カテゴリ:タイの事と料理( 150 )

『ブリジット・ジョーンズの日記』の続編を友人が貸してくれたDVDで昨夜観た。これ、サブタイトルが「きれそうなわたしの12か月」になっているが、観終わって、もしかして「はちきれそうなわたし…」なのかと思ってよく読み直ししてしまった。間違っていなかったけど、はちきれそう、の方が内容にあっているし、私ならそうするな。前作は映画館で観た。巷に流布している評を読む限り、太った女性が恋愛にがんばる、みたいな印象が強くて、こういうのはテーマとしては興味ない。ところが、センスのいい友人が「東京で時間があったからたまたま見たら面白かった」と言うので行こうとして、映画館を間違えて『スウィート・ノーベンバー』というアメリカ映画の方に入ってしまって、バンコクで待ち合わせのホテルを間違えてツアーに参加できなかったことがあったことを思い出したが、その時はホテルの名前が(私的には)似ていたけど、これらの映画のタイトルは(私的にも)似ていない。数字も弱いがカタカナにも弱いのだ。それで、このスイートが最悪につまらなかったことが、ブリジットと表裏のように貼り付いていて、自動的に思い出されてしまう。記憶って、こういうものなんだ。

観てみたら想像以上の面白さで、映画って楽しいなあと思ったし、元気がでた。続編はだから期待したけど、はずれなかった。特に続編にでてくるタイのシーンは、私も行ったことのある場所も登場。タイの仕事を終えての帰路、主人公が友人から預かった荷物に麻薬が入っていて空港で逮捕される、という実にありふれた事件に巻き込まれる。実際、私のバンコク在住時、イギリス人の若い女性2人の荷物から巧妙に隠された麻薬が見つかり、大きな話題になった。というのは、イギリス政府が彼女達を帰国させるように圧力をかけたからで、そうでなければ、ありふれた事件でひっそり終わっていたかもしれない。確か、無罪ではなかったはずなのに釈放され、その時、イギリスの政府は個人の旅行者も助けるのだ、と驚いたことを覚えている。映画の展開では、主人公のカレが弁護士で政府のコネを使いまくって助ける、ということになっている。あの事件の裏にも類似の事情が何かあったのだろうか。オーストラリアで麻薬の罪で有罪になって服役している日本人女性の手記を読んだことがあるが、彼女の主張は無罪であり、それなのにあまりにずさんな取調べや通訳等の状況が告発されていた。それが事実でそれでも長年放置されていたとすれば、イギリスの例と比べて、国家と個人をめぐるこの違いは何なのか、と思ってしまう。
by kienlen | 2006-06-06 12:18 | タイの事と料理 | Comments(0)
夫の店の店番は予想通り暇だった。「ミヤ(妻) フィリピン」と怪しげなタイ語を使い、「ほら、かわいいでしょ、アムロに似てない?」と携帯に入ったインドネシア女性の写真を、お願いもしていないのに見せてくれる日本人男性がパッタイを食べたのみ。売り上げ高700円。暇なのでテレビを見ていたら、希望する女性がモデルになってダイエット(希望部分を細くする)競争するという番組をやっていた。家では全くテレビを見ないのでこういうのが人気なのかどうか知らないが、珍しいから見ていた。すると、1人のトレーナーは、タイの仙人の動作とムエタイ(タイボクシング)とタイ料理でダイエットメニューを組んでいた。唐辛子を大量摂取する私の好みは、どうやらここでいうダイエット食らしい。番組ではその代表として、ソムタムが紹介された。青パパイヤを削って酸っぱく辛く合えるもの。私の大好物でもある。へー、これが紹介されるとはね、と思って見ていたら、パクチー(コリアンダー)も入れるという。何を入れようが好みだが、私の知る限りパクチーをソムタムに入れるのは聞いたことがない。夫に聞いたら「あり得ない」。この料理は、夫の故郷である東北地方の郷土料理で、彼にとっては最も親しんでいるもののひとつだ。

外国の料理が飛躍的に応用されるのはどこでも起こっているからいいのだが、面白いと思うのは、日本ではパクチーがタイ料理の象徴のようになっていることだ。店にいると「パクチーが好きだからたくさん入れて」と、通常はパクチーの入らない料理を注文して言うお客さんもいるし「パクチーが食べられない」と表明する人もいる。それが暗示するのは「だからタイ料理は食べられない」ということ。パクチーは根っこをヤム(和え物)のソースに使ったりトムヤムに入れたり、もちろん葉もよく使うが、かといって何にでも入れるというわけではない。だから嫌いでも恐れることはないし嫌なら「パクチーは入れないで」と言えばいいのだ。タイ料理の注文方法で日本の人にとって分かりにくいのは、あれは入れるな、これを入れろ、と、とにかく我儘がきく、というよりは自分の好みを伝えることからスタートするということである。これに慣れると、タイ料理でない店のお決まりのメニューが不思議に思える。夫の店ではタイスタイルそのままで「好みを言って下さい」「メニューにないものも作りますよ」としている。慣れている人は当然の反応。でも、そうでない人には、そもそも何を言っているのかも分からない。それで、ここは日本だったっけ、と気付く。
by kienlen | 2006-06-03 21:48 | タイの事と料理 | Comments(2)
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パソコンの動きが鈍くなっているなあと思っていたら、容量不足とかいうメッセージが出て、強引にやっていたらフリーズして働かなくなってしまった。来週早々に、某大学で1コマ話すことになっていて、パワーポイントにたくさんの写真やら図やらを突っ込んでいたせいだと思う。1回だけで話すとなると、あれもこれもと欲張りたくなって収集がつかなくなる経験はあるので、なるべくシンプルにしようと思うが、これを言うためにはこれを説明しないとならないし、こういう面はあると思うけど、こっちから見ればこうだし、と考え始めるとキリがなくなる。要は何を捨てるかで、慣れていることだとその判断を迅速かつ的確にできるのだろうが、慣れないことをするのはものすごく時間がかかる。このために、昔、タイにいる時に撮ったスナップ写真をたくさんスキャン(デジカメはなかった)したのでこっちにもアップしてみた。これはカンボジアとの国境で、2歳か3歳の息子同伴で遊びに行ったので、多分93か94年頃だと思う。

観光旅行というのは、ほとんどしたことがないし、何かにマニアックになるような性格ではないので、国境に興味があるからといって国境マニアにはなれないが、島国の人間だからか、どっかに行くとすれば国境に行きたくなった。夫の実家のある県はラオスとカンボジアに接していて、駅に下り立つとクメール語が聞こえてくるし、夫の母語はラオス語である。写真の国境までは確かその実家に行った時に足をのばしたのだが、ちょっとのばすのかと思ったら人の気配のない道を延々と走ることになり、実はあの時は内心覚悟をした。左側は針金の防御と「地雷」と英語とタイ語の注意書きの連続。ここで賊に襲われたところで自己責任であるが、息子はまだ生まれて間もないからかわいそう。でも、なんとか無事に国境に到着すると意外に賑わっていた。でも地雷原の中の限定された場所であることは、ちょっと見には美しい林の中のいたるところに地雷を喚起する看板があったので分かった。カンボジアとの国境は政情によって開いたり閉じたりするので、地元の人から情報を得て行った方がいい。夫がタイ人であるという事情がなければ、もしかしてなつかしい思い出になっていたかもしれない。あそこ、今はどうなっているか、は、ここにいても日常感覚的な関心事である。パソコンの容量オーバーのおかげで寄り道をしてしまった。
by kienlen | 2006-06-01 12:49 | タイの事と料理 | Comments(0)

バンコクの危険な建築物

バンコクから客人があった。私達がバンコク在住時に住んでいたタウンハウスの借主で、10年近く住んだので気分転換もあって引越しをするということ。少しでも家賃収入があるとタイへ行った時の足しになるし、私としてはタイへの短期でいいから留学が夢なので、その費用にもなるな、と思っていたので引越しは残念だが、しょうがない。懐かしい家の近所の様子を聞いて、10年の間の変化は大きいものの、決定的に秩序だった国に変身したわけではないことは分かった。タウンハウスというのは、日本でいうところの長屋のようなものだ。壁を共有しながら長々と同じタイプの住居が並ぶ。2階建てもあるし3階建てもある。一戸建てより手軽で、治安の面でも気分的には安心感を得られ(屋根から泥棒が入ったのを目撃した友人もいるのであくまで気分的)るし、1階を食堂や雑貨屋や仕立て屋にするなど商業目的にも利用しやすいので人気がある。

本日の客人によると、近所は一時建築ラッシュで眠れなかったらしい。なにしろ隣家と壁を共有しているのにもかかわらず、隣も向かいも新築、というか増築したのだそうだ。それも、向かいは4階建てで隣は3階。もともとは2階建てのもの。壁を共有する隣でガンガンやるのだから地獄だったという。そして「地震があったら倒壊ですね」と客人は自信あり気に言う。バンコクは地震がないということになっているので、私が在住時に遊びに来た友人の建築士が、建築中の建物を見て声を失っていたが、実は揺れなくてもつぶれる建物は結構あった。記憶に残っているものでは、地方都市においては外国人も泊まるしコンベンションにも使われるようなホテルが倒壊して多数の死傷者がでた。それから職場の同僚だったタイ人が買ったコンドミニアムが、だんだん傾き始めてとうとう倒れたと、すごく悩んでいた。建築主は、金を払ったら建て直すと言っていたとかで「庶民は騙されるばかり」と嘆いていた。有名人や外国人がいない限り、たいした問題にはならないのだ。過酷であるが、あそこまで徹底していると、そもそも誰かをアテにしようとか保証してもらおうという発想にならないので、潔くなる、というかならざるを得ない。
by kienlen | 2006-05-28 22:30 | タイの事と料理 | Comments(0)
勤め人がいないのでカレンダーの文字色はあまり関係ない。夫の店は、盆も正月も無関係にただ日曜日だけ休んでいる。弁当を届ける必要があったので、ついでに息子のバレーの試合を観戦する。大きな大会らしく臨県からも来ていて、校名がいかにも海辺の雰囲気だったりして、それだけで異国情緒みたいなものを感じる。つまり日ごろは狭い世界に生きていることを実感。このところどうも元気がでないのは歳のせいばかりでなく、今の生活に飽きがきているのだと思う。考えてみるとずっと仕事が変わるか家族構成が変わるか引越しで住処が変わるかを繰り返してきたのに、このところ変化が少ない。子供が小さい時には手がかかったので日常そのものが変化の連続という面があったが、それも一段落した。中学3年というと、受験生ですね、と言われるし、確かにそうなのだが自分が受験するわけでもないし、見ているとイライラするので逃げ出したい。夫の店の店番がいれば、私はしばらく旅に出られるのだが、と考えていたら夫が「Sがオーストラリアに店を買ったから行くか」と言う。

Sというのは夫の実の兄だ。バンコクで夫と知り合った頃に「兄がアメリカにいるが全然帰って来ない」というから、それをアメリカに留学していたことのある友人に話したら「密入国して帰るに帰れないんじゃないの。そういう人いっぱいいるよ」と言われ、そうかなと思っていたら、突然バンコクに来たのである。それも日本人の彼女を連れて。日本人とタイ人が留学先の第三国で親しくなる例はたくさん知っている。聞けばAFSの奨学生として高校からアメリカに行き、そのまま就職して長いこと住んでいたという。専門がコンピュータだったのでバンコクの優良企業に就職したのだが、帰国子女にありがちな異文化ギャップで長く続かず「やはりアメリカに戻る」と言い残して去っていった。その前に日本で一休みのつもりが、10数年にもなったという経歴の持ち主。米国企業勤務だったので本国転勤を希望していたが叶わず、結局辞めて当面妻子を日本においてオーストラリアに、つい最近渡った。Sが自分で店をやるわけがないから投資のつもりだろうか、と夫は言うが、そう深い交流があるわけでもなくまだ不明。ただ、私にとっての関心事は、外に出る口実にはなるな、ということだ。それで今、作戦を考えている。
by kienlen | 2006-05-04 21:47 | タイの事と料理 | Comments(0)
モンゴルの話を市内のS大学できいた。本日だけの講師は内モンゴル自治区出身で遊牧生態学が専門のN先生。とても興味深いものだった。自分が知らない分野だと何もかも新鮮で刺激になるし、疑問をはさむ知識が皆無なので、とても素直にしみこんでくる。モンゴルで遊牧と植生の関係を実験と聞き取りで調査していることから、そのデータを使いながらの説明。人が家畜を追いながら時間的、空間的に移動する遊牧という生産様式は、草原の維持に適したものであるというのが先生の主張。遊牧を続けているモンゴルに対して、内モンゴルは政策的に定住化が進められ、草原が荒廃。これが黄砂の大量発生にも貢献しているということだ。暑いと40度、寒いとマイナス50度、極端に少ない降水量で乾燥気候のため、農耕には不向きというモンゴルの自然条件で育つのと、温暖な気候でいつも水がある日本で育つのとでは生活様式だけではなくて、人間の基盤みたいなところが違って当然だろう。

モンゴルの暮らしを知らないので、思い出すのはタイで暮らしていた頃の驚きだ。家の周囲にガティンという食べられる植物を植えて生垣にした。桃栗3年柿8年ではないが、木が育つのには年月を要するという思い込みがあったので、大切に育てたいと思ったのに、それは余計なおせっかい。勝手に見る見る大きくなる。油断するとすぐに伸びるので、最初はもったいないと思ったが、とにかく常に切っていなければならない。通りかかる人が自由につまんで食べているのも、気になるどころか、もっともっとやってくれ、である。料理に頻繁に使うレモングラスを植えようとしたら隣から「そんなもの植えたら増えて困るからウチのを自由に使ってくれ」と言われた。冬がないので休息する期間もなく、自然に食糧を提供し続けてくれるのだ。豊かさとはこれか、とつくずく思った。とはいえ、自然環境に異変が起こっているのは、今日のモンゴルの話でも聞かれたが、タイでも、私が住んでいた頃にはくっきりしていた雨季と乾季の変調を一時帰国の際によく聞いた。このような変化の影響を直接受けないのが都市の暮らし。それを豊かと呼ぶことに相変わらず馴染めずにいる自分の半端さがやっかいだ。
by kienlen | 2006-05-01 23:32 | タイの事と料理 | Comments(1)
ちょうど10年前の今日、タイから日本に戻ってきた。子供の誕生日くらいは覚えているが、結婚記念日なんかは忘れているし、記念日とか伝統行事にはあまり興味のない無粋者だが、今頃だったなあと思って2日前にパスポートで確認したら今日だった。夫に「10年前の今日来たんだよ」と言ったら「そんな事分かっている」と言う。私に輪をかけて無粋な人なはずなのになぜ覚えているのかと思ったら「入管に行くたびに最初の入国日を聞かれるから」ということ。今は永住ビザになっているが、その前は何度も入管で手続きしたのだから暗記していて当然だ。そういえば、確定申告の時にもエイリアン用には別紙があって、最初の入国日の記入欄があったが、私が覚えていなかったので調べるのも面倒で、空欄で提出してしまった。税務署から今のところ何も連絡がないから、さして重要事項でもないのだろう。

あの時日本に来たのには、息子の日本国籍回復のためという単純な理由がひとつにはある。1985年以降、両親のどちらかが日本国籍者であれば、国外で生まれても日本国籍を取得できるという父母両系血統主義を日本はとっている。出産が近くなった頃に、在バンコクの日本大使館領事部に電話したところ「大丈夫ですよ。お母さんが日本人なら日本国籍取れます」という返事だった。当時、私達はバンコク郊外の安い住宅地に住んでいて、家には電話もなく、バス停のある道路まで、バイクを雇うか不定期な乗り合いトラックを利用するしかなく、さらにバスに乗っても交通渋滞で中心市街地に着くのに何時間かかるか不明、何時に帰り着けるか不明という状況だった。暑いし空気は汚いし、とてもじゃないが赤ん坊を連れて出られないまま、3か月が過ぎた。なんとか住み込みの子守兼お手伝いさんを見つけて一息つけたので仕事に復帰し、さて子供の手続きをしようと思ったら「3か月過ぎたので国籍喪失」と言われたのだった。予め電話で問合せした時に期限を知らされなかったと言っても遅い。そんなことは常識なのだそうだ。この時は泥縄式な自分の生き方をさすがに反省した。6か月日本にいて国籍回復の手続きを取るしかない、と教えられ時期をみはからっていた。ちょうど他にも思うところがあって4月28日に来たのだった。
by kienlen | 2006-04-28 15:14 | タイの事と料理 | Comments(0)

日本人を意識する時

忘れ物を学校へ届けるようにとの娘の電話で起こされる。気がつくと激しい雨だ。今チェックされたらまだアルコール分が検出されるかも、と思いながら車でギョウチュウ検査セロファンと検査用尿の入った容器を届ける。こういうものは「誰かに借りて」とか「明日にして」とか「だから前日から用意しておけっていってるでしょ」とも怒れないからしょうがない。指定された通りに下駄箱の靴の中に入れてやった。ちょっとした仕事を片付けて、遅めのランチをとりに夫の店に行く。タイ人女性と日本人男性のカップルが1組カウンターでビールを飲んでいて、夫も暇そうに、鶏の内臓のぶっかけご飯を食べていた。テレビで伝えている竹島問題に対して「こんな小さな島で争わないで、くれてしまえばいいのに」などとタイ人達。愛国者の足元にも及ばない自分だが、かといって、さまざまなニュースを他人事のようには思えない時、外国人に比べると確実に日本人だと思う。

私達夫婦を見て私に「大変ですねえ」と同情してくれる人はほとんどいないが、夫に「外国に住むのは大変でしょう」と言う人は、なぜかとっても多い。外国に住むということの何が大変か。そんなことは、各人の目的も状況も多様な中で一概に言えないが、自分の経験では、情報量の少ないことの気楽さの方をむしろ感じた。タイ語の新聞が読めないと、殺人やらレイプが多発していることを知らずにすむし、タイ語会話が分からなければ人々が、アパートに泥棒が入っただの、後をつけられて怖かっただの、貸した金が返ってこないだのの話でそんなに盛り上がっていることを知らずにすむ。タイ人にとっては日本は犯罪の少ない国であるが、毎日のように学校から「不審者情報」が配信され、あの手この手の詐欺やら予想もつかないネット犯罪、ドラックの氾濫などの情報が意識しなくても耳に入ってくる私にとっては、不安を抑えることが結構大変だったりする。どうもタイに住んでいた頃は夫の方がクラク、日本にいると私の方がクライような気がする。
by kienlen | 2006-04-20 17:31 | タイの事と料理 | Comments(0)
夫が経営するタイ・レストランにかけてあるカレンダーはタイ製だ。座ると自然に視野に入ってしまうカウンター席のお客さんの目が、一瞬そこに釘づけになるのを感じることがよくある。そのまま黙って視線をそらす人もいるし、なじみのない祝日について尋ねる人もいる。4月の赤字の日は13日から15日。タイでは最も重要な行事ともいえるソンクラーン=水かけ祭りで、とりわけ真正タイ人(中国系の対)にとっては伝統的なお正月。帰省して家族と共に過ごす人が、他の機会の時よりずっと多い。それとこの時期は1年中で最も暑く、気温は40度を超える日もある。美味しいマンゴーの露天が一番多い時期でもある。

私は、空気の抵抗感みたいなものを感じなくなる体温並の気温、36度くらいが好きだ。それも夕方の36度。とびきり辛いタイ料理とビールがあって、この気温。思考力ますます低下で、嫌な事があっても、まあいいか、こんな美味しいものがあるんだし、で思考停止。セカセカよりダラダラが似合う。周囲のタイ人達に「仕事やだなあ」と言えば即「じゃあ、やめればいい」だし、好奇心でいろいろ追求しようと思うと「ヤー・キット・マーク(考えすぎるな)」が口グセである。楽しくないことは美徳ではないようだ。カレンダーを見てそんな思い出にひたった後に英字新聞を見ていたらソンクラーンの写真が大きく掲載されていて、こういう趣旨のことが書いてあった。つい先日まで首相退陣を求めるデモで大騒ぎだったタイだが、ソンクラーン祭りがきたらまるで政変など何事もなかったように人々は水の掛け合いに興じている…。タイに関する報道というのは、どこかとぼけた味付けをなされるものが多いように感じる。そういえば、バンコク在住時に女性専用のバスを導入するかどうかという案が持ち上がった時も「女性が差別されているわけでもないこの国で…」というような枕詞付だった。現金収入が低くても食糧自給はできる、地震を始めとする天災が少ないなどの幸運が、工業化の進展や貿易自由化や環境悪化でチャラにされず、おとぼけ報道にも怒らなくていい状況でいられることを願う。
by kienlen | 2006-04-17 17:12 | タイの事と料理 | Comments(0)

風の前奏曲

怠惰な日々だ。子供達がパンを食べて自分で出て行くのをいいことに、遅くまでベッドの中にいる。今までは、過程はどうでも結果という仕事を請け負っていたので、自分の中に、やる時はやるんだし…、という気持ちがあって、朝寝の内心の言い訳にもなっていたのだが、今は外仕事も内仕事もろくにしてないのにこれだ。タイ料理の店をやっている夫が洗濯機を回して、出掛けに「干すのはやってくれ」と言って出て行った。はい。気持ちを切り替えようと思ってバドミントンの練習に行き、夜はタイ映画『風の前奏曲』を観にいった。ナイトショーで1週間だけの上映で今夜が最終日。タイ映画はこの地方都市で上映されないし、ほとんど観たことがないし、予告を観た限りでも自分の好みそうでもなくて期待していなかったが、結構感動してしまった。なぜだろう。

タイが好きで行ったのでも暮らしたのでもなく、偶然の積み重ねだったのだし、まさかタイ人と家族をもつとは考えていなかった。だから特にタイに愛着があるわけではないが、とはいえ30代の大半を過ごしたのだから影響は大きい。それが今日の映画の感動にもそのまま反映しているようだ。お話は複雑ではなくて、木琴のようなタイ伝統楽器、ラナート奏者の子供時代から死までを描いている。このところ劇場で観た映画というと『シリアナ』『ミュンヘン』、少し前の『ロードオブウオー』といい、背景が単純でないものだっただけに、これはなごむ映画だった。近代化政策のために伝統文化を統制する話や戦争もあるが、そういうことよりも、見事な演奏が見物だった。出演者もいかにもタイ人という風貌。隅々までタイ理解のキーワードのひとつともいえる「ナームジャイ(寛容な心)」が感じられて素朴になつかしい。子供達を連れて行きたかったが、部活疲れで断られた。無理しても連れて行けばよかったとまで思ってしまった。明日から飲みすぎず寝すぎず、居住まいを正そうかと思う。
by kienlen | 2006-04-07 22:53 | タイの事と料理 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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