『迷いと確信-大乗仏教からテーラワーダ仏教へ』

仕事の件で、どうしても腑に落ちない点があって、それは何かアクションを起こして解決するような類のものではないのだが、ただ、自分にとって理不尽と感じることが重なって何が困るかって、すっきりと気持ちを切り替えて先に進めないということである。年齢を重ねて学んだことは、このすっきり感を得ることの大切さだ。自分のように、闘いや対立も好まず、かといって安易な迎合はもっとまっぴらご免、という者にとっては、特に心の中に不快な感情を残さないために、せめて自分の中でそいつを消化してしまいたいという気持ちは強い。消化方法として手っ取り早いのは、少しものの分った人に話して判断してもらうというもの。昨日は、そんなわけで友人をお茶に誘ったら「お茶なんて言わないで飲みに行こうよ」と言われて断る理由はない。知人がやっていることは知っていたが行ったことはなかった沖縄料理の店へ。期待していなかったのに意外に美味しくてびっくりした。泡盛全種類に対するソムリエのコメントも楽しく、つい注文。いろいろと話してすっきり感も得られたことだし、別の友人も呼んだらすぐに来てもう1軒行った。

そんなわけで今朝は昨日よりは、どんより感が薄くなって、読みかけだったこの本を読了する。宗教学者の山折哲雄氏と、スリランカ上座仏教の長老で日本在住25年になるというスマナサーラ氏との対話だ。すごく面白かった。アタリ本だったな。大乗仏教と上座仏教をこういう形で対比してくれると、よく分らない者には実にありがたい。本のタイトルがなんでこうなのかは最後に分るしくみになっていて、つまり上座仏教=テーラワーダ仏教というのはブッダの生き方を確信する人々の仏教で、大乗仏教は「迷いの仏教」ではなかったか、という山折氏の発見の言葉として登場するわけだ。実際、スマナサーラ氏は終始確信に満ちた発言である。日本が長いので日本社会の問題に触れることもできるし、スリランカの事情に言及する時もあるし、当然のことながらタイの仏教も顔を出すし、興味が尽きなかった。身近な話題とブッダの生き方と仏教の教えが自在に語られ、他宗教との違いも浮き彫りになり、国家における宗教の適度な位置への示唆もあり、学者と確信に満ちた宗教者の見識と実践が存分に感じられる本、ああ満足だった。おかげで気力回復気味。
by kienlen | 2007-10-07 14:09 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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