懲りずに『文章の書き方』

昨夜から少し読み始めて、今朝には辟易となって、でも一応最後まで目を通そうと思ってがんばって、その思いはかろうじて貫徹。が、精読はムリでごく荒読。初版発行が1994年の岩波新書で2007年までに33刷りのロングセラー。著者は元朝日新聞記者で天声人語を書いてらしたという辰濃和男さんという方。こういうのを古典的な文章の書き方読本というのだろうか。古典も最新も知らないから正確には分からないのだが、昨日読んだのは古典的じゃないようなニュアンスを漂わせていて、その中に従来だと名文を引用するのだがしない…みたいなくだりがあったので、そうなると、この本は従来型である。めくるめく名文引用とそれへの賞賛に満ちている。新聞社の出身の方らしく、文章のスタイルとしては自分を前面に出すようなはしたない体裁はとっていないが、荒っぽくでも読んでいると、なぜか著者の価値観がモンスターのように立ちはだかっているという趣向の本だった。で、その価値観とは、まずは現場が大事というもの。私なんか「現場」って聞くとまず連想するのは「工事現場」であるが、ここではわざわざ「現場といっても事故や事件の現場ばかりではない」と断っている。これが記者に染み付いた発想への自省をこめた皮肉であればむじゃきに笑ってしまうところだが、どうも本気で注意を促しているようである、としか読めず、笑うのをためらってしまった。

昨日のは想定読者がはっきりしていたが、これはどのような方々に向けているのか最初から最後まで分からなかった。こんなくだりもあってびっくり。「何かを書きたい。書く訓練をしたい。しかし、さしあたって何を書いたらいいいのかわからない。そういう場合は…後省略」。書きたいことがないのに書きたいって場面は、私の想像力の及ばないところにあるから難しいが、ここまでを対象にするなら、名文引用は逆効果じゃないだろうか。打ちのめされるだけのように思うのだが…。でも私には、この本の賞賛する名文は不可解なのが結構あった。「まず光沢の美しい新鮮な茄子を選ぶ。料理の腕はないのだから、もっぱら材料のよさに頼る。茄子の皮にこまかく…後省略」。著者はこれで料理したくなるのだそうだが、私なんか、夏に一気に収穫になる茄子がじきにしなびる場面が浮かんできて、新鮮で美しいのを選んでいたら食べきれないんだよ、なんて思ってしまって、消費者の発想であるな、という思いがじゃましてエッセイまで楽しめなくなる。何を書こうが自由だろうけど、これを選ぶかなってのが多くて、今回はちょっとハズレ。
by kienlen | 2008-01-07 23:41 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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