2007年 07月 08日 ( 2 )

意識混濁のうちにちょっと仕事の日

娘が昨日から、日曜日はパパの田んぼでバーベキューだと言っていた。それで私も行きたいと思っていたけど仕事を消化しきれなかったのと、夫の顔を見たら行きたくなくなったのとで、結局ひとりで仕事していた。かといってそんなに根つめるものでもないし、そんなに時間かかるハズのものでもないので昨日買った雑誌を全部ソファの脇の本台に載せて横になって、佐藤優による柄谷行人の『世界共和国へ』の書評を読み始めた。やはりインドア人間なのだと認める。老化が早そうだな。で、見る雑誌見る雑誌に出まくりの佐藤さんだが、やはり面白い。何がいいかというと、何も知らなくても分かった気になれるという点である。きっと高度な内容なのだろうが、柄谷を知らなくてもヘーゲルを知らなくてもカントを知らなくてもマルクスを知らなくても、なんか、こう、へええって感じになれる。知を痴の人のために翻訳してくれているんだろう。この点は彼自身も触れていて、通訳をしていると言葉以前の問題として、相手の言っていることが理解できなければならないのだと。よって私が高度の知を読んだところで理解は難しいだろうから翻訳者に噛み砕いていただけるとありがたいのだ。その時に、解説本というのは物足りない。解説本読んで元本読まないんじゃあ、いかにもサボっている気がするから、言い訳的にも、こういうスタイルはありがたい。

と思いながら読んでいたらウトウトして、その間に夢を見た。やけに鮮明なのだが、舞台が日本なのかタイなのか混濁している。タイ人の妻と別れたという日本人男性、多分理系の研究者がもうひとりの日本人男性と一緒の部屋を借りていて、随分と環境の悪い場所にいるんだなと思っていたら「もうじき正式赴任になったら部屋を移る」と言う。私はパソコンの調子が悪いと言ったら「下宿先の人に直してもらおう」と言ってくれて、若い女性が来て機械の後ろを開けたかと思ったらすぐに帰ってしまった。それでも直っているはずだって言われる。多分そこはタイだったのだが登場人物が日本人ばかりだった。ぼんやりした頭で、あのままタイにいたら息子は親を敬う礼儀正しき好青年になっていたかもしれない、などと思った。そう思った自分がおかしい。そんなわけで仕事が終わったのは夜。娘が帰って来て様子を説明する。タイ人が木になっていた青梅食べていたら日本人が「青梅は危ないからダメ」って言うのに食べてたよ。それから草も食べてたよ。「写真撮った?」と聞いたら「カニとカエルだけで人は撮ってない」と言うから「カニ?食べたい」と言ったら「タイ人達が食べちゃったよ」と言う。私も青梅は好物だった。これが危険と知ったのは割と最近のこと。草も食べたなあ。タイか日本か分からないって、つまり今この現実なのかもしれない。それからインドアしながらアウトドア気分も味わった日。
by kienlen | 2007-07-08 21:57 | 仕事関係 | Comments(2)

毎日の事でアキアキだけど腹が立つ

朝から気分が悪くなる原因を作るのはすべて息子である。昨日は、文化祭のため早めに家を出た彼から家に電話がかかってきた。「今どこにいんの?」「これ、家の電話」「ああ家か、あのプリントどこ?」「だから最初から玄関のいつもの場所に置いてあるって言ってあって、でも持参しないから途中で1回注意したけどそのままになっているでしょ」「持って来て」。ここで爆発しそうになるが、最近はほとほと飽きた。こういう人間なのだと烙印を押すと楽になるものだ。こうして人は人に烙印押して自分の平静を保つわけだ。子育てから学ぶ普遍的人間心理である。自分も成長しているのだろうか…。「電話でいろいろ言わないけど、この件に関しては全部自分に責任あるってこと分かる?」とだけは言っておく。それと同じ事をした場合次からは助けないってことと。車でプリント1枚届けながら、もっと厳しい親だったらこんなことしないのかなあ、しかしそこで結局助けてしまうのが親ってもんだろう、いや、助けるのはもっと大きなことであって、こんな些細なことは手出ししない方がいいんじゃないか…などなどと考える。祭り好きの彼は機嫌がいいらしく「ありがと」と受け取るから「これは100%私の親切!分かる?もうやらないよ」と警告。

今朝も文化祭らしく出て行こうとする気配はあったが、玄関のドアの開く音はしない。しばらくして「バトミントンのラケットある?」とあっちから声かけてきた。「今日ダブルスやるから使う」と言う。しょうがなく起きて「いつも言っているけど、何で突然朝になって言うわけ?」と聞くと「それで間に合うことだから」「間に合ってないでしょ、こうして他の人を巻き込んでいるじゃない。人が自分の思った通りに動くと思わないでよ」と言ったらブスっとしてラケット持たずに登校して行ったらしい。私は高校生になった時点で1人暮らしを始めたので、この年齢の親との葛藤を経験してない。そのままズルズルときて、もうちゃんとした大人の年齢になってもまだ親を意識していることについて、斉藤学の元でもカウンセラーを務めていた当時の友人に、思春期に親とちゃんと向き合わなかったからだ、ということを言われた。この間も「娘は北海道の高校」という人に会ったし、そういう遠方に行くとか寮とかに入ってくれると楽だと思うが、実のところここまで本性見せ付けられて自分が被害者意識までもつと、その裏にはやはり期待感があった自分を見つめることにもなるから、修行ではあるが何かを断ち切る時期なのでもあると思う。それにしても低次元のお話しで、このままに留まるのかと思うと、聖なる世界みたいなものを求めたくなる。なるほどこうして人は信仰をもつんだろうかって思ったら飛躍か。
by kienlen | 2007-07-08 10:01 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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