「班」に含まれる多様な意味

来日から数日で、日本語のできないまま日本の中学に入ったタイ人の子がいる。日本語教育の先生が特別支援で専属でついているから、受け入れ態勢としては悪くないと思われる。それにしても日本語が全く分からないんじゃあ、ガイダンスからして理解不能。教育委員会の方から連絡があって、様子を見に行くことになった。校長先生と支援の先生を紹介される。支援の先生はタイ語の辞書を持っていた。「あ、その辞書、私も持ってます」と言ったら「今日は班と当番の説明をしたんですが、辞書に『班』って載っていたから言ったら分かってもらえました」と言う。「分かっていなくても分かったふりをすることはよくありますよ」と私は言った。こんな言い方しなくても「そうですか」って言っていればいいのに、正直すぎるとはこのことだ。しかしどうなんだろう。何も分からない国の何も分からない学校に入って、未知の言葉を使う先生が、単語だけ自分の言語で突然発音してくれて、それで「分かった?」というしぐさをされた場合、たいていの人はうなづいてしまうんじゃないだろうか。何が重要で何が重要でないかまでの判断はできにくいし、たとえ「分からない」というしぐさをしたところで、じゃあ、次にどうなるかというとひじょうに心もとない、ということは瞬間的に察するのではないかと思う。

自分にも経験がある。重要な事以外は適当に分かったふりをしてしまうことはあった。それでその場がまるく収まるなら、相手を立てた気にもなってしまう。つじつまが合わないと後で困ったりもするが、雑談程度ならたいしたことはない。しかしこの場合は「班」である。日本の学校における班というのは独特なものらしいことを、アメリカ人の教育学かなんかの学者がフィールドワークした本で読んだ記憶がある。何かの活動をする時にグループに分かれるのはどこでもあるだろうけど、ウチの子なんか「宿題忘れても班の責任になるんだよ」と言っているような、こんな班が世界共通とは思えないし、夫に尋ねた限りではタイで日本と同じ班はない。となると、班を伝えるのに辞書にあるその単語をもってきて、仮にその発音が通じたとしても、それは相手にとって何を意味するのだろうか。今の中学の班活動が何かを私は正確には知らないから、給食当番の班とか、掃除の班とか、活動ごとのグループを指すのであれば特に支障はないだろうけど、先生が「班」と言う時に含める意味と、日本の学校の班を知らない人が理解する意味が異なる可能性は大きい。つまり大事なことは、ある単語を伝えたつもりになった場合、それがどう解釈されるかには慎重でなくてはならないということだと思う。
by kienlen | 2008-04-07 16:39 | 言葉 | Comments(0)

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