躁鬱病の友だちからの毎日の電話

ここ数日、毎日毎日電話をくれる人がいる。何ヶ月か音沙汰なかった友人。遠くに越す前は親しく付き合っていた。いろんな病名を言っていたが、今は躁鬱病ということで落ち着いているそうだ。音沙汰なかった時は入院しているか自殺で亡くなっているのかと思ったらそうじゃなかったそうだ。久々に聞いた声が、それまでより吃音が軽減していて元気そうだったから理由を聞いたら「慣れたんだよ」とぽつんと言った。「つまりそうしてただ寝ている状況に慣れたってこと?」と聞くと「そう」「じゃあ、それまではアセリみたいなのがあったの?」「あったね」。これはいい状態なのかどうか。あせってもしょうがないことをあせるのは苦しいかもしれないが、テレビも見ず新聞も本も読まず、家事もせず散歩もせず、日に一度だけアパートから1番近い店に食事に行く以外はただ寝ている生活に慣れることがどうなのか、分からない。そんな生活だから当然話題は何もない。こっちからひたすら聞くだけ。聞くと素直に何でも答える。毎日毎日同じ店で五目中華ソバを食べること。3週間くらい同じものを食べると飽きるから変える。それまではレバニラ炒めを毎日毎日。「寝てばっかりだと筋肉が落ちて足なんかガリガリでしょ」「そうでもないよ」「体調は?」「いいよ、酒飲まないから」。

ただ、比較的調子良かったのは初日だけで、翌日からは「眠れないんだよ」等々言うし、吃音もひどくなっている。こうなると耳も遠くなって、こちらは異常に大声で話さないとならないから、人のいる場所だとちょっとマズイ。昨日は街中の道路端でウサギの餌用の草むしりをしている時にかかってきた。無気力だ、眠れない、といつものようにひとしきり話して「○大で教えていた僕の後輩も鬱病になったんだ」「ふうん、後輩ってどこの後輩よ」「東大の」「ふうん、専門は?」「万葉」「ふうん、それで」「障害年金もらえることを教えてやったんだ」「ふうん、それで皆でもらって寝ているわけね」「うん、今申請中」「ふうん、恵まれているんだから少し社会貢献しようとか、そういう気はないわけ?」「社会貢献って?」「…食べるのにも不自由している人に少し分けるとか、どう?○さんの障害年金の方が私の稼ぎよりいいんだし、幸せだよね、何もしなくて食べられるんだから」「そうかな」とあくまで平坦、メリハリがないから、こっちもスケートリンクの上にでもいるようなツルツルした気分になってくる。そうだよ、実際のところ日常生活というのはひたすら面倒なのだ。降りたいと思っても不思議じゃないのに、私は降りずにやっている。かといって義務感のみかというと、そうでない気もする。病気との間に境界線があるのか、あるとすれば何なんだろう、全然分からない。
by kienlen | 2008-03-26 22:38 | その他雑感 | Comments(0)

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