戦後レジュームと子育て

息子が重大な局面にいる。今日学校の処分が決まると担任から連絡があった。私も出頭である。ここまでの事態を経験するとは、正直のところ思っていなかった。息子は、謹慎期間が休んだ期間として算入されるかどうか気にしているが、私だって経験ないから知らないし、ただ分ることは、それだけの行為をしたからには、進学にしろ就職にしろ学校推薦は考えられないから自力で努力するしかない、ということである。この事は、中学の時の内申書で経験しているはずなのに、分っていない。悲しい。こういう契機には、当然ながら、親として問題があるのだろうかと振り返る。でもこれも正直のところ分らない。少なくとも今のところ、自分の方針を根っから転換することは考えていないし、そもそも根っから転換できるような薄っぺらいものを方針などとは呼べないのだから、しょうがない。まあ、根っこから腐っている人間に育っているとまでは思えないから、養分やら陽光やら水分やらの過多か欠如か程度の微調整を施すつもりである。それで通用するのかどうか、これまた正直のところ分らないけど。

というのは、いずれにしろ実行できることは限られているという事実はどうしようもない。実験室のように、これやってみよ、あれやってみよ、ダメならやり直し、みたいにできるといいけど、一貫性がないのは私自身が嫌いなのだ。それは自分の親が、一見物分り良さそうで信じていたら実は本音は違う、という経験(というか、自分なりの理解でしかないが)をして、それだけは嫌だとずっと思ってきた。それが、今になるまで自分がひきずってきた親への負の感情であって、なかなか根深いのである。それでまあ、頭の中のシュミレーションだけが自由なわけだ。ひとつ感じることは、親として民主的過ぎるんじゃないかってことだ。もっと強圧的に接して罰則も与えて、こうすべきって道筋を示して強制した方が良かったのかもしれない、と思うことはしょっちゅうある。ただ、私はそれができない。基本的には、自立を見守りたいと思っていて、それは可能だと信じているからだが、それは当人の資質によって違うんだろうとも同時に思う。この子ならこうで、この子ならこうって使い分けが器用にできるといいけど、こっちが分裂しちゃうな。以上は私個人の体験している事であるが、きっと、戦後に民主的になりすぎて問題噴出と思っている人達の心理もこんなもんかもしれないな。一国の、じゃない一家の、代表じゃない、一員として、国民の、じゃない息子のために、半端な伝統回帰を持ち出すより民主化を突き進めるしかないだろう、がんばる。
by kienlen | 2007-09-25 14:57 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

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