ。日本人は食べないもんね」と笑いながら山盛りの鳥の手足はじきになくなった。
by kienlen | 2010-01-02 21:29 | タイの事と料理 | Comments(0)
ベトナム料理はバンコクに住んでいる時にたまに食べた。好きだったのは、レースのように透けるようにした卵で具を覆ったもので名前は知らない、写真もない。フードコートにもあったからありふれた料理なんだろうけど、味よりも繊細に美しい外見ばかり覚えている。タイからは近いので周囲の人達はビザの更新なんかで行っては「女性がきれい」「アオザイが色っぽい」「料理が旨い」「ベトナム人は本を読む、タイ人とは違う」などと高評価だった。私はなぜか行きたいという気持ちにならないまま日本に来てしまった。1度も行ったことなしに帰国したのは間違いだった。こっちから行くよりもバンコクの方がずっと近いんだから。それで、ベトナム料理であるが、有名なフォーという麺を食べたことは1度だけあったと思う。ビジネスビルの2階のレストランだったことをなぜか覚えている。誰と一緒だったのかまでは覚えていない。ただその時「人が言う割にはちっとも美味しくないじゃん」と感じたことだけは覚えている。その店だからなのか、自分の舌に合わないだけなのか分かるわけないが、つまり今日、ベトナム料理店に行ってみたらあの時の感じを思い出したのである。

開店間もないそのベトナム料理店は最近街の話題になっている。私もこの間行こうと思ったら定休日で残念だった。今日、急に友人と思い立って行ったみたのだった。その前についこの間、タイ料理を好きな友達が「これあげる」とカードをくれた。そのベトナム料理の店のカードだった。「もう行かないから」と言う。「何で」と聞くと「う~ん」と言葉に詰まっている。「とりあえずもらっておいて、次の人に渡すと最後の人が得するね」と言ってありがたくもらう。ランチタイムは大入りだった。バンコクでの麺を思い出して注文してみた。連れは豚肉ご飯。周囲の人達は美味しそうに食べている。若いスタッフは生き生きしている。でもなんだかこう情熱というか、何か足りないんである。店の雰囲気にも味にも。肝心な数パーセントが本気じゃないみたいな、そんなイメージ。まあそんなイメージを持つのは流行遅れ、というか流行も分かってない自分だけかもね、と思いながらも、カードをくれた友人の曖昧な笑みが浮かび、なるほどと妙に納得だった。言い難い、そこ。もしかしてそれが決定要因かもしれない、なんて思ったりもした。「気」みたいなものを分析できるか、みたいなことが今読んでいる本に出てくる。何だろう、不思議だな、空気感というのは。
by kienlen | 2009-12-06 22:59 | タイの事と料理 | Comments(2)

ルーズな構造という概念

注文してあった『タイ事典』という本が届いた。発行部数の少ないものはそれなりの値段。で、私が欲しいのってそういうのが多いから、それなりのことになる。でも嬉しくてパラパラとめくっていたら、たまたま「ルースなこうぞう」という項目が目に入った。これはタイ社会を表す概念として有名なものだが、その後はいろいろ批判もでたらしい、ということは知っているが、厳密にどういう批判であって、結局定説がどこにおさまっているかまでは知らない。私自身はこの論文を読んだ時に結構納得できたので、そのようなことをどこかの先生に雑談で話したら、嫌な顔されたから、そうかあ、とっくに通じなくなっている説を持ち出してはいけないのだろうか、と、学問の世界にいない自分としては引っ込んでしまったことがあって、何か気になっていた。そんなわけで目について、何が書いてあるんだろうと読んでみた。

すると、最後に「その後多くの論争があったが、この概念はタイ社会の社会文化の特徴を的確に示したと言える」とあった。つまりこの事典ではそういうとらえ方が示されてるわけだ。何か嬉しいというか、そう思ってもいいんだな、という安心感。夫から村の様子など聞いても、日本のような村社会とどうも違うなあという感じはあるし、ルースという概念はすごく当っているように思うのだ。で、それだけだと、どってことないのだが、この説を発表したエンブリーという人がなぜこの論文を発表したかというと、実は日本の村を調査していて論文を書いたことがあって、その後にタイのアメリカ大使館に赴任して、タイの個人主義が日本の集団主義とあまりに違うことにショックを受けてこの論文になったとあって、それだったらなおのこと面白いなあと感じた。で、エンブリー自身がルースさについて「将来予測を困難にし、社会統合を困難にするなどのマイナス面もあるが、変化する現状にすばやく対応するプラス面もある」としたそうだ。なるほど、現在のような変革期に何がどうなるかって意味ではひじょうに参考になると、ひとりでこっそり悦にいっている。
by kienlen | 2009-10-30 19:57 | タイの事と料理 | Comments(2)

薪がないから生で食べる

そもそもこのブログの主人公でなければいけない我が家の純粋タイ人約1名であるが、特に面白い話題を提供してくれるような人でもないのでブログタイトルとは無縁のマイペースで生活されている。もっともそれには、私自身の感受性の鈍さ,つまりあんまりいろんなことに驚かないという点が影響しているかもしれない。それでもたまにへえっと思うことがある。それは夫の生食傾向についてである。虫食も驚く人は驚くようだが、私はもう慣れてしまったし。で、生食の対象は野菜。ちなみに生魚は相変わらず食べない。刺身も鮨も基本的には食べない。タイでも日本食はかなり定着している中で、鮨を食べないというのは逆に珍しいかもしれない。

店を始めてからというもの、夫がウチの食卓に加わるということはごく少ない。だから彼が何を食べているか知らない。たまに店で彼の食事風景に出会う。タイ人だから当然「食べる?」と居合わせる私に聞く。これはまあ礼儀みたいなものである。田舎風の賄い食の方が都会風のメニューよりも私は好きなので食べる。ついこの間は魚の発酵調味料中心のナムプリックに菜花の山盛りが出てきた。菜花は生である。インゲンやらナスやらその他葉っぱ類やらも生で食べる。菜花は私も大好きだが「ちょっと湯がいてくれないかな」と言ったら「生の方が甘くて美味しい」と言いつつもそうしてくれた。でも生に未練ありの様子。前々から、いろんなものを生で食べる人だなあと思っていたのだが、今、タイ料理の本を読んでいて謎が解けた。東北地方は平野で木が少なく薪が不足するので生食が多かった、とあった。なるほどーー納得。実際、熱源を使わない料理がタイ東北地方には多い。それに西洋風のサラダのように油も使わないし、味のバリエーションも多彩で、ご飯のおかずに合うのはサラダ以上。エコ&ダイエット料理として売り出したらいいと思うが、こういうことは当事者は気付かないものらしく、賄い料理に徹しているところがどうかと思う。
by kienlen | 2009-10-24 13:38 | タイの事と料理 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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