さすがにこの時期は選挙の話になりがち

前に「家族療法」というのをちょっとかじったことがある。臨床心理学の中のひとつの療法で、家族内の人間関係を動的に捉えるという点が特徴だったように記憶している。精神分析のように過去に遡っていくのよりも私には納得できるものだった。この考えを応用すると、例えば子供が不登校になると、日頃は仲の悪い両親が結託して不登校問題に立ち向かおうとするという可能性がある。すると不仲はしばし隠蔽される。まあ、ウチの場合なんかを考えても日頃は夫婦のコミュニケーションほとんどないが、息子が帰宅しないなんて事態になると一応報告したり対策を考えたりする可能性は充分にある。これを視点を変えてみると、両親のコミュニケーション回復のために息子が問題を起こす、とも言える。冗談じゃなくて、子供の問題を考える時に、こういう考え方は有効だろうと、関係性重視になりがちな私は思っている。こんな事を思い出したのは、選挙結果を見てである。「野党が圧勝」ってことだけど、民主党は確かに立場的には「野党」でも、思想的に野党なのかどうか、私なんかにはずっと分からなかったから、まだ政権取ったわけじゃないし参議院の力がどの程度かもよく知らないので、影響力は分からないにしても、敵に立ち向かうためだけに結束していたとしか見えないから、家族療法的には、両親の不仲が見えるのはこれからなんだろうな。

しかし、これは有権者のひとりとしては深刻な問題である。今回民主党が掲げたのは「生活第一」というスローガンだったはず。格差やワーキングプアが日常会話になっているくらいだから、多くの共感を呼ぶとは思うし、私もいい宣伝文句だと思った。もっとも皮肉に見れば、生活という言葉の響きから庶民を想像しがちだが、民主党の議員の皆さんのレベルの生活重視かもしれないし、よくわかんないけどな。余談はともかくとして、民主党って、新自由主義の人達が結構多いんじゃなかったかな。それでいて、あれやる、これやるは、矛盾してないか。本来ならあれもやめる、これもやめる、のはずじゃないんだろうか。でも、あれやるこれやるの人達もいるから、調整大変なんだろうなあ。それで当たり障りなく生活第一になったのかなあ。安全保障だとか憲法の問題でも、自民よりも先鋭的な人がいるんじゃなかったかなあ。もっとも政党ってものがある限り、考え方の違う人が集まって当然なんだけど、困るのはそれが隠蔽された状態で表面のみ私達に伝わって「まあ、素晴らしいご夫婦、お子さんの不登校に真剣に立ち向かっている」なんてことになった場合だな。もう政党なんかなくなって、個人個人がちゃんと自分の考えを表明して、それでテーマごとに組めそうな人々と派を作るってのは無理なんだろうか。でも、それだと全体の方向性が分かりにくいかなあ。なんかすっきりしない。
by kienlen | 2007-07-31 11:17 | 社会的話題 | Comments(0)

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