『「人間嫌い」のルール』を読んだ

たいそうなものではないが、だからこそ、仕事を片付けたかった。それなのにちっともアイデアが沸かない。暑さのせいにしたり、昨日息子に買ってやった扇風機を私も欲しいな、よく眠れて仕事がはかどるかも、などと言い訳を考えているばかりで時間が過ぎるのも悲しいので、午後も遅くなってからは諦めて本を読むことにした。先日の続きで中島義道先生の『「人間嫌い」のルール』だ。この先生をすごいと思うのは、ここまで素直に当たり前の事を書くってことで、エッセイストの方などが書いたんだとしたら、ここまで面白みを感じないと思うけど、哲学者だから面白い。というのは、私は子供の頃から哲学の勉強にあこがれていて、親に「哲学やりたい」と言って一笑に付されたことが今も親への恨みになっているからだ。なんて事は何の関係もないか…。いや、関係ある。おかげで哲学書を読みたいと思っても基礎知識の欠如のために理解できず、人生の半分以上をソンしてきた気が今もしている。だから中島先生の本もこういう一般書しか読めない。まあ、それも関係ないけど、とにかくこの本は「人間嫌い」とは何か、どういう人がそれに該当するか、対極にあるのはどういう人々か、等を自己に言及しながら、古今の文学や専門のカントを引用しながら解説していって、実際にどういう生き方をするのがふさわしいのかを提示している。

分類すれば実用書ということになるのだろうか。極めて現実的ですぐに実践できることしか書いてない。人間嫌いは山に篭れとか自給自足せよ、なんて方向には間違ってもいかない。分類上、そういう項目もなくはないが、中島先生が扱っているのは近代社会の中で人間嫌いとして生き抜いていく方法ということであって、人間嫌いでない人を人間嫌いにしようという趣旨もないし、人間嫌い同士で結束しようなんて矛盾はあり得ない。簡単に言うとわがままに生きるにはどうするかってことだ。これは私にとっても生きる上で、多分最も重要なテーマ。しかし、これを読みながら感じたのはジェンダーによる差異。中島先生の年代で、私らからすると社会的には上層に属する男性の価値観の典型に、ある時までは忠実だったようだ。だからこそ、今があるという風にも見える。で、私らのように、ちゃんとした主流の価値観に忠実であった経験に乏しい者(というか気付かなかった)にとっては、中島先生の本によって社会の中の自分というものに気付かされるのだが、でも、生きにくさをそこまで感じる感受性がない場合は、ここでいうところの人間嫌いには含まれないのだろうか。単に鈍感なのか。そんなどうでもいい事を考えながら楽しく読んだ。とりあえず私は好きだから、中島先生の著書。
by kienlen | 2007-08-16 17:55 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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