2007年 07月 24日 ( 3 )

高校で初めての3者面談で希望はさらに断たれる

楽しみがひとつ終わった。息子の3者面談。期待を裏切らない盛りだくさんな内容で、虚無感と充実感の交じり合う不思議な気持ちで学校を去った。虚無感は、なんでここまで毎度同じことを家でも学校でも言われて進歩がなくて、ヘラヘラしていられるのかの哀しさと換言することができる。充実感は、まあここまでくるとある意味しょうがないしどうせアタシは先に死ぬんだからキミのボロがでて困り果てるであろう中年の危機の頃を知らずに済むんだから高齢出産ラッキー、みたいな。遅刻をしている、提出物を出さない、だらしない、授業中に別のことしている。当然ながら勉強もできない。話題に詰まったら選挙や最近の社会情勢や教育界の話題について先生に聞いてみたいと思っていたが、息子の場合はあり得ない。話題らしい話題に至る前段階でつまずいているんだから。しかし中学の時からの展開と全く同じなので慣れてしまった。はい、あるを尽くしました、って感じがする。彼のように小学生の時から少年野球で怒鳴られ、部活で罵倒され、家では怒られているとヘラヘラするしかなくなるのだ。思考停止ってやつだ。嫌だ。でもしょうがない。

私にだってささやかな希望やイメージはあったのだ。本が好きで何か楽器が弾けて、ちょっと引きこもりがちで、友達は少なくてもいいから深く話せる人はいて、静かで思慮深くて、知的好奇心いっぱいって子供像。ことごとくの何乗も裏切られた。しかしそれを息子のせいにするわけにはいかないという一点で自分は持ちこたえなくてはいけない。だから堅くなった頭でイメージ修正に努めるのみである。頭は悪いが生きる力はあるかも、あれだと鬱病にはならないかも、結構エキゾチックな容姿は何かの役に立つかも、思考力ないってことは落ち込まないってことかも…、ああダメだ、修正程度で済むはずなくて、イメージの建て直しだ。となると今度は当方がもたない。あっちが倒れるか、こっちが倒れるか。若い方を倒すわけにもいかないし、私が引きます、で、引いていいのかどうか、ここが問題なのである。そういえば先生に会ったのは初めてだが、いい先生だった。私の経験する限り個々の先生は、それぞれそれなりにいい先生ばかりである。息子には「妥協する、家でだらしなくてもいいとして外では使い分けてくれ、全部をきちんとしなくていいから重要な点は締めてくれ」と言っているが、全く効果ないことが分かった。笑えない、泣けない。
by kienlen | 2007-07-24 17:54 | 家族と子供の話題 | Comments(3)

娘との時間は落ち着いて過ぎるが…

娘が今日から夏休みで、息子は今日が初めての3者面談である。いつもは娘と父が起きて朝食、娘が出かける頃になって息子が起きて来て、朝食と弁当作りをしている(はず)のだが、今朝は娘が登校しなかったので息子は寝坊していた。起こそうかと思ったがこれは我が家的には自己責任の範疇であるから放置。そしてどうやら朝食も弁当もなしで登校したようだ。反食育的朝。時間がなかったに違いない。その後に娘が起きてくる。もう父親より大きい息子はかわいくないが、娘はまだかわいいから「ご飯食べる?何がいい?」などと世話をやきたくなる。大人になっても他からの支援を引き出す天性のある人と孤立型がいると思うが、きょうだい関係の下の子というのは、前者になれるような気がする。多分、下の子って周囲を見回しながら自分の位置を決めるから、周囲に対して働きかけるオーラがあるのじゃないだろうか。対して上の子は、自分で切り開かねばならないからフロンティア的になってしまって周囲よりも自分との闘いになる。なんて、我が家族からの推察のみで説得力はないが…。ちなみに私と息子は上の子で、夫と娘は下の子である。

「今日は○ちゃんと宿題する。早くやっちゃって後はのんびりするの」と言って出かけて行った。こんな当たり前の発言に狂喜しそうになって、ますますお世話したくなる自分に、意外な世話好きな側面があるのかもって思わせてくれる。だって息子からこんな発言があったためしはないし、実行したためしもない。娘は何もかもまともである。発言内容に根拠があって筋が通っているし、日本語も正しいし、判断力も理解力もある。素晴らしい、と思うのは、もちろん息子の存在があるからで、小さな幸福に感謝できる喜びを教えてくれた息子にも感謝している。娘と2人のランチも波風はない。平和である。「肉、肉、肉足りない」と騒がないし、汚さないし、会話も、言っている内容がフツウに理解できるものなのでスムーズである。これだよね、家族の団欒って、と思う。しかし、だからこそ不安は大きい。あの息子がこうなったのは想定の範囲内であるが、この娘がああなったらショック受けちゃうかも。当人だって自分の中での整合性がつかなくて悩みは深いかも。息子で免疫できているとはいえ…。それでしみじみと「○も兄ちゃんみたいになるんだねえ」と言うと「ならない!兄ちゃんみたいにならない!」と怒っていた。
by kienlen | 2007-07-24 13:06 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

形式主義に徹することができたらな

昨夜は外仕事が長引いて子供も寝る時間になったので、タイ料理で1杯飲むかと思ったのと、置きっ放しの自転車をピックアップしたかったこともあって帰宅前に、夫の店に立ち寄った。ドアを開けると、夫をはじめ店で働く3人を含むタイ人数人が一番大きなテーブルでトランプをやっていた。極めてフツウの感じな日本人男性のお客さんが1席占めているというのに…。いきなりこの光景が目に入ると雰囲気悪い。どっと気分が悪くなった私は、そのまま帰ろうかと思ったし、実際そうする日もこのところあるのだが、たまには夫にひと言伝えようと思って、そのタイ人達に挨拶もせずにカウンターに座った。あっちから見たら、無愛想な日本人おばさんそのものである。微笑みの国の使者の皆さんは何はともあれニッコリするのだが、私は自分の気分に忠実なのである。これはまずは形式を取るか、中身を考えてしまうかの違いでもある。何があってもとりあえず笑えば気分も改善するという可能性は否定しない。多分そうなのだ。だから辛すぎる人ほど笑うのかもしれないと思ったりもする。その点私は半端である。それから、何はともあれ規則や法律作ろうってのもこれに似ていると思う。中身は後からついてくる、という発想か。で、自分の場合は形式や枠やカタチが極度に苦手なので、中身がそのまま丸見えになる、まるでバカなのである。包装術を発展させないままにここまで来て、すでに手遅れ。

オーナー夫人が不機嫌そのものの顔でカウンターに座ったものだからオーナーは、トランプを片付けた。これも気に入らない。人が来ると慌てて隠蔽しようとするのは、やましいからではないか。堂々と自分の方針に従えばいいのにな。「なんで片付けるのよ」と私が言うと「ホラ、お客さん来るから」と夫。すると確かに階段を上る足音が聞こえたが、入って来たのはタイ人じゃないがタイ人の仲間じゃないか。ここまでその場しのぎの返答に終始する人を信用できるわけないが、それを日々確認するのは辛いものである。しかも少なくとも配偶者である。だから笑っちゃおうかなあと思ったけど気を取り直して「この雰囲気で店をやりたいなら、私の担当の火曜日はやめて自分でやればいい。私が来てじゃまなら来ないから」と言った。こういう言い方は若い女の子が恋人に甘えて言うならかわいいから「まあ、まあそんなすねないで…」となるのかもしれないが、私のような可愛げ皆無の確信犯に対してとりつくしまがあるわけない。「火曜日は火曜日で」と彼。私もそこまで大人げない行動はできない。商売だ、仕事だ。まさにこれである。夫婦だろうが親子だろうが、中身を伴った関係性が永遠であれと思うのはあこがれに過ぎない。となると残るは形式だ、商売だとか仕事だとかも含めて。あとは法的に拘束される関係。だからといってそれだけに屈したくないって気がまだ自分にはあって、このロマンがやっかいなのだな。この間も友達にこの点を指摘されて笑われたばっかりだ。微笑みの国の笑いと別種の笑いで。何か見えるもの聞こえるものにすがりたい気持ち、よく分かる。
by kienlen | 2007-07-24 10:51 | タイ人・外国人 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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