『プレカリアート-デジタル日雇い世代の不安な生き方』

この本を今読み終えた。日付が変わったから昨日になってしまうが、友人が貸してくれたもので、簡単そうだったから電車の中で少々と就寝前読書で読了。著者は雨宮処凛。この人は自分が読むような新聞や雑誌でよく見かけるので、名前は知っているがまとまったものを読んだのは初めてだ。貸してくれた友人は「面白かった」と言っていたが、どういう面白さかは聞かなかった。なんとなく想像ついたからであったが、読み終えてみると、どういう面白さだったのかぜひ聞いてみたい。プレカリアートというのはイタリアの路上の落書きとして03年に発見されたと言われているものだそうで、「不安定なプロレタリアート」で定義を「経済至上主義のもと、不安定さを強いられた人々」とすると最初に書いてある。で、感想だが、ちょっと安易に作ってないか、が第一印象。そんな厳しいことを言わず今必要な本である、が第二印象。諸悪の根源は固定的性別役割分担意識にあるという密かな自論がこんなところで裏付けられているなんて、世の中どうなってんの、が密かな第三印象。この第三印象はもっと後に持っていくべきで、もっと大切な論点は多々あるのだが、かなりショックだったから3位に入れた。

石原慎太郎と1975年生まれの著者との対談は、もしかして私は石原を見直してしまうかもしれない、なんて思わせてくれてしまう困りものだったようにも思う。果敢な姿勢は評価したいけど、これは多分世代のギャップが大きいのかもしれない。なんか、ここまでいくとどっちもどっちって思えてしまうのが悲しい。いやはや、難しい問題である。労働の流動化と結果の若者(だけじゃないが)の貧困に関しては、明らかに政策からくる社会構造の変化が最も大きいとは思う。最初の章でその分析を統計からしているのは分かりやすいし、同感だし今の社会の最大の問題だと私も思っている。が…、ここでただ個人の努力が足りないとは言いたくないし、下にいる者同士で足の引っ張り合いが問題であることも分かるし(外国人労働者問題でも同様だしフェミニズムも同様だし)、でもね…のでもね、が何なのか自分でもよく分からない。息子や娘を見ていると、ワーキング・プアになる道筋はすごくよく分かる。ウチのように誰も安定雇用がいない中で即あり得る。でも、やはり、でもね…になってしまうのはなぜだろうか。これにすっきり答えてくれる雇用労働分析があると読みたい。各論賛成総論疑問みたいなところで留まっている感じ。社会構造と個人の資質なりを結びつける論の難しさを感じる。この場合、弱者を尊重すべきなのだろうが、やはり、ううむ、でもね、なのだ。つまり、この著者にはがんばって欲しいという期待があるから安易な使い捨てにされないように。それがちょっと痛々しい感じを受けた。
by kienlen | 2007-11-30 00:47 | 読み物類 | Comments(0)

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