カテゴリ:仕事関係( 160 )

午前中に予定があった。夜にも予定があった。予定というのは、これだけで仕事として完結するものじゃないが流れの中でみると行っておく方がいいというのと、ほとんどボランティアというもの。そこに正真正銘の仕事の打診があった。現場に行かないことには話にならず、時間は相手次第で一応朝から夕方までで、現場で完結するもの。ギャラは悪くない。即答しないとならない。午前中の人と夜の人を思い浮かべながらOKした。現場で完結する仕事というのは実にありがたい。何しろ普段の仕事というのは、現場に行く、家でもやる、後始末もある、みたいな非効率的な仕事なので時には現場完結型ですっきりするのも欲しい。午前中の予定も普段の仕事の典型。先方に事情を伝えると「その仕事なくなるといいね、なくなれ」みたいな呪いをかけられた。勘弁して下さい。夜の人に事情を説明すると「いいわよ」ということだった。ありがとうございます。

以上が今日までの経緯だった。こういう重複が起きる予定だったのは明日。しかし最後の最後までどんでん返しの可能性のあるのが、相手のある仕事である。携帯に正真正銘の仕事の相手から電話があった。いっそキャンセルだったら予定通りに午前と夜の部をこなせばよくて問題はないが、相当額のギャラは逃げていくことになる。予定通りの1日仕事だったら、予告通りに先約の方々に「申し訳ない」とするしかない。どっちかな、と思いながら電話を取ると「明日、朝からとお願いしたが午後からにしてくれ」ということだった。想定外。そして、これは午前中の相手の呪いも通じたのかと思った。午後がキャンセルじゃなくて午前中だったんだから。夜の人はあっさり引いたわけで、まあ、引かざるを得ないこととも言える。ある意味理想の状況とも言える。こういうご縁も不思議なもので、大切にすべきものだと思う。些細なことだがそういうことに感動もするし、それが意外に重大なのだとも思う。
by kienlen | 2011-02-01 15:16 | 仕事関係 | Comments(2)

みんな自分にはね返る

昨夜は、ベトナム戦争後の世界をテーマにした講演会があって、それに行きたかった。とても行きたかった。ところが仕事でお世話になっている会社の新年会と時間が重なってしまった。こういう時にどっちを取るかは、悩ましい問題。当初は、もともと基本的に好きじゃない新年会は行かないつもりだったのだが、何度かお誘いがあったり、何度かご無沙汰したからたまには顔出しておかないとな、という大人的考えが頭を持ち上げて迷い、結局、講演会を少し聴いてから遅刻して新年会に行くことにしてその由を連絡した。直前までそうするつもりでいたのだが、もっと直前になってから新年会1本に絞ることにした。どっちも半端になるからだ。決めたからには、諦めたことに関していろいろ考えてもしょうがない。人生諦めが肝心なのである。ということで人はそれぞれその場その場で思考なり行動を調整しているに違いないと思うが、時々「この人はあらゆるものが手に入ると信じているのかなあ」と思う人に出会う。そっちを取ったらこっちは取れないことが明かな事を同時に実現させたいとしか思えない言い方をする。今朝の電話がそういう電話だった。小一時間も話したんじゃないかな。そもそもなぜ私に電話してくるのかは、分かるような分からないような。

仕事についてだが「自分でやらないんだから100点のものはできない」と言うから「自分でやって100点になるのなら、したいのなら自分でやればいいじゃないですか」としか言えない。でも「70点か80点で良しとしなければ」と言うのだが、良しとしたければすればいいし、不満なら最初から全部自分でやればいいし。なんでこういうことでひっかかるのか意味不明。こういう人にとって最善なのは「自分でやれないことを人にやってもらう時に、100%自分の思う通りにやってもらいたい」ということになるんだろうか。ということは裏返せば「自分に自信がある」ということになる。だって、自分の想定できる範囲内しか考えていないということで、人と行うことで生じる新たな創造性に思いを馳せないということではないだろうか。そもそも人が自分の思うようになるということ自体あり得ない…、でしょ。私は結構気が長いからこういう意味不明な人と話すことに、短気な人ほど抵抗はないが、さすがにあまりに意味不明なので物言いが普段にも増してストレートになる。すると「そういう歯に衣着せない言い方をするんですね」となる。「そうですよ。歯に十二単衣着せて何かいい事あるんですか」「○○さんもそうですね」と、よく仕事を一緒にする人の名を挙げる。「仕事以外の話題はともかくとして仕事に関して何を遠回しにする必要あるんですか。それと○○さんのことは○○さんに直接聞いて下さい。アタシ、知りません」である。「僕も長く仕事してきたけど必ず問題は起こるんですよ。だからそれを予め考えておかないと」である。「アタシ、そんなに問題起きてませんけど」である。このあたりまでくると、そうか、こういう物言いって相手に「まったく何てイヤなヤツだ」という印象を抱かせるのかもしれないと、ハタと思う。極端な相手には極端な言い方になってしまうということで、初めて自分が見えるということだ。朝から気づきを与えてくれた人に感謝しないとね。半端にしておかないことで見える世界は確かにある。
by kienlen | 2011-01-29 11:54 | 仕事関係 | Comments(0)

仕事についての私事

趣味とか特技とかを聞かれることは年を取るとなくなる。若い頃なんてお見合いの練習とかで、そういうのを友達とやりあっていたものだったし、履歴書の必須事項でもある。昨日、久々に特技について考えた。趣味は読書とか手芸とか書いておけば良かったから困らないが、特技はないと思っていたが、あったことに気付いた。それは忘れること。昨日、仕事で嫌な思いをした。同時に、そういえばこのところ、この手の嫌な思いをしてなかったなということにも気付いた。それは最近の仕事相手が話しの早い人ばかりで運び方がスムーズだったからだ。悲観的な自分としては、こういうのが続くと「こんなことが長続きするはずがない」みたいに思ってしまう。そう思いながら、きっと不幸な人というのも幸福の中にいると「長続きするわけがない」と思ってしまって不幸の方に寄っていくのかもしれないな、それが安住の地なのかも、などと思ったりもする。もっとも幸だ不幸だは、主観的なもんであるから、仕事で「何、それ!」っていうのとは異なる。あ、何を脱線しているんだ。つまり忘れっぽいのは特技なんであると思うことにする。

昨日仕事の件で嫌な思いをした。この方の場合、今までも同じ思いを何度も味わわせてもらっている。それで業種の違う友人などは、何か仕事が発生しそうになると、最初から警戒態勢に入っている。それは多分、この方がそういう方だという過去の経験をストックしていて即座に警戒態勢が取れるのだと思う。その点、私なんか、よく覚えていない。ところが同じことの繰り返し。そこで、そういうえばこの方はこういう方だったのだと思い出す。記憶のストックルームの扉の鍵の整理がついていないのだ。さらに悪いことに、同じ事を繰り返すのを見ていると、うんざりというよりも、どうしてこの人はこうなのか、に興味が移行してしまう。そうなるとますます知りたくなる。そうやって目的がずれてくるわけだ。忘却の作用は色々だ。忘れるといろいろな事を新鮮に感じられる。ということは、自分自身ってつくずく進歩のない人間なのかもしれない。同じことを繰り返す相手に対して同じ対応。それを新鮮に感じてどうするんだよ。とにかく請求書は送らせてもらいます、の宣言はしておいた。結局問題はここで、最後のつじつま合わせだけしてもらえばいいんである、仕事の場合は。仕事以外だとそうもいかないから、きっとややこしいんだろうけど、そういえばそっちのややこしさにはあまり巻き込まれてないようだ。さすがに、忘れる特技をそっちで生かしたい、とまでは思わない。
by kienlen | 2010-10-30 11:12 | 仕事関係 | Comments(2)

結構本質的なこと

今朝、枕元の時計を見てびっくりした。8時半近い。信じがたい時間だった。起きるのに遅すぎるというわけじゃない。こういう時間に起きる、もっと遅いはよくある。そうじゃなくて、今朝の予定としてはその時間にはもう家を出ていなければいけなかったのだ。私はひどい夜更かしとか何とか特別な事情がない限り、起きるべき時間に目覚まし時計の助けなしに起きられるタチだ。安心して眠れるように一応目覚ましはかけるが、だいたいその前に起きられる。旅先でも同じだ。毎日の規則正しさよりも、するべきことで動くという習慣の影響かと思う。よって、これをしなくなった時は規則正しさでダメ、中身でダメ、最低最悪な状況になる。それを分かった上での今朝のこの様である。ああ、もうダメなのかな、と思った。しかし、つまり、潜在意識としては行きたくないのである。今朝の仕事先、というよりか、ボランティア。ちゃんとした仕事でこれだったらおしまいだが、今日の場合は、引き受けたからには責任があるが、報酬だけではない何かがあるから受けたのであって、それがないのじゃあ行きたくない。そんな類のものなのである。

やはり仕事にしろボランティアにしろ、何かしらの動機がないとできない。そのやる気のリソースがどこにあるかはいろいろだ。まあ、仕事の場合は報酬の多寡は大きいけど、かといってそれだけともいえない。ただ言えることは嫌な仕事でも報酬が大きければやる気はでるというのはある。少ない場合は、それでもやるかやらないか、という選択になる。そして責任。受けたからにはやらないと。できないなら受けない。で、今回の場合は、受けたからにはやらないと、なんだが、それだけでできるのか、ということである。自分の裁量で決められるわけじゃない。かといって与えられた枠内で最大限をというわけでもない。方針不明、何もかも不明、本当に行く必要があるのか、誰にとってあるのかも不明。管理責任者も今ひとつ不明。こういう世界があるんだなって感動はあるが、今さらそんな世界を知ることに意義を見いだせない。自分にとっての仕事に対する枠が狭かったのだろうかという気もする。そしてこういう世界で仕事している人というのは、私が考えているような仕事だと馴染まないのかもしれない。世の中っていろいろなんだな。結局今日はちょっと遅刻した程度なので行くことはできて、実際行ったのだが、教室の手前で引き返してしまった。どうしても気が進まず。つまり学校だ。明日は行くけど、ううむ、これでいいのか。きっと良くない。何だったらいいのか。分からない。自分で決められないことがもどかしい。無責任でいられて楽ともいえるか。楽だから快適ってもんでもないのが・・・。
by kienlen | 2010-09-28 16:16 | 仕事関係 | Comments(0)
仕事をさぼって外出していたところに電話があって、明日遠出の仕事が割り込むことになった。全く予定外。先方の都合によると、私の帰宅は完全に深夜である。山の中の運転である。熊に襲われてもフリーランスの身では誰にも責任取ってもらえない。ううむ、断るわけにはいかないし、しかし本職への打撃も小さくない。ま、こういう時は考えないことである。明日は明日である。というわけで友人と楽しくおしゃべりランチを夕方までしていた。今日と明日の補填のためにいくらかでも進めないといけない、と思いながら庭を眺めていた。いい感じになっている。なかなか増えないと思っていたニラが増え、何度植えても根付かないと思っていたフキも出て、なんで毎年枯れるのかと思っていたシソも枯れなくなってきた。一見、消滅したように見えた植物が実は生きていて忘れた頃に芽を出す。動物ではあり得ないことだ。植物が好きだ。ただちょっとどうしようかと困っているのがザクロ。食べては実を庭に捨てていたら、あっちにもこっちにも芽を出して、中にはもう数十センチになったのまである。しげしげと見ると、小さいのがかなりたくさん出ている。

適性のある植物はこうして強く生きるのだと思うと、自分も生きていける気になる。でも、適性問題はよく分からない。誰かザクロの木が欲しい人がいたら差し上げたい。もともとは結構なお値段で購入したものだが、植木屋って儲かるよな。友達に植木屋がいて儲かっていたのを思い出した。こうして増やして売るわけだ。そんなこんなで庭を眺めていたら電話があった。明日の仕事の場所が変更になって、すぐ近くになった。嬉しい。この程度の距離なら何時になっても構いませんよ、って場所だ。ほっとした。些細なこととはいえ、こういう時は神様に感謝したくなる。見えない所に何かがあるという感覚は私にはぬぐえない。今日も友人と「選択」について話していたのだが、よって私はあまり自分の選択というものを信じていない。これはある意味の逃げでもあるが、選んだのか選ばされているのか区別つかないし、結局なんとなくそうなっている感が強い。もっともこういうことは自分の意識の問題のようにも感じるので、どう意識するかだけなのかもしれない。ただ庭の植物を見てもやっぱり不思議だなと思う。科学を知らないからともいえるが。
by kienlen | 2010-09-27 18:41 | 仕事関係 | Comments(0)

切羽詰まって八つ当たり

どうもよく分からない。ここ何年かの「ワークライフバランス」というのがあるし、その前は「家庭と仕事の両立」などとも言われていた。家庭と仕事っていうと、まだまだ女の領分って感じがあり、それじゃあいかんという姿勢を示さないと国際的に恥ずかしいので、男にも広げたのがワークライフバランスとかいう言い方のように感じられる。人によって違うなって感じる点に、まずは形式を整えないと中身がついてこないと考える人と、形式よりも中身であると考える人の違いがある。皆が皆そうそう極端でもあるまいが、二分類すればだ。私のようにキチンとしてない者は、形式だけ示されることが苦手なのである。アテもなく枠もなく、どこに何があるか知らないけど、まあとりあえず歩いてみますか、やってみますかのタイプなんだろう。そういう荒野しか見えない者に、はいこれ、と何か渡されても、ここじゃあ使えないし・・・みたいになってしまう。さすがにこの歳になってそんなバカを言っているのがバカなのは自覚するからまあ例えではあるが。つまりどうも、形式整えることで充実感を得るなんてことはないだろうと思われる。だから法律を作るとか、決まり事を決めるとか、規律を作るとか、できない。ああ、こうして並べると、といっても同じ事の羅列か、教育もできないし、親も務まらないじゃないか。目をそむけることにしよう。

なんてことを考えていたのではなくて、家庭と仕事の両立である。これはどういう意味だろうか。仕事の真っ最中に「家庭がありますから」と引き揚げるわけにはいくまい。家庭の真っ最中に仕事があるからと出て行くことは、どうだろうか。前者をやっていかれる人というのは、相当に恵まれた状況で仕事ができるということだろう。代替要員がいるとか、下請けにツケを回すとか、迷惑かけても他で補えるくらいの特別な魅力を備えているとか。後者は、しなければならないわけだ。ここで家庭が崩壊する場合もあるわけだが、じゃあどっちを取るかだ。家庭があることで飯が食えれば家庭を取ればいいし、家庭があっても飯食えなければそっちを取りようがないように思うが、どうなんだろう。家庭というからには子どもがいるのがここでは前提ということにしておく。夫婦とペットの場合は、ちょっと私には分からない。学校に行く機会が多いが「お母さんが夜いないから」という言い方には、どこか、それが子どもにとっていかんという意味合いが貼り付いているように感じる。夜の外仕事をするには在宅できないのである。だからどうしたらいいんだろうか。つまりワークライフバランスとかいう所に税金使うのと、そういう困った状況をどうするかの順位なんだけど、私だったらこっちにしたい。男の育休取得推進なんかも不思議である。天空の世界で見本を示せば下界もそうなるという発想があるんだろうな。庶民はお上の習慣を取り入れるという傾向はどこでもあるから、その延長か。ソレとコレ、違うと思うけど。
by kienlen | 2010-09-23 12:38 | 仕事関係 | Comments(0)

諦めたシンポ、残念。

行きたかったシンポジウムを諦めた。まことに残念。前回行って興味深かった、タイ側にある国境のキャンプにいるミャンマー人難民を日本政府が受け入れるにあたっての受け入れ候補(?)自治体におけるシンポ。このために昨日は仕事をがんばったつもりだったが追いつかず、泣く泣く諦め。市内だったら諦めずに行くのだが、気軽にちょっと参加というには遠すぎた。旅の疲れでますます脳力の衰えに響くのを避けたかった。大げさかもしれないが、現場仕事だったらその時に集中すればいいが、在宅仕事だと、全く異質なのだ。はあ、今さらではないが。それなのに諦めた本日がどうだったかというと、これまた不満足な結果であった。ランチの誘いを断らずに外出。用事ではあったが雑談もあって長引く。ブログも飛び飛び飛びで、読んだ本のメモも全くのご無沙汰だ。忘却してしまう。

仕事量が多いわけでもないし、不快な方面のストレスがあるわけでもないから、一段落したらガッとストレス解消だああ、という気分になることは日頃ない。適当に遊びながらやってる程度なんで。今もその延長といえばそうだが、それでも今回は、一段落したらやりたい、と思うことをイメージしながらになっている。必要に迫られていることを中心に。まず、夫の店のHP作り。さすがに今時なしってわけにもいかないのは感じつつも手がつけれらない状態。周辺はタイ料理店の密度濃くなっているし、その他諸々でやらざるを得ない。そしたらこのようなブログというわけにもいかず営業用ということになると、なんか、ストレスかも…。そうか、夫がタイ語で自分で書けばいいんだ。それを私が訳す。これでどうだ。突然思い付いたアイデア。でも無理でしょう。とてもやりそうに見えないし。人の事は言えない。仕事のやり残しは明日でおしまいにする。
by kienlen | 2010-07-04 23:31 | 仕事関係 | Comments(0)
ちょっとこれはマズイかもという状況になっている。疲弊して家に戻り、娘に「なんかこう、魂が抜かれるような疲労感なんだよね」と言うと「だから言ったでしょ、子供相手は大変なんだよ」と言う。「自分だって子供のくせに何で分かるの」と聞くと「そんなの見てれば分かる」と言うのである。つまり、ここまで長年の間分からなかった自分は一体何なんだ、バカなんだ、ということである。まあ、おかげで教育者になろうなんて夢破れたというか、子供相手が向いてないことが完全に分かった。教えるのが楽しいなんて、あくまで学ぼうとする側が意欲的で、その場に創造性が生まれる時であり、そうじゃない場合はもうひたすらマイナスのエネルギーに満ちることになるわけだ。こんな当然のことをこの年で初めて知った自分はおかしい。絶対におかしい!はあ、ここで力んでいる場合ではないのであった。

常々人より10年は遅れていると思っていたが、今回も思った。この遅れの原因は何なんだろう。まず一般常識を知らないことである。それから、人を見ても自分が基準なので基本的には自分は世界標準だと思っていて、自分みたいな人を基準に物事を見て考えるので、スタートから間違っている。しかも子供を子供扱いできないときている。つくずくウチの子達はよく、とりあえずここまで育ったもんだと思う。いや、育ってないのかもしれない。それさえ分からなくなっている。とりあえず息子からは何の連絡もなく、電話があると何かしでかしたかという心配が胸をよぎるのは同じだが、とりあえず目の前にいないので平和。娘はそんなわけで私よりも大人かもしれない。それってマズイかなと思っても、まあ、しょうがない。現実を見る能力が著しく欠如している親である。今さら気付いてごめんなさい。
by kienlen | 2010-05-28 23:39 | 仕事関係 | Comments(0)
コックさんのビザの件で、そもそもコックさんを紹介してくれた人が知り合いの法律家を紹介してくれて再度入管に行ったようだ。その過程で私にも電話があった。タイ人は弁護士と思っているらしいが、私は行政書士だろうと思っていたら、やっぱりそうだった。「決算書は?」「それは必要書類にあったので出してます」「店のパンフレットはありますか?」「実はちゃんと作ってなくて名刺を提出しました」。この名刺もちゃんと作ってなくてパソコンで出力したもの。「…じゃ、HPは?」「そ、そ、それが作ろうと思いつつ作ってなくて、ブログは一応あるんですが更新が滞ってるんです…」というやり取りをした。これって紺屋の白袴って呼ぶんだろうな。人には「とにかく自ら発信しないとならない時代ですもんね」とか「今や個人事業だってHPは必須。それに作ったら常に動かしてないと、私なんてストップしているHPとかブログ見ると、あ、信用できないって思っちゃう」とか言っている自分である。パンフレットなんて、他人のはさんざん作っているくせにな。

でもこれには理由がある。この理由にはおさらばしないとマズイとは思っているのだが、つまり店名も内装も前のオーナーからそのまま引き継いでいるので、本当のところはもっとオリジナリティのある店にしたいという気持ちがあって、それがいつか、いつかのうちに今日に至ってしまっているわけだ。パンフレットを作るんならちゃんとコンセプトを入れ愛着を感じられる店名にしたいが、居抜きで借りている今の店の雰囲気では気合いが入らない。店名だって元のオーナーの名前そのまんま。それとこういう日本語による広報活動は自分がやるしかないのだが、どうも自分の立場が定まらない。あんまり信じてもらえないようだが、私は経営にはタッチしてないし、来店の目的は飲み食い。もちろん危機的な時の手伝いはするがあくまで部分的だけ。自分には自分の仕事があるし、そっちをやらないとやっていけない我が家。とかなんとか言い訳しているからこういうことになったと思われる。これを機になんとかしないとな、という時期にきているということなんだろう。それにしてもこういう状態ではやっぱりパンフレットもHPも作れない。やっぱりアクションの時か。
by kienlen | 2010-04-29 12:57 | 仕事関係 | Comments(0)

不毛会議

朝、打ち合わせに来てくれと言われていた中学校に行った。学校の先生とか官僚とか公務員とか商売人とか自由業者とかマスコミとか、一概に言ってはいけないことを承知の上で、それでも唖然とするのは、教育に携わる人々のごくごく一部の人達が一体どこを見て仕事しているのかってことである。ごくごく一部の割には私はよく遭遇するのはなんで…。特にナントカ長という地位の人と話していると、よく感じることで、今日も腹の立つことがあって「正直申し上げて私、これに関しては自分のためっていうんじゃないんですよね。生徒のことを考えていただけますか」と、立派な教育者に向かって申し上げてしまった。笑える。でも、誰も笑ってくれなかった。教育関係の人って何を考えているのか分からない、と感じる場面は多々多々ある。常に本音であれというほど人間単純なものじゃないと思っているし、使い分けは結構だが、少なくとも、その人の考えを想像できない人と話していても不毛である。不毛のまま1時間。全くもう、増毛剤ぶっかけてやりたくなりました。

でも考えてみると職業上しょうがないんだろうか。やればできる、と言わないとならない世界だし、それを長年続けるということは自分もそう思い込む部分がないとやり切れないだろうし。まあ、しかし、昔は親が教員という人が羨ましかった。知識が豊富そうで勉強への関心も高そうだし、躾けもしてくれそうで。何もしてもらえなかった者のひがみ。大人になってからは教員の配偶者っていいなと思った。休みもあるし物知りなんだろうから色々教えてもらえそうだし。それと自分も教師に向いていると思ってたし。機会がなかっただけだ、人生ツイテないと。以上の思い込みはすべてこのところの学校関係者とのやり取りの中で消え失せた。まあ、ごく一部の方と思っていますが。たった1時間の会議でここまで頭が変になるんだから、ああいう人が親だったらとっくにひねくれていて、ああいう人が配偶者だったら暴言浴びせていて、ああいう人に自分がなっていたら、ああ、もっと社会適応できてこんな苦労してなかったかもなあ。不毛な日記でした。
by kienlen | 2010-04-16 16:52 | 仕事関係 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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