「ミリキタニの猫」を見る

山口二郎先生のお話しを聞いた後、夫の店で飲食していこうと思って自転車をこいでいたら、古い映画館の広報板に「サルバドールの朝」のポスターが貼ってあった。どっかの映画評で見たような気がする。この街にこんなマイナーな映画がくるのかと喜んで自転車を止める。するとお目当てのは終わったところで、5分後に「ミリキタニの猫」が始まるというスケジュールだった。聞いたことないけど、ニューヨークのアーチストの話しみたい、時間的にぴったりなのもご縁かも、最近映画見てないしな、子どもの夕食もなんとなく用意してきたしな、と思って入ることにした。土曜日だというのに観客は全部で3人。どんなんかな、と思ったけど、最初から最後まで感動的だった。まるっきり予定外だったが、これは見て良かったと思いながら感謝して出たら、3人の観客のうちの1人が知り合いだった。お互いに「あれッ」と言って顔を見合わせる。そして彼女から、この映画は映画好きの間ではすごく話題になっているものであることを知らされる。知りませんでした。一緒に食事しましょうよ、って誘うほどの関係でもないので自転車で夫の店に向かっていたら彼女が「店、やってます?」と声かけてきたので「一緒にご飯食べましょう」ということになる。店はまあまあ盛っていた。とにかく辛いものを食べたかったが店員さんが「カノムチーンのグリーンカレーかけはどうか」と勧めるからそれにする。

さて映画であるが、なんというか、全体に1枚フィルターをかけたような異界のテイストを感じさせるものだった。ミリキタニという何語ともつかない音は日本人の姓であることが分かる。名はジミー。80歳。冒頭はニューヨークで路上生活をしながら絵を売るだけの人に見えるが、実は彼はサクラメント生まれで米国籍を持っていたのに、第二次大戦開戦時に日系人用の収容所に入れられた経験を持っていた。親の出身地の広島に戻ってまた米国へ。原爆で母は死んでいる。米国への恨みは強烈で、話せば政府批判が出る。で、そういう話しを拾うのは、路上生活時に知り合った若い女性。映像関係の仕事なのか、映画の中では説明はない。彼を自分のアパートに連れて行ったのは、例の9.11の日にビルの崩壊に背を向けて淡々と絵を描き続けるミリキタニを撮った後。現場一帯に有毒ガスが蔓延してミリキタニも咳に見舞われていたからだ。収容所での生活や原爆が語られ、描かれる。テレビではアフガンへの空爆が放映される、ちょうどそういう時期のアメリカの様子とミリキタニの語りが、こちらには交錯して伝わってくる。最後の方のシーンもすごくいい。人生の下り坂を歩いている身に勇気を与えてくれる映画だった。とっても良かった。今になって場面を思い出しても涙が出る。見れたのはツイてた。
by kienlen | 2008-01-27 17:03 | 映画類 | Comments(0)

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