小学校での英語教育素案を見てゾゾゾ

在宅でいろいろやることがあるから、ブログを書いている時間はないはずだったが、新聞に目を通していてどうしても気になる小さな記事があった。「小学校英語成績つけず-中教審部会が素案」というたった一段の小さな見出し。それによると、2011年以降に導入される小学校高学年での、週1時間程度の英語必修化に際して、成績はつけず、一般教科と別扱いするという素案をまとめたそうだ。教育の機会均等の観点から国が共通に指導する内容を示して、「心のノート」のような全国共通の教材を使って、学級担任が指導する、のだそうだ。英語というか「英語活動」ってなってる。短い記事で全貌が分かるはずないけど、どう考えてもこのような「英語活動」の目的を想像することは私の力ではできない。すると、ああいつものように省庁間やら何やらの政治的駆け引きの結果の折衷がこれか、とネガティブな思考になってしまう。だって、ホントに分からない。

週に1時間、もしかしたら、学生時代の最も不得意科目が英語だったかもしれない担任の先生が英語活動を指導する、ということは、子供達の英語力の向上が目的でないことは明らか。すると何だろう。子供の時に外国語を学ばせるとすれば、それは異国にいてのサバイバル以外では発音の正確さではないだろうか。私にはそれしか浮かばない。私は外国語のお勉強は好きであるが、自分の母語と比べて違いを楽しむなんてのは大人の楽しみであって、小学生の楽しみになるようには思えない。ただ発音に関しては大人が理屈で舌の位置がどうのこうのってやるよりも、子供が覚える方が合理的であるように思う。しかしここで教える先生がたまたま英語の発音が専門であれば指導は可能かもしれないが、いかんせん担任である。ほとんどは英語の発音の素人でしょ、その人の発音を学んでしまっていいのだろうか。もうひとつ自分だったら考えるのは、文化の多様性を知ることの重要さであり、これを外国語から入るという方法はあるだろう。でもだったら何で英語なのかは大いに疑問で、外国語=英語という発想になる逆効果も期待できちゃう怖れも感じる。ああ、分からない。大方は、成績つけることで英語コンプレックスを生んじゃあいけないとか、既存の先生の面子つぶしちゃあいけないとか、多方面に配慮した苦肉の折衷案なんだろうけど、こうして本来の目的はどっかに吹っ飛んで怪物が生まれるのである。怪物に踏みつけられるのは誰か、である。この忙しい時にこんな記事、読むんじゃなかった。
by kienlen | 2007-09-11 12:10 | 言葉 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
プロフィールを見る