形式主義に徹することができたらな

昨夜は外仕事が長引いて子供も寝る時間になったので、タイ料理で1杯飲むかと思ったのと、置きっ放しの自転車をピックアップしたかったこともあって帰宅前に、夫の店に立ち寄った。ドアを開けると、夫をはじめ店で働く3人を含むタイ人数人が一番大きなテーブルでトランプをやっていた。極めてフツウの感じな日本人男性のお客さんが1席占めているというのに…。いきなりこの光景が目に入ると雰囲気悪い。どっと気分が悪くなった私は、そのまま帰ろうかと思ったし、実際そうする日もこのところあるのだが、たまには夫にひと言伝えようと思って、そのタイ人達に挨拶もせずにカウンターに座った。あっちから見たら、無愛想な日本人おばさんそのものである。微笑みの国の使者の皆さんは何はともあれニッコリするのだが、私は自分の気分に忠実なのである。これはまずは形式を取るか、中身を考えてしまうかの違いでもある。何があってもとりあえず笑えば気分も改善するという可能性は否定しない。多分そうなのだ。だから辛すぎる人ほど笑うのかもしれないと思ったりもする。その点私は半端である。それから、何はともあれ規則や法律作ろうってのもこれに似ていると思う。中身は後からついてくる、という発想か。で、自分の場合は形式や枠やカタチが極度に苦手なので、中身がそのまま丸見えになる、まるでバカなのである。包装術を発展させないままにここまで来て、すでに手遅れ。

オーナー夫人が不機嫌そのものの顔でカウンターに座ったものだからオーナーは、トランプを片付けた。これも気に入らない。人が来ると慌てて隠蔽しようとするのは、やましいからではないか。堂々と自分の方針に従えばいいのにな。「なんで片付けるのよ」と私が言うと「ホラ、お客さん来るから」と夫。すると確かに階段を上る足音が聞こえたが、入って来たのはタイ人じゃないがタイ人の仲間じゃないか。ここまでその場しのぎの返答に終始する人を信用できるわけないが、それを日々確認するのは辛いものである。しかも少なくとも配偶者である。だから笑っちゃおうかなあと思ったけど気を取り直して「この雰囲気で店をやりたいなら、私の担当の火曜日はやめて自分でやればいい。私が来てじゃまなら来ないから」と言った。こういう言い方は若い女の子が恋人に甘えて言うならかわいいから「まあ、まあそんなすねないで…」となるのかもしれないが、私のような可愛げ皆無の確信犯に対してとりつくしまがあるわけない。「火曜日は火曜日で」と彼。私もそこまで大人げない行動はできない。商売だ、仕事だ。まさにこれである。夫婦だろうが親子だろうが、中身を伴った関係性が永遠であれと思うのはあこがれに過ぎない。となると残るは形式だ、商売だとか仕事だとかも含めて。あとは法的に拘束される関係。だからといってそれだけに屈したくないって気がまだ自分にはあって、このロマンがやっかいなのだな。この間も友達にこの点を指摘されて笑われたばっかりだ。微笑みの国の笑いと別種の笑いで。何か見えるもの聞こえるものにすがりたい気持ち、よく分かる。
Commented by jun at 2007-07-24 11:51 x
一瞬の「雰囲気」、「微笑み」の効用、「形式」の二面性、「拘束」と自由。分かるなあ。

久々の回文です。
「小沢の示す 酢飯の技を」 オザワノシメススメシノワザオ
党首には男の料理が似合う気がします。蒸し暑い日には手作りの酢飯にアルコールで喉を潤す。そんな技を楽しみたい。
 
私も笑われたかな?
Commented by kienlen at 2007-07-24 17:59
笑いました。でも深い回文ですね。でも小沢と酢飯ってあんまり似合うように感じられないのはなんでだろう。
by kienlen | 2007-07-24 10:51 | タイ人・外国人 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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