カテゴリ:仕事関係( 160 )

フリーランスの宿命なのか

今日(もう昨日になってしまった)は、9時から5時頃まで仕事の予定だった。確かにそう言われていた。初めての相手なので少々緊張する。自分のような立場=所属組織なし後ろ盾なし、の場合、失敗すると先がない。午前中は順調に終わった。午後、約束の2時に再び行くと「こちらの準備が整わないから3時半にお願いします」と言われる。はあ…、まあこういうことはよくあるのだが、だったら最初から3時半頃にしてくれると、こちらの予定は立てやすいのですが、しょうがない。で、次に3時半に行く。当然のことながら、10分前行動。すると「まだ整わないので、時間つぶしていただけますか」「…」「用意ができたら携帯に電話しますから。でも5時より早いってことはないです」「……」。はい。なんだか無権利状態におかれているように感じる自分。当方、大人なので、何事も予定通りに行くなんてことがないことは分かっている。それにしても、これはないだろう。最初から携帯に連絡ということにしてくれればいいのに。

実は家でやりたいことはあったが、時間を気にしながらでは落ち着いてできない。だから書店に行って時間をつぶす。たくさん本を買う。連絡はない。次に喫茶店でコーヒーを飲む。連絡なし。6時近くになってしまった。もしや携帯の調子が悪いのかと思っていたら、やっと電話があって「来て下さい」。当方の予定を聞く言葉は最後まで皆無だった。例えば「不手際で時間を浪費させて申し訳ないですが、こういう内容ですから…」とか「予定の時間を過ぎましたが、大丈夫ですか?」とか、そんな当たり前の言葉だ。こちらも初心者ではないから、そこで「浪費の責任を取れ」とか「えー、予定通りじゃないと困ります」なんて言わない。一応その覚悟はしてきている。ちなみに報酬は時間計算。待機中は自分にとっては他が手につかないという意味では、半分拘束されているようなものだが、実質の仕事時間は数時間でしかない。でも、そういうことより、私が不思議でならないのは、つまり、一般社会常識といえるレベルのマナーの欠如である。ちなみにお相手は公務員。個別の事例で一般化はしたくない。とはいえ、相手の状況を考慮しなくても許されがちな特別待遇の方々のような気が、経験上しないでもない。
by kienlen | 2006-07-12 02:18 | 仕事関係 | Comments(0)

ハプニングは受け入れるつもりとはいえ

予定のない日。定期購読している雑誌が届いたので、ゴロゴロしながら読書を決め込む。途中でウトウトもした。新しい仕事が入って喜んだら、夢の中だった。夕方メールをチェックしたら、先方の都合のみによって滞っていた仕事の発注連絡あり。締め切りが明日という一方的通告。こっちこそが夢であって欲しいと思ったが現実だった。明日は朝から深夜まで全く余裕がない。ということは今日やれってこと、しかもすでに夕方…。それに今日はそういう準備体制が心身ともにない。せめて夕食時のビールを我慢して気分転換を図っているが、ちっとも転換しない。それにしても、社員でもない、特別契約の外注先でもない、たいしたギャラを払っているわけでもない、のに、こんな勝手な注文をするのはなぜなのだろう。慣れていなくて段取りが悪いのだろうが、問題は、どういう内部事情にしろ、しわ寄せが全部外部のこちらにくるということだ。

しかし、進言するほど高尚な内容ではないので、黙ってやるのが面倒くさくなくて一番いい。ここが会社で、上司が「明日までにこれやって」とくるのと、ここが自宅事務所で、できることを何でも受注してやりくりしている自営業者に突然「明日までにやって」というのでは、全く事情が違うと思うのだが、どうやらあまり差を感じてないようだ。押せば自然に出来上がる自動販売機みたいなものだと思っているのだろうか。あれだって、機内では努力しているに違いないから、こんな言い方は失礼か。それにしても、お茶でもコーヒーでも切り替えが早い機械のようになれると便利だろうけど、感情からの支配に屈しがちな人間でしかない。計画性のない性格は、不安定でハプニングへの対応も自分だけという自営に向いているとポジティブに感じる時もあるが、それは自分の中での無計画性の場合で、相手の無計画のツケを払わされるのはちょっと苦しい。
by kienlen | 2006-07-10 21:00 | 仕事関係 | Comments(0)

運転で1日が終わった感じの過去2日

2日間、ちょっとの仕事のために、日中は運転にほとんどの時間を費やしていた気がする。夜はほとんどの時間で酔っ払っていた。走行距離が伸びた。別に嬉しくない。ガソリン代はやたらに高いから、交通費として支給される電車賃より割高で、排気ガスを出し、数時間も運転して帰ると疲労感が残る。本も読めない、ビデオも見られない。でも、電車や高速バスが使える場所だとしても、時間帯によっては1時間に1本もないから、待ち時間が長くなるばかりでなく、家から駅まで、途中の接続、駅から現場までのアクセス等を考えると億劫になる。それと、せっかく隣の隣の市などまで赴くのだから、観光も兼ねたいとなると、車しかない。時々ドライブするのは気晴らしになることも確か。何本ものルートがある場合は、眠くなる国道よりは山道や峠越えを選ぶ。特に今のように、棚田に正しく植わった苗のおぼつかなさがなくなって、安定成長期にあると一層景色が引き立つ。

先日は、幹線道路脇の案内看板を何度も何度も見ているし、有名ではあるが行ったことのない高原に上がってみることにした。活火山の麓、超有名観光地の近く。さすがに見事な景色できょろきょろしながら走る。気付くとかなり高度が上がってるようで、まだ新緑っぽさが残っている。それに車は1台も走っていない。こういう時、やはり日本はいいなあと思う。ここで山賊が出たらどうしよう、とは本気で恐れなくていいから。山頂に着くと、つつじ祭りの最中で、駐車場には首都圏ナンバーの車がたくさんあって、リフトの乗客もかなりいた。週末は賑わうのだろう。そういえば前にも、もっと遠くの街に行った時に、ついでに県下一番の湖に行ってみたら、ちょうど遊覧船の出発時刻。こんな機会は貴重なのでチケット購入。すると、大きな遊覧船に乗客は私1人である。赤字仕事を増やしたようで申し訳ない。人口密度の高い都市の人から見たら、羨ましいのか寂しいのか。昨日、当地に赴任して2年という人に、地方の呑気さに仕事上の焦りを感じないか聞いたら「3-4年前なら感じたかも。今は全然」ということで、定年までいたい希望を出しているとか。私もほぼ同年齢。ただし、定年まで職があると見込めるのが、格段の大違い。後者のことが羨ましいけど、定職があったら平日の気ままな旅は無理だろうしなあ。
by kienlen | 2006-06-24 19:23 | 仕事関係 | Comments(0)

奥様キッチン、ダンナ様お茶のコピーはいかに

帰宅するなり息子が「ヨモギ使うのは月曜日だから」と言う。このところずっとヨモギの心配で、先週末にも、田舎の祖父母宅に行く娘に向かって「ヨモギ取ってきて」と言いつけているから、使い道を聞いたら調理実習のまんじゅう作り。使う日を聞いたらとんでもなく先のことである。まったく、他の事もそのくらい先回りして欲しいものだ。当人は部活で時間がないから、日曜日に山から取ってきてやることにする。息子は「選択の調理実習は面白い」とご機嫌だ。中学から選択なんて、自分の頃には考えられない。尋ねてみると、5科目以外が選択になっているらしく、技術家庭科関係で調理を選んだということ。彼は小さい時から料理が上手なので順当な選択だろう。家で応用してくれるとありがたい。ちょっと気になって「男女は同数くらい?」と聞いたら、当然のようにうなずいた。このままいってくれるといいのだが、巷の情報をみると、このままいけそうにないものも氾濫している。

住宅リフォームのパンフレットを作る仕事の孫受けだかひ孫受けだかをすることになり、コピーだけ担当することになった。送られてきた割付を見て脱力。すでに写真撮影はしたようで、その説明がしてある。「夫婦。奥様キッチンで後ろ向き、だんな様は座ってお茶」「女子4人が談笑しながら、夕食何にしようか的なイメージ」。企画段階から関わっていたらジェンダー論の初歩の初歩の自己流講義をしてもいいのだが、当方下請け以下のひ孫である。それに、講義したら、その場で仕事を失ったかも。私としては、息子の先のうなずきの方が、これからの現実であると信じている。だからこの広告企画の提案者が高齢者だったら、そのうち駆逐されるんだから、で片付けられるのだが、実のところは20代の女性。バランスを取るために、キャッチコピーは「リフォームしちゃいたい、この場面!」というのはどうだろうか。ダメだろうな。
by kienlen | 2006-06-16 23:18 | 仕事関係 | Comments(0)

急に外も暗くなってきたようだ

初夏の好天の日。こういう日に家の中にいるのが好きだ。垣根のサザンカのむっちりした葉肉の輝きが、薄暗がり=家の中から見ることでいっそう光度が高まっているように感じる。家を作る時に私がリクエストしたことのひとつは、「明るくしなでくれ」ということ。陽光がサンサンとふりそそぐ明るい健康的な家、なんてのは全く好みでない。だから窓を少なくしてもらった。訪れた人にいきなり「くらーい」と言われると、私としては、要望が通っていたのだと確信がもてて嬉しくなる。こういう部屋で、カーテンの隙間から入る光を頼りに読書、というのが、至福の昼間の時間で、こういう部屋で1人でお酒を飲むのが夜の至福の時間、ということになる。残念ながら今日はちょっとやることがあって、それができない。もっともいつもできたら至福なんて言葉は使えない。だからお酒の方は取り消しだ。

こうして在宅していたら友人から携帯に電話があった。固定電話の方にするというから長くなるのが分かる。仕事の愚痴だった。親しい人に勤め人は少なく、彼女もいわばフリーランサーというやつだ。もっともで共感できる話だが、かといって、それを言ったところで無意味。発注元の都合でコマ=外注さん、を動かすだけなんだから、コマさん達はなるべく動かされやすい軽い存在でいてあげないと、気がついたら娘や息子の年代になっていた発注元の手に負えなくなってしまう。それによって注文がこなくなるかも。ということは、みんな承知の上。だから些細なやり方への愚痴に見えるが、実は、「一体こんなことをしていて先に何があるのだろう」という不安が控えていると思われる。職種を変えるには年齢がいっている。小さな愚痴を言っている方が、肝心のそっちから目をそらすことになっていいのかもしれない。昨日も別の友人が来て、そういう話になった。これじゃあ発展性がないから、組織にして力をつけるか、という話はいつもでるが、それに向かないから1人になってしまったような者ばかりで、さすがに、その点の自覚はある。どっかにブレークスルーがあるような気もするんだが、雲の中にいる感じだ。こんな事を考えていたら外も曇ってきた。
by kienlen | 2006-06-06 15:44 | 仕事関係 | Comments(0)

ダブルブッキングの際の判断基準変更

明日とあさっての、現場で拘束されるタイプの仕事の打診があり受けた。以前だったら、受けられるかどうか、必ず予定帳を確認しながら答えていたのに、このところ真っ白続きだから見ないで受けた後に、書き込みのため開いたら別のが入っていることに気付いた。記憶力の悪さと不注意を自覚しているので、こと仕事に関しては、こういうことはないつもりだったのに、今のように、仕事なし、でもたまにアリ状態は半端で油断してしまう。それに労働環境としては底辺に組み込まれて身動きできなくなる感覚がヒリヒリするこの頃。女子供に貴重な男はタイ人ときたら、社会的強者は1人もいないから、堂々と弱者顔ができるのだが、強弱意識そのものに疎かったのでそれも慣れていない。田舎で持ち家で親が公務員だったため年金があるという境遇にかろうじて支えられているだけで、病気等のありふれたきっかけで即どうなるか、想像するまでもないお隣さん感覚だ。まず、異様に高い国民健康保険は払えなくなる。見もしないのに口座引き落としになっているNHK受信料なんか絶対に払いたくない。外国人政策が信用できないのは歴史から明らかだから、夫が払っている国民(!)年金もどうしたものか。

結局、先約の所に電話して断ることにする。それは、後のものの方が、やりがいもあってギャラもいいから。条件で選んだら全く迷うことはない。それでも今までは、こういう事態の時は、泣く泣く常識的に先約を優先していたのだが、衣服足りて礼節を知ってこその常識である。外注をどう使うかは職種や企業によって異なるが、どうも、安かろう良かろう、が期待されているようで疑問に思うこともある。安いからとそれに見合った品質でいい業界があるのだろうか。時給を50円下げるから、笑顔を1回減らしていいというマニュアルをバーガーショップが作るわけにもいかないだろう。個人の良心に頼った労働スタイルは、その良心があるうちはいいが、正直者が損をすることが明白になった場合に社会はどうなるのか。今日の判断は、ちょっとした抵抗なのだが、弱い立場の者が中途半端に抵抗して自分に利があるということは、まずあり得ないのだ。
by kienlen | 2006-05-01 19:39 | 仕事関係 | Comments(0)

自問自答の殺風景な仕事場

広告のコピーを書く仕事が入ったので1人で在宅。気分がのらない。助走の時間がかなり長くなりそうな気配。いい天気だしゴールデンウイークだから遊びに行きたいから集中できない、というのではなくて、あの打ち合わせの内容を考慮すると、自分の中に生じる不整合が仕事のじゃまをする。団塊の世代が退職後に優雅に趣味に浸る場所をリフォームで確保する、というのが趣旨だという。当方、企画段階から参加しているわけではなくて、文字がないわけにいかないからちょっとまとめてくれ的な発注スタイルで、いきなり現場直行なので、余計な事は言えないが、とはいえ「え、この地方にそんな優雅な団塊世代がそんなにたくさんいるんですか」なんて、余計な事を言ってしまった。幸いなことにたいていの失言は、真っ向からの非難や異見よりは無視されるのが慣習のようだということを悟りつつあり、このところ安心して失言するクセがつきそうで怖い。

団塊というだけあって数が多いからいろいろな人がいるだろうし、それに、広告なのだから対象は消費者である。あるいは潜在的な消費欲求を喚起してあげるのが広告の役割である。だから倒産や解雇にあってギリギリの生活だ、なんて人をひっくるめることまでは必要ない。で、それは難しいことではない。視界の中に入らないものを想像するよりは、視界の中だけで物事を考えたほうがずっと楽なので、その状態にもっていくのに時間がかかる私は広告に向いていないのだろうか。先日、テレビ局に勤務する若い知人と団塊世代の話をしていた時に、彼女が「そういえばウチの父、団塊の世代ですよ!」と、途中で思い出して叫んだ。そしてこう続けた。勤務していた会社を上司と喧嘩して辞め、その後別の所で働いてはいるが、メディアでは退職後にヨットに乗ったり、みたいなのが紹介されるけど、そんな、とんでもないです、お金ないし、ああいうのってどこの話なんでしょう…。どっかの話ではなくて、あなただってできるんですよ、これを買えば、これをすれば、の心意気で助走を脱してがんばることにしよう。
by kienlen | 2006-04-29 14:30 | 仕事関係 | Comments(0)

ハローちゃんからの紹介状

うす曇で寒くもなく桜も多分満開だろう。修学旅行の後で部活が休みの息子が暇そうなので「花見でも行く?」と誘ってみたが、はっきりしない性格の割には即断で断ってきた。娘はいとこと映画を観た後に、叔父と花見に行くそうだ。私と外出したがる家族員は誰もいない。自分が行きたい場所に行き、子供の希望を聞くということをあまりにしてこなかったので、彼らなりに学習した結果が今日のこの態度である。子供の言うなり気味の父親は人気がある。お金のことは私だったのが、これも失い、用無しになるならなるでこちらにも考えがあるが、そこまでは達してないので半端だよなあ、と疎外感で新聞を開いた。現知事の細部に及ぶ改革志向の一貫で、戸配から新聞の全面広告での告知に変更になって久しい、県の広報の掲載日である。広報なんて広報する側がしたいことをするのであって、特別な興味もなかったが、今日は読んでしまった。それは「有効求人倍率」が登場していたからだ。それでつい先日の職安=ハローワークの対応を思い出した。

なんでもこのN県は7か月連続で全国平均を上回っているそうで、太字での広報に値すると判断されたようだ。自営業なので雇用保険など縁がないが、仕事はしたいのでハローに登録した。求人票を見ていたら某塾の「小論文の指導」というのがあって、時給が2000~6000円と破格である。指定通り、ハローの「紹介状」をもらって応募してみたが、2か月間なしのつぶて。ということは不採用だと判断して放置していた。するとハローから電話があって「この間の応募はどうなっているか」と聞くので「求人票には先方から連絡すると書いてあるのでそのままです」と答えた。すると「もう2か月たっているから明日あなたが電話して、その結果を報告してくれ」と言うのである。書類の処理がお役所の重要な仕事だから、そのために処理用データが必要であり、サッサと済ませたい、というところまでは理解できるが、お役所が文書の文面に従わずに個人と蔭で取引することに加担したいとは思わない。だいたい「紹介」なんて言葉にはとりもつ意味も含まれているはず。ハローの存在意義を示すためなら紹介状などと大げさにしないで「通過証明」くらいで充分だろう。派遣会社やら請負会社の求人から、短期バイトから期限付きからバンバン通過させて有効求人倍率もドンドン上げて、景気回復させておめでたいことである。
by kienlen | 2006-04-22 13:22 | 仕事関係 | Comments(0)

朝の電話

寝坊していたら友人から電話があった。「どうしよう、こんなんで。死んじゃうよう」が挨拶代わり。朝から暗い。母子家庭でフリーランスで建築パースを描いているが、それだけでは食えないのでアルバイトもしている。この不安定さに耐えられなくなって、たまたまオファーがあった会社に正社員で就職したこともあった。40代も後半になった女性に正規雇用の求人なんてめったにないのだからラッキーなことだと思って私も祝った。が、彼女はじきに辞めてしまって元の生活に戻ったのだった。もったいない。でも分からなくもない。いったん会社を離れると、長時間拘束されて昼休みが1時間でビールも飲めない、という生活に対する忍耐力が低下してしまう。

男女雇用機会均等法もなく、それに田舎だし、終身雇用なんて男の世界、という意識が大方だった世代でもあり、私も含めて周囲の女性達は常に仕事について考えている。離婚している人も多いし、パートナーが働かない人もいる。エリートでもないタイ人と暮らしている私も彼をアテにすることはできない。とはいえ、私を含めて周囲を見ていると、どこかが甘い。覚悟していたわけでもないのに、なんだかこうなっちゃった、という感じ。で、年齢的には抜き差しならないところにきている。共通するのは、親の土地に家を建てたり子供を見てもらったり、親の援助がかなりあること。経済成長の恩恵にあづかってきた親世代の蓄えを私達が食いつぶしている。となると、格差社会は次の世代に本格的に表面化するのだろうという気がする。
by kienlen | 2006-04-01 23:45 | 仕事関係 | Comments(0)

撮影時の一コマ

短時間のアルバイトをした。定期的な仕事がないのでバイトでしのいでいる。ガイドブック的情報雑誌のレストラン案内の紹介文のための取材で、文字数は少ないし簡単なので10分もあれば済むのだが、料理の撮影に付き合わなければならない。で、これが相対的にはひじょうに長い。することはないし、てもちぶたさなので、準備に動き回るフォトグラファーに向かって「この雑誌って撮影は丁寧ですよね」と言ったら、彼はムッとした表情になって「どこもかしこも安易になっている。今までやっていたコマーシャル撮影に比べたら、これだって手抜き。品質が低下しても、それを分かる人がいなくなると困る。書く方だって同じでしょ」と言った。

その通りです。指先用のお遊びツールがたくさんあって活字離れが進行するのは当然だ。わが子達の読書欲も限りなくゼロに近い。それを見ていると「シメシメ、読まないということは書けないにつながるから、この先さらに年老いてもライターとして若者の仕事を奪えるかも」と希望を膨らませそうになるが、そういうことはまずないだろう。だって需要がなければ供給はいらない。言葉の破片を暗号のように共有できれば、特に不自由ないじゃん、が主流だろうし、そういえば先のレストランは注文もタッチパネルで、メニューを読む必要さえない。タイ文字を読めない人は指差で…という指南がガイドブックにあるが、母語においてもこっちの方向に来ているような気がする。
by kienlen | 2006-03-31 23:27 | 仕事関係 | Comments(1)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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