カテゴリ:地域( 35 )

「今、ウチにいる?目の前にいるんだけどさあ」という電話が入った。昨日から持ち越している仕事を仕上げないと、さすがにマズイ。が、この程度の事で一期一会を逃すのはもっと性に合わない。「ちょうどコーヒーいれたところだし寄ればあ」と言ったら即来た。本当に目の前だったのだ。1年ぶり以上じゃないだろうかという友人。付近の町で議員をしている。「なんか、友達がみんな政治家になるんだよねえ」と言ったら「政治で変えられることなんてないよ」と言う。じゃあ、何で変えられるのだ、と言いかけて、そもそも何を変えるんだと思い直した。何でもかんでも改革だ、変革だ、変えるのだ、と叫ぶ人はどうも信用できない。かといって現状維持とか、ありもしない幻想の過去にすがって「ナントカの再生」とか叫ぶのは、もっと勘弁してくれである。何を何のためになぜ変える必要があって、何は何だから変えないでおくかという仕分けではないだろうか、大切なのは。官だとか民だとか地域だとか個人だとか、担当を誰がするかも含めて。こういう仕分けが貸借対照表みたいにすっきりできるわけないのは分かるけど、少なくともそれが伝わらない革新も保守もゴメンである、という政治不信者であるが、選挙には行きこの手の言論にも無関心ではいられないから活字は読むという世代の正統派であるのが、なんだか悲しくもある。

「それで何してんのよ」と尋ねると「宅老所の理事やって現場にいる。今日も夜勤なんだよ」と言う。それからNPO法人の問題点、地域の問題点、介護政策の問題点、小さな自治体の行政の問題点などなど、出る出る。ついでに私もこの地域の問題点、都市内分権の問題点を、出す出す。出しまくっていてもしょうがない。ただの愚痴じゃん。「じゃ、どうする」って話しになる。もう年齢的に切羽詰っているから。「そりゃあ、自分達の地域を作ってわけわからん奴らは排除するしかないよ」と彼がパッパと排除のしぐさ。「それしかないよねえ」と私。この地区のエピソードを話すと「だからそれ人権侵害」と断言。人権相談員とかいうのが地区内にもいるが、私は地区の役員をやった時に、そのありようについてその人たちに相談しようかとブラックジョーク的には思ったが、自分いじめは止めることにした経緯がある。ま、似たように感じている人は範囲を広げればいるんだし、それで美しい村までできるとは思わないが闇ばかりでもない。「生まれる場所は選べないけど、死ぬ場所くらい選びたいよなあ」という彼の言葉に、か弱くうなずいた。
by kienlen | 2008-02-05 12:31 | 地域 | Comments(0)

地区の役目って何なんだ

地域という曖昧な言葉が何を指すかはともかくとして、一昨日愕然として記入しようのなかった地区のアンケートについて迷っていた。できるところだけ書いて、あまりにヘンなのは指摘して提出するか。あるいは一昨日のブログを印刷して名前をつけて提出するか。新たに一筆添えて提出するか。あるいはあまりにバカバカしいから提出しないか。まあ、その前に部屋を片付けてしまおうとしているところに友人が立ち寄って、コーヒー飲んでおしゃべりして「お昼どうする」ってことになって、出かけようかってことになって、その友人がごちそうしてくれるということになって豪華な中華料理でビールまで飲んだ。なんて幸運なクリスマスなんだと思っているところに別の友人から「クリスマスのディナーコンサートの券があるけど行かないか」と持ちかけられた。なんでも1万円のものを買ったはいいが、自分が行けなくなったから、と。ますます幸運なクリスマスである。喜んでいただくことにして帰宅。ディナーに出かけるために、急いで片付けしているところにチャイムが鳴った。隣組長によるアンケート用紙の回収だった。結局まだ未記入で未処理。

私のポリシーとしては、言える場があったら言うというものなので「このアンケートは内容がひどすぎて答えようがないです」と申し上げた。隣組長に言ってもしょうがないから「あ、別に○さんを責めているんじゃないんですけど。誰が作ったんでしょうか」と聞くと「役人だろ、行政なんだから」と言う。そういえば以前に「行政区」って書いた書類がきたが、問題は、地区では行政区と位置づけていても、行政側は地区は行政でも中身は任意の地縁組織であると位置づけていることだ。以前、市役所に地区の事で言いたいことがあったので伺ったら「行政は強制してない」でおしまいだったもん。私の方も予想を確認に行っただけだからいいのだが、このねじれ現象は何だ。私には国会のねじれよりも深刻である。それにしてもここまでひどいアンケートを役人が作るとは思えないが、これは確かめたくなったので用紙は要保存に分類。ひとしきり言えることを言うが「上が決めたことは従うしかない。俺は役目だから回収に来ているだけ。出したくなければそれでいい」というだけ。この論理からいくと、上が決めたら何でも従うということである。その発想があの事態を招いたのだ。この地域を見ているとその流れがよく分かる。そして怖い。しかし、お言葉ですが、これって住民自治に関することなんですよ、とは言わなかった。地区内で発言してさんざんな目にあった経験はある。逃げたいだけ。
by kienlen | 2007-12-24 23:12 | 地域 | Comments(0)
事務所兼用自室を昨日から片付けているのでいろんなモノが出てくる。なんといっても多いのは書類。いつのまにか紙の山。資源の無駄。その中に、気付くのが遅れた「K地区まちづくり住民意向調査」というアンケート用紙があった。たいそうな名称である。で、どんなに重要な内容かと思って目を通してみた。不協和音が四方八方から押し寄せてくるような気分になった。例えば問3を俎上に乗せてみる。質問:これからのまちづくりは「住民が主体となって行い、行政はその支援を行う」と言われていますが、あなたはどう考えますか。何コレ?「言われています」ってどっかでこういう噂が流れていて、その噂についての感想を聞いているんでしょうか。ホホウ、選択肢はいかに。①地域住民が主体で行う②地域住民と行政が一緒になって行う③行政が主体で地域住民は参加すればよい④行政がおこなう。なるほど…。「まちづくり」からハコモノや道をイメージする人で建築だとか土木関係の方は①を選ぶかもしれないな。同じイメージを抱きつつ畑違いの人は④を選ぶかもしれないな。それにしてもこんな難解きわまりない質問に対して「わからない」「どちらともいえない」という選択がないのはなぜなんだ、厳しく問い詰めているのか、と思って読み進む。

と、問8の「環境問題」。質問:買い物袋を持参することについてどう思いますか。私にはこっちの方がまちづくりよりシンプルに感じられるが、なんと、こっちは「わからない」が用意されている。区を代表する方々にとって「まちづくり」は自明であり、買い物袋は抽象概念なのかもしれない。すごい世界だな。という具合でどれも、自分の住んでいる地区でなければ笑えると思ってもいいものばかりであるが、ダメ押しもうひとつ。問6:子供は主にどこで遊んでいますか。①家の中が多い②外で友達と遊ぶ③近所に友達がいない。これの問いは「どこ」である。小学生の国語並みに言ってみれば。「どこ」は場所を示す代名詞である。ところが②では友達が登場する。どこから来たのでしょうか。で、③では中心が友達にシフトしている風でもある。これを小学生に見せて答えられるだろうか。国語のテストだったらミスプリントで大問題なはず。大人になるといいのは、こんなもんを作って平気でいられることなのだ。そして、そういう大人達の方が「今時の子は」とか言うんだ。頼むから、こんな地区で「住民自治」なんてやって欲しくない。その前に頼むから、このようなアンケートの回答欄に「回答不能」「質問の意味不明」「整合性なし」の選択肢を加えて欲しい。そして頼むからこんなアンケートの結果を集計して「まちづくり」の判断材料にしないで欲しい。小学生程度の読解力があれば答えられないはずだからだ。
by kienlen | 2007-12-22 21:57 | 地域 | Comments(3)

こんな場所にサトウキビ

ポカポカした陽気で、ちょうど野菜が切れているので直売所にでも行きたいなあ、でも面倒だなあ、と思っているところに友人から電話があって「行こう、行こう」ということになった。娘が暇そうにしていたので乗せて行く。地元産ばかりで盛りだくさんで安くてお気に入りの道の駅へ。好物のオクラを見つけて娘が欲しがるので、今夜の夕食はテンプラに決める。それでマコモタケもテンプラ用に購入。人参やらキノコやら。何がなくても野菜は食べたい者にとって、安くて新鮮でありがたい場所。極太のゴボウもあったのでキンピラにしようと購入。だいたいの袋が100円で高くでも150円。切花も多彩だったが、見ると一束170円とか。前に東京の友達が来て、お花の安さに驚いていたが、東京じゃあススキにまで値段がついているとか。本当かい。それを聞いただけで住みたくない。
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カゴに入りきれないくらい買って1500円だった。夕食は野菜のテンプラとキンピラとナメコ汁とイワシの塩焼きにした。オクラのテンプラは特に人気で、追加して揚げた。美味しかった。で、この道の駅で珍しいモノを発見して夫へのみやげにした。それはサトウキビだ。一袋100円。なつかしい。タイではサトウキビを搾った生のジュースの屋台がよくバス停付近にあって、喉が乾いてたまらない時は買って、その場で飲んだ。フレッシュなサトウキビジュースはすっきりした甘さでいける。「サトウキビがあったから買ってきた」と言うと、物事に興味を示さない夫が珍しく興味を示して、袋から出して剥いてかじった。そして「甘くない」とひと言。外見は同じかどうか聞くと「違う」とひと言。そういえばタイのサトウキビはうんと太いし、色ももっと白かったなあ。気候風土も土壌も違うんだから当然だけど。サトウキビの収穫は重労働で、貧しい地方出身者の出稼ぎ先だった。しかし今はタイでも外国人労働者が相当に増えているそうだから、カンボジアやミャンマーの人達が働いているのかもしれない。トラックに山積みのサトウキビを思い出す。
by kienlen | 2007-10-07 22:41 | 地域 | Comments(0)
北軽井沢に行ったので帰り道の軽井沢で釜飯を買った。いつもそこを通過する時に、子供達へのおみやげにしようかと考えるのだが面倒で買ったことがなく、それで昨日「明日は少し遅くなるから釜飯を買ってくる」と宣言していた。それで約束を守ることにした。このところかなりの散財なので1個900円は高いなって気が、入店してからしたので、自分の分は抜かして2個注文した。レジの前に立っている時に何かの気配を感じて振り向いたら動物がいた。建物の中にいる動物で浮かぶのは猫か犬だが、猫の形状でないことは瞬間的に分かったから思い込みで犬ってことにしたが、顔が真っ赤。犬が酒飲んで赤くなるという話は知らない。いずれにしろ、すごく違和感なのだ。で、よく見たら猿だった。すごく大きい。しかも「お手」とやったら確実に握手できる距離しか離れていない。釜飯を売る店内で猿を放し飼いにしているのかと思って「猿飼っているんですか」とレジの人に聞いたが、彼は何度も聞き返すから何度も「猿飼っているんですか」と聞いた。そのうちに彼の顔色が変わる、まではいかないが驚愕の表情を浮かべて「こっちに来て、こっちに来て」とカウンターの向こうに手招きするから、ここにきて私も事態を理解した。

1人で店番していた男性は私をかばうようにしてくれて「こんな事は初めてだ」と何度も言いながら、椅子を持ち上げて猿を店外へ追い出した。その時に猿が何かくわえているのは見えた。猿は名残惜しそうに外に出て、男性は開放してあったドアを閉めて回った。しかし窓の外にはこちらをうかがう猿。「そこにあった作り物の食べ物持って行った」と男性。せっかく食べ物にあずかれたと思ったら作り物だったとはかわいそうな猿であるが、猿って匂いじゃなくて視覚で食べ物を判断するんだろうか、なんて考えた。隣の店の人が「猿が出たぞ」と声をかけに来た。店に入れないと分かった猿は、道路の脇に走って行った。「あっち側に渡れば安全だから」と男性。あっち側は山で多分住処はあっち側に違いない。ところが、車の往来が激しすぎて、猿は何度も横断を試みては勇気がなくて戻り、ガードレールをつかんでしょんぼりしている。再びかわいそうな猿。だけど、そこにいる限り私の車のすぐ近くなので、私は出て行く勇気がない。猿は日本にもタイにも多いから何度も見ているし猿の群れの中を散策したこともあるけど、昔バンコクのサファリパークに行った時に車の窓に飛びついて来た時の猿の形相が怖かったから警戒するようになった。猿は横断を諦めてこちら側のどこかに走り去ったのだが、その時に新たなお客さんの目の前を横切ってビックリのネタをまた提供した。「クマじゃなくて良かったですよね」と3人で顔を見合わせた。
by kienlen | 2007-08-30 22:15 | 地域 | Comments(0)
朝早くから騒音が響いている。すぐ隣の家の取り壊しである。家に取り掛かる前に庭の木々が切られた。もったいない。自分にお金があったらそのまんま買い取るのだが…。この木は、ここに引っ越した当初は我が家の借景になっていたものだが、それが困りものに代わったのは、手入れをしていた主が突然死んでからだ。ウチの親よりは若いと思われる老夫婦と犬1匹が隣家の住人だった。女性の方は外出したところを見たことがないのでほとんど知らない。男性は犬の世話したり、庭木の手入れをしたり家庭菜園をしたり近所の人と話し込んだりで、暇そうによく外にいたから私も野菜のことなどで話をしていた。ところが、犬の散歩中に突然死したと、娘を通じて聞いた。子供は、以前からこの地域にいる子と学校で接するわけだから、地域の事情を知るのが大人より早いのだ、それから家の様子はみるみる寂れた。木の枝はウチの敷地まで伸び放題で虫も付き放題。ひとり暮らしになった女性はいたりいなかったりの様子。しょうがないから、勝手に枝を切ったが、高い所にまで届かないからボウボウ状態である。そのうちに完全に空き家になって、庭一面が雑草に覆われた。ウチのウサギが逃げた時はここに潜んで食物を確保できたのだから感謝であるが。

あのおばあちゃんも犬もどこに行ったのだろう。たまに娘さんらしき人が訪れる気配はあったが、大声でおばあちゃんを怒鳴る声が聞こえた。施設にでも入れたんだろうか。この辺りは地価も安くないし、市街地に住みたい人にとっては便利な場所であるから、それを放置しているのはいかにももったいない気がしたが、子供の数だって少ないだろうから、それぞれ独立していれば家が余るのは不思議じゃないな。車がひとり1台なら、家もひとりに1屋って時代になるのか、あるいはひとりに数屋とホームレスの差がつくか。多分後者であろう。しばらく前に不動産業者と建築業者がウロウロしているのを子供達が目撃したどころか、息子は出て行って彼らの給料を聞いたそうだ。この頃感じるのは、彼の行動様式はタイ人である、ということだ。そして、数日前に女性がタオル持参で「ご迷惑かけますが」って挨拶に来た。大阪にいるから自分はすぐ帰るってことだった。更地にして売るってことだった。それで今日の解体作業である。古い日本家屋がまた消えていく。この場所に決めた理由は在宅の人が周囲に多そうで、安定した環境で、子供の安全にもいいかという理由があったのだが、こんなに急激な変化は予想外だった。
by kienlen | 2007-08-06 12:47 | 地域 | Comments(0)
Junさんのコメントを読んでいろいろ思い出した。PTAとか地区組織とか書きたいことはいっぱいあるが、在宅ワークもある本日と週末、ままならない。このところ外に出る用事が多かったので、くだらなすぎる地区の回覧板についての記録も延ばし延ばしになっている。そこにまた今日は地区の配布物が、市の広報と一緒に来た。巷ではマスコミの問題は取り上げられるがミニコミの方は、こっそり無能な横暴ぶりを発揮しても批判されることもなく跋扈している。この地区に転居して4年だ。2年目の時に育成会役員をやって、あまりのバカバカしさ、というだけなら笑えばいいが、そうじゃなくてナンセンスでもなくジョークでもなく暴力的バカバカしさに、怒りの感情は低めの自分も、地区への憎悪抑えがたく非暴力の抵抗を試みることにしている。といっても出来ることって、一斉清掃は参加しないとか(出不足金取られるからソンだが)、回覧板をなるべく止めているとか、寄付はしないとか、その程度であって波及力はゼロであるが。ここに4年住んで分かってきたことは区長や主な役員は決まった方々が持ちまわっているようだってこと。館報なるものに掲載の区長挨拶の写真も名前も、私が育成会役員の時に副区長だった人物で何かと頻繁に登場する人物である。低民度反映している。

昨今は学校も地域もプロジェクトも「特徴ある」がスローガンなので、館報にも「公民館活動を通じて特徴ある地域づくりを」っていう大きな見出しが踊っている。特徴出せって言われたら「特徴、特徴」と駆けずり回る。きっと「特徴消せ」って言われたら「消せ、消せ」とそれに従うんだろうから、いっそ毎月スローガンなんか変えればいいのだが、自分で作る能力はないから上から降ってくるのを待って飛びつくという仕組みである。で、特徴のための特徴作りで胸張れる感性が私には理解できないから、この世は住みにくい。それはともかくとして、普通見出しって中身と関係あるものだと思っていたが、じゃあ何が特徴なんだろうと本文を読んでみたが、それらしきことは何も書いてない。特徴のない役員名簿があって、会長と元会長って肩書きの方による特徴のない投稿が2つ。写真も載っているけど特徴ない。ネクタイして背広きて口閉じて笑顔なし。特徴なんかいらないから、区民が憎悪を抱かないような活動にしていただきたい。
by kienlen | 2007-06-15 12:45 | 地域 | Comments(2)
今朝はなぜか気分がいい。寒くないせいかもしれない。仕事に関して先が見えてきたせいかもしれない。でも本格的に気分が滅入るのは仕事がなくなった後だから、何もしなくてもまた落ち込むのだ、しかもごく近いうちに。だから気分のいいまま今日の分の仕事に取り掛かるべきだったのに、ふと昨夜を思い出してしまった。市報に折り込まれて届けられたチラシ。「青少年健全育成だより」というもの。こうして怒りのエネルギーの使い道を探すほどエネルギーが余っているわけでもないのに、これも一種の依存かもしれないと、よく思う。それにしても、こういう怒りの処理はしにくい。昨日も友人とランチしている時に、そんな話がでた。内閣府のイベントの現地実施機関として司会役まで務めた彼女は、民間人の一般常識的にはホスト役であるはずの国の役人達が何もせずにお客さん気取りで、官々接待ならぬお互いを「~様」付きで呼び合い、そういう習慣をイベント請負のコンサルがそのまま文字化して司会進行のシナリオを作って彼女に渡したそうだ。それ以上説明してもらわずとも様子が手に取るように浮かんできて食事がまずくなる。「もう、あれをヘンって感じる自分がおかしいのかと思った。笑えるよね」と彼女は言うのだが、笑えない。確定申告近くなると、理由があって庶民の税金が上がるのは許せるが、そういうところに流れていると思うと、ほんとに気分が悪いのである。

結局「こういう事を言う場がないでしょ、どうしたらいいんだろう」で行き詰るのだ。しかしこういう細部に大きな問題は宿っているのだし、この細部なら私達も見る機会が多いわけだから、細部を集めて全体像をモザイク画のように作ることはできるのだと思ったりもする。モザイク職人さんが分担し合わないとね、というところまで話は進まず別れた。まあ、そんな職人さんは蹴散らかされる世の中だから、引きこもりたくなっても無理がない、と自己肯定。以上は余談だが、このチラシは定期的に入ってきて、毎度呆れている。「お父さん、お母さんへ」と題して6か条並んでいる。すべて疑問文。疑問文を並べるのは自分が責任を取らないですむいい方法である。あとは勝手に考えて下さい、あ、その考えはあなたのものでボク達押し付けてませんよ、という背後の意図が見え見え。「子供達へ」の5か条の最後は「家庭環境以上の事を望んでいませんか」で、素直な私は「そうだ、私のような出自、ウチの子のような出自の人間は質素にひっそり生きるしかないんだ、教えてくれてありがとう」と納得しかけて裏切られるのは、親と子の「解決」として真っ先に上がっているのが「夢と希望を語り合える家族」!!!夢語っていいんですか、家庭環境以上の夢を…。こういうのはダブルバインドメッセージといって、ナントカ療法的には、人の心を病ませる二重構造になっていることは初心者でも知っていることだ。こうして日本国民みんな心の病を得て国力低下して、そこで一発奮起逆転狙い、だけは勘弁して欲しい。
by kienlen | 2007-01-19 11:12 | 地域 | Comments(0)
「ふるさと自慢」というイベントに行った。県内各地の農産物のブースが並んで、食べたり飲んだり買ったりできるのが楽しくて毎年行っている。今日は娘と行こうと思っていたら友人も加わって3人。息子も誘ったのだが、友達とバスケットで遊ぶ方を迷いなく選んでいた。彼はいろいろと問題を起してきたから現在小遣いなし状態が続いていて「おにぎり作って」というからランチ用に持たせる。イベント会場は大変な人出だった。ソバを食べようと思ったが屋台は行列で、娘が空腹を我慢できないというのでおやきを買ってやる。それから自家牧場の豚から作るソーセージを食べる。1本200円でこの味と大きさはまことに良心的。高原の牧場の乳牛から絞った乳で作った飲むヨーグルトを購入。飲むヨーグルトは息子の好物なのでおみやげ用。ピーマンを袋に詰め放題で100円という店の前で娘の目は釘付け。ウチにもピーマンはたくさんあるが、それも買う。大きいのを14個詰めて100円。友人もやって、ちょうど同じ数だった。

それからソバの行列が少し減ったので並ぶ。かけそば500円。これは儲かるよねえ、と友人と話す。あのソーセージの手間を考えると逆でもいいような気がするのだが、価格が何によって決まるかは、そうシンプルなものではないのだろう。若いセロリ大束100円、大きなキャベツ150円等を購入。農家の人が直接売るので講釈を聞くのも楽しい。昨年は、かまどで作る自家製味噌で出店しているおばあさんがいて、今年も会えることを楽しみにしていたのにいなかったのが残念。美味しい味噌だったんだけど。その後、娘はいとこの家に遊びに行き、友人と、紅葉が進んでいる高原をドライブした。秋晴れの1日はこうして過ぎた。

活性化が行政の目的でもあるらしい中心市街地に、最近、市の施設と放送メディアが一体のような建物ができて、私などは、これでいいのかと仰天しているのだが、世間は歓迎なのか、とりあえず賑わいが見られる…らしい。しかし、何の個性もないつまらないビルの前を通るたびに、この施設のテナントが撤退したらどうなるんだろう、と想像してしまう。もっとオープンな市場のような場所だったら…今日のイベントのようなブースが毎日あったら楽しいだろうに、と夢想してしまう。タイのマーケットや屋台のような。人や野菜や生き物の存在を感じられる所。それが中心市街地にあってもいいと思うのだが。
by kienlen | 2006-10-14 23:52 | 地域 | Comments(0)

階層論的に見回すと

秋晴れの気配の今日はどうしようか、と話していた午前中、娘に友達から電話があった。「お昼食べにおいでと言うから行ってくる」と言って、近所の友人宅に出かけた。息子は息子で「お昼食べたら友達の家に行く」と言う。息子の昼食を作って、自分は夫の店へ。それからずっと友人と話していて夕方帰宅すると、すでに帰宅していた娘が「焼肉だった」と報告。「ジンギスカンと豚肉と熊だった」とのこと。熊!「シマちゃんのお父さんってハンターなの?」と聞いたら「知らない」。他人の家に行ったら根掘り葉掘りプライバシーについて尋ねること、とは言わないでおいた。娘は鹿とか熊は好物なので楽しんだようだった。で、どこでバーベキューしたんだろうと思ったら、ベランダだと言う。小学生3人と中学生2人と大人(両親)2人。これだけの人数を収容できるベランダ…。「すっごい広いんだよ、ウチのベランダの4倍くらい。食べた後でかくれんぼした」と言う。ウチのベランダも一応、物干し竿だけでなくて据え置き式の物干しを置けるくらいのスペースはあってハンモックも吊るせるし、広いつもりでいた。さらにかくれんぼできるということは、障害物もあるということか。さらに3階建てだという。

と、そんな話をしていたら息子が帰宅。「3階までずっと天井のない家だったよ」と言うから「それ、吹き抜けって言うの」と教えてやる。しかし、3階までの吹き抜けか…。あれがあった、これがあったという説明。「家の人はいた?」と聞くと「分からないよ、広すぎてどこに誰がいるか分からない」とのこと。「じゃあ、泥棒が入っても分からなくて怖いよねえ」と言うと「2階に直接入れるんだ」と言う。泥棒用の通路かと思ってしまったが、たぶん違う。以前から薄々感じていたのだが、この辺りの人は不労所得層が多いのではないか。郊外という場所ではないから地価は結構高い。そこに宅地開発が進んでいるから、地主は儲かる。離れ住まいの子も結構いるし、ゲームなんかわんさか持っている子もいて、ウチで禁止しても借りまくり。こういう地区って、多分所得は中の上、でも職業威信的には高くない自営業層。で、こういう地区の子育て環境は、知的よりは消費的に走りがちに思える。一昔前なら、金はあるが学歴の低い親が子供に学歴をつけさせようと思い、子もその期待に応える、みたいな構図が予想されるが、豊かで学歴信奉も崩壊気味。そもそもここまで子供が減れば、選ばなければどっかの大学に入ることなんて、金さえあれば難しくない。そんな環境の中で、そんな人達とは全然違う経済的状況下に生きる我が家の子達。一体どこへ行くのか。
by kienlen | 2006-10-09 19:29 | 地域 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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