カテゴリ:読み物類( 711 )

好きな2人が紙上に現われた

いつも行く書店のいつも最初に行くのは、いわゆる論壇誌や裏論壇(?)誌が並んでいるコーナーなのだが、そこで見る限り、思想の傾向を問わず佐藤優一色なのに驚いていたら、今日の新聞の杉田敦(『デモクラシーの論じ方』はすごく面白い)の論壇時評に、「…論壇を『占拠』した感さえある佐藤優だが…」とあった。で、最初に取り上げているのが雑誌『情況』の「国家という妖怪」という佐藤優の対談。佐藤優の一ファンとして、目玉商品のように表紙や背表紙に登場している雑誌群の中から、どれを選ぶかで迷った末に、この『情況』を購入して、昨日対談を読み終えたばかりだった。読み始めてからかなりの日数を要した。なぜか誤植が目立つ細かい字で二段組。活字大型化時代にあって、これはマゾかマジかと判断に迷うくらいだ。

この人の博学についていけるはずはないが、自分にとって理解しやすいところとしては、国家は暴力装置として危険だが、個人にとっても必要である、という明快な表現。ナショナリズム論が盛んだし、グローバリゼーションの中ですでに国家の時代ではない、とか、逆に、だからこそ国家が強くなるとされたり、国家の暴力的側面だけが取り上げられるのも、国家の温情的な側面ばかり取り上げられるのも、なんだか違うよな、と思っている自分にとっては、胸に落ちる線がここかな、って感じだ。後は、官僚が身についているという立場を明言した上で、多面的に語ってくれる点も分かりやすくてありがたい。『自壊する帝国』に手がつけられないでいたが、近いうちに読み始めようと思っている。
by kienlen | 2006-06-28 23:11 | 読み物類 | Comments(0)

新聞の全面広告が気になるこの頃

今日も多いなあ、と新聞を開いて思う。全面広告の多さがこのところずっと気になっているのだが、自分が今頃気付いただけなのか、新聞は資源ゴミに出してしまうので遡って確かめることができない。こんな事が気になるのは、ずっと前に読んだ斎藤駿『なぜ通販で買うのですか』の中のくだりに感心した覚えがあるから。著者は、『通販生活』というカタログ雑誌を発行して通信販売を行う(株)カタログハウスの社長で、私がこの本を読んだのは、通販生活の一ファンだからという理由のみ。特に期待していなかったが、読んでみるとひじょうに面白い本で、通信販売の歴史も分かるようになっている。ちょっとした消費社会論って感じ。で、その中で印象的だったのが、オイルショックで新聞の全面広告が自粛され、全面を区切って小枠で販売されたことに斎藤さんが目をつけて、一番上の欄を3段だか5段だか買って記事広告を打って大成功した、というくだりだ。つまり、その時の彼の通信販売事業の成功に大きく貢献したのが、全面広告の自粛だったということ。駆け出しの会社で全面枠を買えるわけがないのだから。

今、新聞広告は全面掲載が大流行。保険、金融、ファッション、通信販売などの業種が特に目につく。ネット広告という新しい流れの浸透とも関係するのかもしれないが、新聞では1面どころか見開き2面も、この頃はよく見るから、二極化のひとつの表れのようにも思う。斎藤社長は本の最後の方で「小売りジャーナリズムを夢想するようになった」と書いている。「コマーシャリズムの枠内でジャーナリズムを実践し、そのジャーナリズムの視点からコマーシャリズムの暴走を食い止めていく方法」とのこと。この本を読んでますます通販生活を支持したくなって、陰ならがら買い物していたら、いつのまにかスペシャル会員になっていた。送料が無料になって返品の時の送料も無料という特典がつく。でも、仕事がなくなって、お金のかかる支持ができなくなったから、陰ながらどころか見えないところからの応援になった。
by kienlen | 2006-06-19 15:41 | 読み物類 | Comments(0)

入管一筋の官僚の方の本を読んだ

『入管戦記』という本を読んだ。著者は東京入国管理局長を退官した坂中英徳。タイトルの勇ましさ及び「反骨の官僚“ミスター入管”初めて語る!国境に臨む「門戸」に立つと見えてくるこの国の珍事件、怪事件、難事件の真相」という帯の文と、内容の乖離はかなり大きい。編集サイドとしては、不法滞在者摘発の現場を誰よりも知る人のセンセーショナルな面を期待して、でも著者は日本を愛するまじめな常識的官僚ということで、こんなことになったのだろうか。しかし…、この程度で「反骨の官僚」ってことは、官僚の方々の世界って、本当に停滞、事なかれ主義なんでしょうか。官僚になったこともなく、なろうと思ったこともなく、生活安定という意味でのあこがれだけはある自分には、なかなか分かりにくい世界である。とはいえ、著者の熱意は好ましく感じた。特に、フィリピン女性の興行ビザを食い物にするアンダーワールドな方々と政治家との癒着を、怒りをもって告発しているくだりは拍手。ついでに「大物政治家」としてしか登場しない人々の実名を挙げていただけると、もっと良かったのに。

不法滞在というと、92年、93年辺りはタイ人がトップで、一時期はその代名詞にもなっていたので、タイ人に関する事例や事件報告もあるかと思って期待して読んだのだが、ほとんどなかった。タイのような小国かつ、食糧自給率100%であると、人口流出圧力も、近隣の大国に比べたら驚異ではないから、当然だろうな。日系人受け入れに対する問題点での指摘は的確だと思った。産業界は外国人労働者=日系人を安価な労働力とだけみて、企業の責任を果たしていないという点。最後には、入国管理という視点から、人口減少に向かう日本の将来の選択肢をいくつか描いて具体的に考察している。全体的には、外国人政策に関して私が常々感じている疑問点を払拭できなかった。つまり、相手は人間であって、受け入れ側の思惑通りになるなんてあり得ないという、ごくごく当たり前のこと。途上国から来たら勤勉であるとか、そんなことは一概には言えない。外国人だってフリーターになり、パラサイトになり、アル中になる。犯罪者にならずとも。
by kienlen | 2006-06-19 01:06 | 読み物類 | Comments(0)

タイムリーなテーマを考えるのにいい

鈴木邦男『愛国者は信用できるか』を読み終えた。昨日、会員になっているけど遠くてなかなか行かれない大学の生協の書店に久々に寄って、予定外に仕入れてしまった中の1冊。この人のは雑誌以外で読んだことがなかったので本としては初めて。ああ、面白かった!愛国運動を40年もやってきた右翼の人なので、こういうテーマはお手のもの。運動してきたとうことは、つまり当事者ということで、私は、当人の報告が分析的で冷静で押し付けがましくなかったら、評論家のや取材モノよりも、どちらかというと興味をもつ。文章も入り組んでいなくて易しくて読みやすかった。愛国だとか愛国心という言葉があちこちに挿入されようとしたり、この意識を涵養しないと日本が滅びるのか、なんなのか私には分からないが、そもそも愛国者であるとはどういうことかの説明がなされているように感じられない。不満。

だから読んでみたわけだが、鈴木邦男がいいのは、自分は○○である、と何かにつけてご丁寧に自己申告してくれるが、だから皆も○○であるべき、とは決して言わないこと。意外によくあるのが、自分を表明しないくせに、か、したつもりでも筋が通ってなかったりで、それなのに人に対してはああだこうだとお節介をやく、お偉らそうな方々で、これってどういう感性なんだと悩んでいたが、最近は時間の無駄なのでウルサイ!無責任野郎女郎!で片付けることにした。平和になった。で、この本は、そういう不快感がない。著者が盛んに強調しているのが、つまり強制することは、その対象を貶めることである、ということだ。日の丸も君が代も愛国心も。その通りだと思う。私だって、あいさつそのものは嫌ではないが、あいさつ運動で強制されると嫌いになるし、強制する地域も嫌いになる。あいさつの代わりに、愛国心を当てはめても同じ。著者に共感の1冊だった。
by kienlen | 2006-06-08 23:23 | 読み物類 | Comments(0)

冠婚葬祭のひみつを暴く本を読んだ

斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』を読んだ。岩波新書はこのところ苦手だし、テーマに興味があったのでもなく、ただただ、斎藤美奈子だから、という理由で買ったのみ。彼女ので一番最近読んだのは『あほらし屋の鐘が鳴る』。こちらは若い女性をターゲットにした雑誌の連載を中心にまとめたものなので「オネエサンが教えてやるからね。オジサン達に騙されないでね」みたいなメッセージ的とでもいえそうな姿勢でいこう、という意図がはっきりしていて、いつものキレがあってとても楽しかった。それで、この冠婚葬祭の方も、多分、このテーマに興味のある人にとっては重要な本なのだろうと思う。これまでのハウツー本を網羅的に調査して、日本の冠婚葬祭文化の歴史を振り返り、いくつかの節目を発見して、ついには、前例のない少子化や家族形態の多様化で、この儀式がどうなっていくかまでを予想している。親切にハウツー部分もあって、必要な人には役立つようにもなっている盛りだくさんのサービス精神いっぱいの内容。そしてもちろん、斎藤美奈子ならではの、笑いのツボも散りばめてある。

ただ、私のように極端に儀式に無知で関心も薄い者が、こういう本を読むのが間違っているのだろう。こうなってしまったひとつの原因はタイの儀式の影響がある。儀式全般に疎いので見聞きしたり乏しい経験からの印象ではあるが、日本の場合は内向きで、タイは外向きと、目指すところが異なるように感じる。バンコクの団地に住んでいた時に何かの儀式が行われていた。スピーカーが外向きに設置されて、参加者のためというより住民に向かって音楽が流れてきて、うるさいことこの上ない。しかしこれが儀式をする際のサービスなので我慢しなければならない。村の結婚式も住民サービスを兼ねているから、名簿作成なんてケチは言わず盛大に振舞わなくてはいけない。多分日本だって「作られた伝統」でしかない今のスタイルになる前はこんな感じだったのかもしれない。この本では、明治から「伝統」が始まったことを指摘している。なんとなく皆が信じていることを洗いなおして欺瞞を暴くという手法は、斉藤美奈子の得意技。やっぱり、この本もそれが発揮されているといえる。誰にとっても避けて通れない冠婚葬祭文化に得意技をかけるとは、スゴイ本なのかも、と思えてきた。
by kienlen | 2006-06-08 17:20 | 読み物類 | Comments(0)

雑談の中ででてきた隈研吾

友人の建築士と、ちょっとした打ち合わせを兼ねて食事した。ありふれたものではなくて、自分の考え方がよく伝わる経歴書を書いてくれというご注文。長い付き合いなので考え方というのはだいたい分かっているから、ほとんどは雑談。すると彼が、隈研吾がいいと言った。この人は私も面白いなあと思っていた建築家。何年か前に上野千鶴子の建築家達との対談集『家族をいれるハコ』を読んでいたら、隈研吾が群を抜いて面白くて、興味をもって文庫の『10宅論』というのを読んだら、これがまた面白い。面白いばかり繰り返して芸がないが、面白い、というのは自分にとっては最も重要な概念だから、最高の褒め言葉。日本人の住宅を10種類に分類して、そこに住む10種類の人々と共に解説、批評している。「清里ペンション派」とか「カフェバー派」とか、分類用語が古いのはオリジナル版の発行が86年だからで、バブリーな頃が思い出される。

で、自分はどこに分類されるかを考えるのが楽しい。居住者プロフィール表の一番目の項目が「イデオロギー」である。「ロマンチシズム」とか「即物主義」は当たらないような気がする。「反ブルジョア的ディレッタンティズム」は、案外近いかも。本文を参照するといきなり「建築家に自分の家の設計を頼む人」とある。当たっている。が、残念なことに理由は違う。ここでは作風ではなく「ブランドとして」というのがポイントになっているが、私の場合は自分の要望をちゃんと形にして欲しいからで、名前などどうでもいいし作家よりは職人的建築家を選びたい。となるとイデオロギーは「合理的」になるのかな、となるとハビタ派である。となると、居住形態は中古の分譲マンションを購入して改装かあ、違うなあ…、壁の仕上げがビニールクロスはあんまりだ…。というわけで、ぴったりするところはないのだが専門家でなくても読める建築論としては傑作。周囲を見渡すと「住宅展示場派」が多いように感じる。イデオロギーは折衷主義、集団を規定するメディアが婦人雑誌のインテリア記事とおもてなし記事。なるほど、ありそう。この人には21世紀版の10宅論をぜひ著してもらいたい。
by kienlen | 2006-06-04 19:41 | 読み物類 | Comments(1)

とっても面白かった『ウェブ進化論』

梅田望夫『ウェブ進化論-本当の変化はこれから始まる』を今朝読み終えた。とても刺激的で面白い本だった。相当売れているようだが、これなら納得。「…ネット参加者の急増とグーグルが牽引する検索技術の進化は、旧来の権威をつきくずし、「知」の世界の秩序を再編成しつつある。そしてネット上にたまった富の再分配による全く新しい経済圏も生まれてきている。…」と、表紙裏の紹介文にある。この「知の世界の秩序の再編成」がどういうものなのか、私のようにネットについて疎い人間にもすんなり分かるように説明している。著者の経歴、それに考え方もオープンにしているが、それを読めば、この力量が半端じゃない知識と経験に裏付けられているから、ってことが分かる。つまりは、ネットの世界に起こっていることは従来との連続性の中で捉えることはできなくて、それはリアルな世界をも変革することになる、ということ。こういう本を読むと、たった700円そこそこで、ここまで上質な世界を旅することができるのだから、感謝。

特に紙幅をさいているのはグーグルの話。グーグルが画期的なのは「あちら側」だから。ネットの「あちら側」と「こちら側」の2つの世界があって、マイクロソフトとかアマゾンとか楽天、ヤフーなどが、それぞれどういう位置にいて、何を目指しているかの配置図を示してくれる。それも、とにかく優しく親切なので、知識がなくても頭の中に自動的にネット世界のマップが浮かぶようになっている。さらにマニアックな話ではなくて、汎用性のあるお話。楽観的で行動的、という2つの要素をあえて意識的に強調するように努めているようだが、内容が素晴らしかったという感想とは別に、ここまで頭のいい人達だったら楽観的になれるんだろうなあ、というのもまた正直な感想だ。いずれにしろ、読む価値はあると思いました。
by kienlen | 2006-06-02 11:40 | 読み物類 | Comments(2)

わけのわからない本を読んでしまった

草薙厚子『子どもが壊れる家』という本を読んだ。文春新書は、こういうトンデモ本が多かったんだったかな、と思って本棚を見てみたら何冊かあって、そうでもない。読書に集中できるという日でもなかったので、何か気楽に読めるものと思って見渡していたら、未読のこれを発見。今の経済状況だったら買わないだろうが、当時(といってもいつか忘れた)は金回りがよくて、気分もヘンになっていたんだろうか。とはいえ、子育て中の親としてはこういうタイトルには弱い。特に私のように母親に向いてないと思っている身にはこたえる。そういうところを突いて書いているんだろうけど。興味をもった理由は著者の経歴で、法務省東京少年鑑別所元法務教官だからだと思われる。昔と違って普通の家庭から犯罪少年少女がでている→一体何が起こっているのかを実例から考察→親の過干渉とゲームがいけない、というお話。これ自体は私には否定も肯定もできない。根拠を持ち合わせていないから。個人的にはゲームは嫌いだから子がのめりこむことは警戒しているし、過干渉もいいとは思わないので、いわんとすることが馬鹿げているとは思わないけど、問題は一文一文の成り立ち。

「特に体格も大きかったわけでもないAがなぜ、ボクシングの選手になりたいと言ったのでしょうか」→相撲ならともかくボクシング選手って小柄な人もいるでしょ?それに幼稚園時代に将来の体格が分かるのか? 「いじめが横行する学校は誰もが行きたくない場所でしかなくなりました」→誰もがって、本当ですか?少なくとも私は学校が好きで行っている子を何人も知っている。「現代に生きる私たちは、昔に比べて便利なモノを子どもたちに与えることの是非を、深く考え込んだりはしないものです」→私は考え込んでいますし、友人らもそうです。現代に生きています。「近年の凶悪少年事件が、こうした家庭・学校環境の変化を背景に起こっていることは間違いありません」→なんで自信をもってそこまで断言できるのか不明。「」内は引用そのママ。こういう摩訶不思議な文章が数え切れなく並んでいると、何か良い事を言ってくれても信用できなくなってしまう。この手の本だったら家裁調査官の藤川洋子さんのが、納得できます。
by kienlen | 2006-05-30 23:37 | 読み物類 | Comments(0)

あの米原万里が…

出たり入ったりしながらも全体としては朝から晩まで外にいた日。帰宅してメールをチェックしたら友人からの「米原万里が死んだ。56歳という私達とそう違わない年齢。もっと意見を言って欲しかったのに元気がなくなる」という文面のがあった。驚いてネットのニュースをチェックしたがなかなか見つからず、間違いであることを願って電話したが、確認しただけだった。この友人とは昨年、米原万里の講演を聴きに行ったし、お互い彼女のエッセイが好きなので借りたり貸したりしていた。電話でどちらともなく「世にはびこっている問題の人々じゃなくて、なんで米原万里なの」と言い合った。あんなにユーモアと皮肉にあふれて核心をつくエッセイストが1人減ってしまうとは、実に残念。自覚もなく不条理劇を演じる人々に「それ、ちょっと違わない?」と舞台の裾から冷静に言ってくれる貴重な声がまたひとつ消えたような感じがする。

エッセイというと、日常の何気ない一場面を綴るというイメージがなぜだか浮かんできて(これは私の思い込み)、そういうのは興味がないので普段はほとんど読まないが、米原万里は別格だ。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で、私は自分の知らないことをいろいろ学ぶことができたし、何より、途中でやめられなくなる面白さと、それから、このひねったタイトルが象徴するような重層性が頭の芯のところを刺激してくれる。ギブスの上から掻いていたのを、叩き割ってから掻いたような快感を得る。私は彼女のエッセイをお風呂に常備している。お湯に浸かって読むには、濡れて本がいたんでも惜しくない文庫で、章ごとの独立性があって、難解でなく、深く味わう文学のようなものでもなく、あまり熱くなるものでもなく、絶望的になるものでもなく、となると雑誌を除いてはエッセイなので、イコール米原万里。今は『ロシアは今日も荒れ模様』があるが、これは笑いが止まらない。続きを読みたくて風呂から持ち出すこともある。昨年の講演もとてもいいものだった。書いたものがいいから実物がいいとは限らない中で、貴重な人だった。
by kienlen | 2006-05-29 21:22 | 読み物類 | Comments(0)

読みかけの本ばっかり

本日の仕事現場までは往復約5時間の運転。思いがけず早く終了したため帰路は遠回りして新緑のまぶしい山道を来る。途中の道の駅でウドの葉を買う。手打ちうどんでウドのてんぷらを食べたいと思った。でも、帰り着いた時には疲労感で体が重たい。昨夜の睡眠不足もあるけど、歳のせいだろうか。集中力のいる仕事だったのでそれも関係するかも。手打ちうどんに取り掛かる元気がなくソファに横たわった。横になることと本はセットだが、今読みかけのは雑誌を除いて主には新書で、斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』と仲正昌樹『「分かりやすさ」の罠-アイロニカルな批判宣言』。どっちも著者が好きで買ったもの。どっちも疲労で倒れそうな状態とマッチしないので新しい新書を開く。すごく話題になっているらしいので買ってみたもので梅田望夫『ウェブ進化論-本当の大変化はこれから始まる』。判断基準の第一が直感という自分は、最初のページで引きつけられた。けど、数ページ読んで朦朧としてきたので今日は諦めるが、他を置いてまずはこれを読むことにしよう。

話題の本といえば『国家の品格』がまだ売れているようだし、雑誌でもよく取り上げられているが、自分は読んでない。不満ばかり言うのは不本意なので買いたくはない。友達の誰かが買ったら借りようと思っているが、なぜか誰も買わない。皆が同じことを企んでいるような気もする。この間読み終えたのは、橋本治『乱世を生きる-市場原理は嘘かもしれない』というもの。橋本治を知ったのは『桃尻娘』というよりは編み物から。昔、編み物をしながら読書する姿を雑誌で見て真似たものだ。編み込みや模様編みは無理でもメリヤス編みならできることが分かった。それでこの本。同じ集英社新書の『上司は思いつきでものを言う』が面白かったので読もうと思った。つまりは、戦国時代の乱世に似ている現代を、自分のペースで淡々と生きることの勧め、などという単純でおこがましい処世訓であるはずはないが、自分なりに共感できるところは多々あり。驚いたのは、パソコンを使わず手書きしているというところ。中野翠も新聞にそう書いていた。信じがたいけど嘘をつく理由もないだろうし。そういうことを考えながら『ウェブ進化論』にかかることにする。
by kienlen | 2006-05-25 20:20 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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