カテゴリ:読み物類( 716 )

重くるしい雨の1日

気分悪く目覚めた。そのまま夕方になってしまった。ぼーっとして本棚を見ていたらまだ読んでない『無国籍者』という本に気持ちが惹かれたので、読み始めた。中薗英助著。初版の刊行は1982年。この間、書店に行った時に、店頭で行われていた古本市をのぞいたら、面白そうな本を何冊か見つけて買った。その中に、特集によっては時々買っていた『現代のエスプリ』という雑誌の「じゃぱゆきさんの現在-外国人労働者をめぐる問題点」という特集の号があって、即決で購入。というのは発行が1988年で、これは私がタイへ行った年であり、在日韓国・朝鮮人というオールドカマー問題とはまた異なる、新しい外国人(ニューカマー)問題が表面化しつつあった頃のものだから。タイ人の流入のピークはまだちょっと先(1991年)で、フィリピン人が中心的に扱われている。読み物というよりは、資料として持っているべきかな、と思って手元に置いておこうと思ったものだが、興味深い論考が多くてほとんどに目を通してしまった。入管協会発足の経緯とか、文部省指導の英語指導員導入など、歴史的に見渡せて便利だった。編集にはこの分野の第一人者の一人の田中宏が入っている。この本を今まで知らなかったのは迂闊だった。

そんな流れの中にいたから『無国籍者』に興味がいったのだと思う。読み始めたらとっても面白い。国籍不明、中国語を話すが日本語は話さない密入国者を入管が収監したのだが、その取り扱いをどうするかで、入管内部にも外部からも、いろいろな事態が発生する、という話。とはいえ、まだ半分しか読んでないからこれからどういう展開になるのか。ここまで気分が悪くなければ、とっくに終わったはずなのに。重たい雨のせいだろうか。明日は娘の高原学校で、彼女は昨夜てるてる坊主を何体も紙に描いて「晴れ!」「雨に負けるな!」との呪文を書き付けていた。これが結構迫力で怖かった影響かもしれない。しかし、明日の高原学校の登山は無理だろうな。
by kienlen | 2006-07-16 18:05 | 読み物類 | Comments(0)

市民が武装する・しないの歴史と理由

小熊英二『市民と武装』を読んだ。「市民と武装-アメリカ合衆国における『武装権』試論」というのと「普遍という名のナショナリズム-アメリカ合衆国の文化多元主義と国家統合」という2つの論考をおさめた本。前者は、市民が銃を持って自分を守るという思想と実行の背景を考察したもので、それはつまり、日本ではなぜそうならなかったのか、という点とも表裏の関係であって、ここにも言及されている。私には実に実に興味深い内容だった。市民が武装することで、国家の暴力が市民に向かうのを防ぎ(確か憲法もそういう役割だったはずだが、なんかすり替えられつつあるような)、それはつまり、誰が武器を所持して戦う権利を持つかは、誰が市民として認められるかにかかっているわけで、アメリカにおける黒人と白人の関係、日本では武士とその他の関係が論じられる。いずれも戦争のたびごとに変化があり、兵器が近代化するにつれて、国家が武装権を独占することになる。なんて、短くまとめるのは乱暴すぎでしょう。この人のはいくつか読んだが、いずれもひじょうに面白い。それに扱うテーマの幅が広い。

後者のは、アメリカの孤立主義と国際主義という一見矛盾する立場の整合性がどこにあるか、というような話で、これも実に面白かったが、ただ、最近はこのような点に触れるものをよく見るので、どうしたのかな今更、と思っていたら書いたのが1992年ということで、9・11やイラク攻撃ではなくて湾岸戦争がきっかけとなっている。となると、かなりの先見性ではないだろうか。それにしても、アメリカの関係の本を読んで感じるのは、成り立ちといい何といい、何から何まで違うのに、情報で最も多いのがアメリカで「アメリカでは○○」、政治のレベルも「日米なんとか」が、いろいろあるけど、何か共通理解はあるんだろうか。それとも、そんな面倒くさいことはともかく共通利益だけでいっているのか。ここらへんを一般人にも分かりやすく説得していただかないと、いいのかなこれで、という疑問が膨らむばかり。小熊英二は当初はアメリカ研究の予定だったそうだが、日本近代研究に移った。この2つの論文は研究のスタートの頃のもの。文庫化されないとしても、がんばってトライしますので、ますますの発表をお願いします。その前にまだ未読たくさんありだが。
by kienlen | 2006-07-10 10:55 | 読み物類 | Comments(0)

言論の自由が守られるべき理由に感動

こうして日記を書いていると、自分の生活には決まったパターンが少ないことに気付く。明るくならないうちに寝て午前のうちに起きるという習慣は遵守しているが、仕事はあったりなかったりで、それも在宅だったり現場だったり。自分で調整できるものものあれば、相手の言うなりの場合もある。全く働かない日が続くと安心して(内心は絶望的に不安)、暇暇と言いふらすが、突然ブッキングがだぶったりもする。一方を諦めて、ああ…残念ということも、たまーにはある。連日インドアあり、連日アウトドアもあり。で、アウトドアが続くと新聞がたまる。朝に読みそびれると、夜に読むのも間抜けな感じで翌朝に持ち越す。こうして順繰りに古新聞を読むことになる。今朝は、昨日の新聞を読んだ。で、ひとつ感動的なコラムがあった。

ダグラス・ラミスが、イランの政治哲学者が当局に逮捕されたことに対して釈放を求めつつ、言論の自由をなぜ守るべきなのか、という点を論じている。いいなあと思ったのは、人権など、よく持ち出されるが、近代の発明と言われると弱い概念を使うのではなくて、「私たちが生きるのに呼吸が欠かせないように…話すことは魂の呼吸であり…人を強制的に沈黙させることは魂を殺すことにほかならない」「言論の自由をつぶすことは社会の呼吸を破壊し、社会という生き物の息の根を止めることに他ならない」と、魂の次元で述べていること。これに説得力を感じる人とそうでない人はいると思うが、理屈より直感に頼りがちな私は前者。この人の本で『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』が良かった。○○しないと××になってしまう、と偏狭な道に入ってしまうと、○○でない人は排除される恐ろしい世界になる。そうならないためには、そう思い込まざるを得ないような情報ばかりでなく、他方面の情報も取り込んでいかないとならないと思うが、その意味で、読む価値のある本。古新聞の小さなコラムながら健在ぶりを知って嬉しくなった。
by kienlen | 2006-07-07 23:13 | 読み物類 | Comments(0)

『自壊する帝国』を読んだ

佐藤優『自壊する帝国』をやっと読んだ。佐藤優は好きなので、迷うことなく買っておいたものだが、しばらく手付かずだった。昨日まで読んでいたのが仲正昌樹『分かりやすさの罠』という新書。新書なのに、私には難しすぎた。分かりやすさの罠に引っかかりたくないと思ってはいるけど、それをテーマにしたものがあまりにも理解できないと、それはそれで自分がみじめになる。意地になるような根性があるわけでもないのに、この著者は好きなので、意地を張って字面を追って最後までたどり着いたが、おかげでやたらに時間がかかり、全体的な満足感も得られず。続けて、この本にとりかかったら、これはさすがに面白くて、読みふけってしまった。中だるみ全くなしで、最後まで緊張感を維持でき、それも快い種類のもの。今日は特にすることもなかったので、友人とお茶に外出した以外は本書を離さず、夕食はいつにもまして簡単に済ませた。

帯には「どんなスパイ小説よりもスリリング」とあるが、大げさと思えない面白さ。昨年の『国家の罠』の国家は日本だと思われるが、今回、自壊する帝国はソ連。佐藤優が外交官としてモスクワに赴任している間に起こったソ連の崩壊までを、多方面の要人との交流を通じて、内側から描いたもの。私にとって興味深いのは、体制や理論よりは、思想や利害や戦略や虚偽、諸々が渦巻き、入り組んだ組織や人々の中で、情報収集及び分析活動する外交官が、行動の基準をどこにおいているのか、という点で、それがよく登場する表現「筋を通す」であるようだ。ロシアにおける人間関係で最も信頼されるのがこれということだが、だとしたら日本とは随分違うのだなって感じがする。それとも要人、エリート、インテリの間だけのことなのか。庶民は完全シャットアウトの世界なので、そのへんは分からないけど。政治の中枢という限られた場所における、最高にスリリングなノンフィクションだと思った。この情報量で1600円はお得感あり。
by kienlen | 2006-07-03 23:17 | 読み物類 | Comments(0)

主婦力で稼ごう!特集の感想

『婦人公論』という雑誌を買った。米原万里への追悼文を読みたかったから。2年半はガンとの闘いだったというから、私が彼女の講演を聴いた時はすでに当人は知っていたのだ、ということが分かった。雑誌全体の特集テーマは「主婦力で稼ごう!」というもの。主婦の感覚や経験を活かして稼いでいるという、カリスマ主婦とか子供がいる芸能人が登場して、稼ぎ方とか、いかに家庭と両立させているかなどを語る。稼ぎの機会はネットで格段に広がっているようだ。株取引、アフィリエイト、弁当を公開するブログ等。ほとんどに共通しているのが、あくまで主婦であって、仕事にのめりこんで家庭生活を侵食してはいけない、という考えの方々なのか、まとめ方をあえてそうしているのか。最後の結びの典型は「家族の生活を支えているのは、やっぱり外で働いて、安定した収入をもたらしてくれる夫。その感謝の気持ちだけは、忘れずにもち続けたいと思います」。

安定した収入をもたらしてくれる夫がいる、というのは心底羨ましい、が、ここで安定しない収入の夫を恨む気はない。そうではなくて、「主婦」という言葉でよく分からないのは、一体何をそんなにすることがあるのかなあ、ということだ。よく「家事の合い間にできる仕事」なんてのもあるけど、小さな子がいたり、要介護者がいたり、特別手のかかる人やその他生き物がいるという状況以外だと、洗濯機を回している間に掃除して、夕食の前あたりに取り込んでたためば、後は食事作りくらいしか、私にとっての家事イメージはない。これは貧困すぎるイメージなんだろうか。こんな貧困なイメージしか描けない自分なので、「主婦です」と胸を張ることはできない。ろくに仕事がないと「職業欄」などの記入に困るが、その時に「主婦」という肩書きが浮かばずに、逡巡したこともある。主婦が何をしているか、もっと掘り下げて特集して欲しいと思った。
by kienlen | 2006-06-30 08:50 | 読み物類 | Comments(2)

好きな2人が紙上に現われた

いつも行く書店のいつも最初に行くのは、いわゆる論壇誌や裏論壇(?)誌が並んでいるコーナーなのだが、そこで見る限り、思想の傾向を問わず佐藤優一色なのに驚いていたら、今日の新聞の杉田敦(『デモクラシーの論じ方』はすごく面白い)の論壇時評に、「…論壇を『占拠』した感さえある佐藤優だが…」とあった。で、最初に取り上げているのが雑誌『情況』の「国家という妖怪」という佐藤優の対談。佐藤優の一ファンとして、目玉商品のように表紙や背表紙に登場している雑誌群の中から、どれを選ぶかで迷った末に、この『情況』を購入して、昨日対談を読み終えたばかりだった。読み始めてからかなりの日数を要した。なぜか誤植が目立つ細かい字で二段組。活字大型化時代にあって、これはマゾかマジかと判断に迷うくらいだ。

この人の博学についていけるはずはないが、自分にとって理解しやすいところとしては、国家は暴力装置として危険だが、個人にとっても必要である、という明快な表現。ナショナリズム論が盛んだし、グローバリゼーションの中ですでに国家の時代ではない、とか、逆に、だからこそ国家が強くなるとされたり、国家の暴力的側面だけが取り上げられるのも、国家の温情的な側面ばかり取り上げられるのも、なんだか違うよな、と思っている自分にとっては、胸に落ちる線がここかな、って感じだ。後は、官僚が身についているという立場を明言した上で、多面的に語ってくれる点も分かりやすくてありがたい。『自壊する帝国』に手がつけられないでいたが、近いうちに読み始めようと思っている。
by kienlen | 2006-06-28 23:11 | 読み物類 | Comments(0)

新聞の全面広告が気になるこの頃

今日も多いなあ、と新聞を開いて思う。全面広告の多さがこのところずっと気になっているのだが、自分が今頃気付いただけなのか、新聞は資源ゴミに出してしまうので遡って確かめることができない。こんな事が気になるのは、ずっと前に読んだ斎藤駿『なぜ通販で買うのですか』の中のくだりに感心した覚えがあるから。著者は、『通販生活』というカタログ雑誌を発行して通信販売を行う(株)カタログハウスの社長で、私がこの本を読んだのは、通販生活の一ファンだからという理由のみ。特に期待していなかったが、読んでみるとひじょうに面白い本で、通信販売の歴史も分かるようになっている。ちょっとした消費社会論って感じ。で、その中で印象的だったのが、オイルショックで新聞の全面広告が自粛され、全面を区切って小枠で販売されたことに斎藤さんが目をつけて、一番上の欄を3段だか5段だか買って記事広告を打って大成功した、というくだりだ。つまり、その時の彼の通信販売事業の成功に大きく貢献したのが、全面広告の自粛だったということ。駆け出しの会社で全面枠を買えるわけがないのだから。

今、新聞広告は全面掲載が大流行。保険、金融、ファッション、通信販売などの業種が特に目につく。ネット広告という新しい流れの浸透とも関係するのかもしれないが、新聞では1面どころか見開き2面も、この頃はよく見るから、二極化のひとつの表れのようにも思う。斎藤社長は本の最後の方で「小売りジャーナリズムを夢想するようになった」と書いている。「コマーシャリズムの枠内でジャーナリズムを実践し、そのジャーナリズムの視点からコマーシャリズムの暴走を食い止めていく方法」とのこと。この本を読んでますます通販生活を支持したくなって、陰ならがら買い物していたら、いつのまにかスペシャル会員になっていた。送料が無料になって返品の時の送料も無料という特典がつく。でも、仕事がなくなって、お金のかかる支持ができなくなったから、陰ながらどころか見えないところからの応援になった。
by kienlen | 2006-06-19 15:41 | 読み物類 | Comments(0)

入管一筋の官僚の方の本を読んだ

『入管戦記』という本を読んだ。著者は東京入国管理局長を退官した坂中英徳。タイトルの勇ましさ及び「反骨の官僚“ミスター入管”初めて語る!国境に臨む「門戸」に立つと見えてくるこの国の珍事件、怪事件、難事件の真相」という帯の文と、内容の乖離はかなり大きい。編集サイドとしては、不法滞在者摘発の現場を誰よりも知る人のセンセーショナルな面を期待して、でも著者は日本を愛するまじめな常識的官僚ということで、こんなことになったのだろうか。しかし…、この程度で「反骨の官僚」ってことは、官僚の方々の世界って、本当に停滞、事なかれ主義なんでしょうか。官僚になったこともなく、なろうと思ったこともなく、生活安定という意味でのあこがれだけはある自分には、なかなか分かりにくい世界である。とはいえ、著者の熱意は好ましく感じた。特に、フィリピン女性の興行ビザを食い物にするアンダーワールドな方々と政治家との癒着を、怒りをもって告発しているくだりは拍手。ついでに「大物政治家」としてしか登場しない人々の実名を挙げていただけると、もっと良かったのに。

不法滞在というと、92年、93年辺りはタイ人がトップで、一時期はその代名詞にもなっていたので、タイ人に関する事例や事件報告もあるかと思って期待して読んだのだが、ほとんどなかった。タイのような小国かつ、食糧自給率100%であると、人口流出圧力も、近隣の大国に比べたら驚異ではないから、当然だろうな。日系人受け入れに対する問題点での指摘は的確だと思った。産業界は外国人労働者=日系人を安価な労働力とだけみて、企業の責任を果たしていないという点。最後には、入国管理という視点から、人口減少に向かう日本の将来の選択肢をいくつか描いて具体的に考察している。全体的には、外国人政策に関して私が常々感じている疑問点を払拭できなかった。つまり、相手は人間であって、受け入れ側の思惑通りになるなんてあり得ないという、ごくごく当たり前のこと。途上国から来たら勤勉であるとか、そんなことは一概には言えない。外国人だってフリーターになり、パラサイトになり、アル中になる。犯罪者にならずとも。
by kienlen | 2006-06-19 01:06 | 読み物類 | Comments(0)

タイムリーなテーマを考えるのにいい

鈴木邦男『愛国者は信用できるか』を読み終えた。昨日、会員になっているけど遠くてなかなか行かれない大学の生協の書店に久々に寄って、予定外に仕入れてしまった中の1冊。この人のは雑誌以外で読んだことがなかったので本としては初めて。ああ、面白かった!愛国運動を40年もやってきた右翼の人なので、こういうテーマはお手のもの。運動してきたとうことは、つまり当事者ということで、私は、当人の報告が分析的で冷静で押し付けがましくなかったら、評論家のや取材モノよりも、どちらかというと興味をもつ。文章も入り組んでいなくて易しくて読みやすかった。愛国だとか愛国心という言葉があちこちに挿入されようとしたり、この意識を涵養しないと日本が滅びるのか、なんなのか私には分からないが、そもそも愛国者であるとはどういうことかの説明がなされているように感じられない。不満。

だから読んでみたわけだが、鈴木邦男がいいのは、自分は○○である、と何かにつけてご丁寧に自己申告してくれるが、だから皆も○○であるべき、とは決して言わないこと。意外によくあるのが、自分を表明しないくせに、か、したつもりでも筋が通ってなかったりで、それなのに人に対してはああだこうだとお節介をやく、お偉らそうな方々で、これってどういう感性なんだと悩んでいたが、最近は時間の無駄なのでウルサイ!無責任野郎女郎!で片付けることにした。平和になった。で、この本は、そういう不快感がない。著者が盛んに強調しているのが、つまり強制することは、その対象を貶めることである、ということだ。日の丸も君が代も愛国心も。その通りだと思う。私だって、あいさつそのものは嫌ではないが、あいさつ運動で強制されると嫌いになるし、強制する地域も嫌いになる。あいさつの代わりに、愛国心を当てはめても同じ。著者に共感の1冊だった。
by kienlen | 2006-06-08 23:23 | 読み物類 | Comments(0)

冠婚葬祭のひみつを暴く本を読んだ

斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』を読んだ。岩波新書はこのところ苦手だし、テーマに興味があったのでもなく、ただただ、斎藤美奈子だから、という理由で買ったのみ。彼女ので一番最近読んだのは『あほらし屋の鐘が鳴る』。こちらは若い女性をターゲットにした雑誌の連載を中心にまとめたものなので「オネエサンが教えてやるからね。オジサン達に騙されないでね」みたいなメッセージ的とでもいえそうな姿勢でいこう、という意図がはっきりしていて、いつものキレがあってとても楽しかった。それで、この冠婚葬祭の方も、多分、このテーマに興味のある人にとっては重要な本なのだろうと思う。これまでのハウツー本を網羅的に調査して、日本の冠婚葬祭文化の歴史を振り返り、いくつかの節目を発見して、ついには、前例のない少子化や家族形態の多様化で、この儀式がどうなっていくかまでを予想している。親切にハウツー部分もあって、必要な人には役立つようにもなっている盛りだくさんのサービス精神いっぱいの内容。そしてもちろん、斎藤美奈子ならではの、笑いのツボも散りばめてある。

ただ、私のように極端に儀式に無知で関心も薄い者が、こういう本を読むのが間違っているのだろう。こうなってしまったひとつの原因はタイの儀式の影響がある。儀式全般に疎いので見聞きしたり乏しい経験からの印象ではあるが、日本の場合は内向きで、タイは外向きと、目指すところが異なるように感じる。バンコクの団地に住んでいた時に何かの儀式が行われていた。スピーカーが外向きに設置されて、参加者のためというより住民に向かって音楽が流れてきて、うるさいことこの上ない。しかしこれが儀式をする際のサービスなので我慢しなければならない。村の結婚式も住民サービスを兼ねているから、名簿作成なんてケチは言わず盛大に振舞わなくてはいけない。多分日本だって「作られた伝統」でしかない今のスタイルになる前はこんな感じだったのかもしれない。この本では、明治から「伝統」が始まったことを指摘している。なんとなく皆が信じていることを洗いなおして欺瞞を暴くという手法は、斉藤美奈子の得意技。やっぱり、この本もそれが発揮されているといえる。誰にとっても避けて通れない冠婚葬祭文化に得意技をかけるとは、スゴイ本なのかも、と思えてきた。
by kienlen | 2006-06-08 17:20 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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