『外国語として出会う日本語』

久々に図書館に行った。何日もかかりそうなのは購入で、じきに読めそうなのは借りるのがいいように思う。後者の1冊がこれ。小林ミナ著。早稲田大学大学院日本語教育研究科教授ということ。文字がすかすかで、これで1600円はいかがなもんだろうか岩波書店、と思ってしまったが、でもきっと日本語学習者も読者に想定しているとすればこのくらいの読みやすさは必要だろうとも思う。予定していた仕事が当日キャンセルになったため思いがけず時間があいて気が抜けて、かといって別のことに取り掛かる気分にもなれず、ソファに寝そべって休息がてらに読むという状況にはぴったりの本だった。実際に著者が経験した日本語学習者の誤用を例にあげて、その背景を追求して専門家の視点から解説しているもので、エピソード自体が面白いし、言葉がいかに文化、もっと言うと思い込みというものを前提にして、それを共有する者の間で通じ合っているのだということがよく分かる。

こういう本を読みながら、私のタイ語はきっとタイ人からみるとこういう感じなんだろうなあ、なんて考えていた。自分のそういう事情もあって、それに日本語を話す外国人と接する機会も割とあるから、この本のような点からの興味というのは日常的にあるのだが、日本語教育の専門でない人にとっては、なぜこういう間違いを?を理解するのは無理だ。間違っていないけど日本人だったらこう言わないよな、というのは多々あるし、それが逆に新鮮だったりもする。私が話したタイ語に対して全く同じことを言われたことも、もちろんある。「タイ人だったらそうは言わないけど、言いたいことは分かる」というわけだ。で、じゃあ何が問題なのかって聞いてもタイ語教育的に返事があるわけじゃないし、夫なんか何を尋ねても、完全な間違いでない限り「それでもいい」でおしまいで役に立たない。で、私だって日本語について仮に聞かれたら面倒で「それでもいいか」ということになるわけで、そんな経験をしたことがあったらひじょうに楽しい本。日本人が日本語を客観的に捉えられるようになることによって、外国人に分かりやすい日本語を使えるようになるし、そういうコミュニケーションのあり様があってもいいのじゃなかという著者のお考えは同感。よく外国人用に、複雑な文をそのままでルビだけ振る文書があるけど、あれって何っていつも思う。つまり、外国人を相手にしていると、何を伝えたいかはっきりさせる訓練にもなるということかな。
by kienlen | 2008-06-23 20:22 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
プロフィールを見る