恒例の日曜日の自分とのお付き合い

みっともないことを書いてしまいそうな日だ。こういう日は書くのを休んだ方がいいのかもしれない。たまに「自分を肯定できない」なんて人がいて、しかもそれが若者じゃなくて同年代だったりすると、じゃあどうやって長い間自分と折り合いつけてきたのかびっくりで「私には、それ分からない。だってしょうがないでしょ、それでしかないんだから」と言うのだが、全体的な肯定感が崩れるまでには至ってないが、部分的には、温暖化を象徴する映像で流れる氷河の崩壊のような感覚を覚えることはある。で、今日はそんな自己嫌悪の日。で、毎度毎度そのきっかけは、家族である。だからこういう感覚に陥るのは日曜日である。日曜日に家族といて心静かであることはあんまりない。あんまりこういう事を書くせいか「別れた方がいいんじゃない」と言う友達もいた。なるほどね、と思った。しかし別れるという選択は、別れないことによるデメリットが大きい場合でないと面倒くさいものである。別れないことのデメリットとは、別の人と結婚したいのに既婚のまんまじゃ不便とか、危害を加えられるとか、そこまでいかずともじゃまになるとか、そこまでいかなくても存在がものすごいストレスであるとか…。

アイツのパンツなんか洗いたくないのに、とか、なんでヤツの食事を作るんだ、とか、こっちは仕事を犠牲にして家事やっているのにヤツは仕事で自己実現やら評価やら得ているじゃないか、とか、女性の場合に抱きやすい男性に対する悪感情とはこういうことじゃないだろうか。ウチのように洗濯も食事もやりたくないのに強制されるってわけじゃない場合、そういう憎しみの感情は生まれない。こういうケースで別れるとなると、やはり「愛」を信じる時だろうなあ。つまり「こんなはずじゃなかった」みたいな。こういうのは私の場合かなり希薄なのだ。もちろんあこがれはあるが、この俗界で実現させようという情熱には欠ける。となると、何が重要かというと相手との距離であり、この距離が自分の望み通りに変化することである。で、それはあり得ない。だって相手は自分と違うんだから。結局、理想は自分が2人いることであるな。最もやっかいな感情である寂しさと、相手は違うという虚しさの両方を消し去ることができるもんな。しかしこれって自己愛の時点でストップしているってことか。だから子育てにも向いてないのだ。日曜日のたびに確認して落ち込む。
by kienlen | 2007-11-11 22:57 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

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