『仏教と日本人』のポイント解説その2

多分この第3章はワインさんが旅先で知りたい事だと想像します。タイトルは“日本の僧侶はなぜ肉食妻帯なのか”。南伝(上座部仏教)であれ北伝(大乗仏教)であれ、日本以外では僧侶は戒律を守った集団生活をしているので肉食妻帯、世襲はない、ということです。ただし韓国は日本の影響を受けているのでちょっと留保が必要。つまり日本では出家と在家の区別がはっきりしない。これがタイなどと根本的に異なる点。どうしてこうなったかについての説明でなされているのは、まず日本に仏教が伝来した当初、僧侶が同行して来なかったので、出家者という存在への理解が遅れた。で、この遅れを取り戻すために753年に鑑真来日。正式の僧侶を養成する戒律の伝授が目標で、これによって日本でも他の仏教文化圏同様の出家者集団の形成が始まった。ところが鑑真がもたらした戒律は南伝仏教のそれであり、大乗仏教の菩薩行を実践するのに直接の役に立たなかった。それで、中国の大乗仏教を学んだ最澄が「大乗戒」というのを主張するのだが、これが要するに仏になろうとする意志、意欲があればよい、というもの。

この風潮を後押しする基盤が日本にはあって、それが肉食妻帯を容認する「原始宗教者」の存在。彼らは仏教の浸透とともに「聖」と呼ばれるようになり、これが日本仏教の風習理解に重要、ということで解説があります。ここでは柳田国男の論文からの考察なので、私にはもちろん検証能力はありませんし、よく分かりませんが、乱暴にここでのポイントをいってしまうと、つまり日本では宗教者が日常は普通人と同じ生活をして、特定の期間だけ厳格であるというのが認められているのではないかということです。そもそも日本の伝統では神は祭りの時にだけ現れるし、という例が挙がっています。で、この後は法然、親鸞についてです。とてもじゃないが私には無理でした、やはり。それで昨日同様一部分をそのまま引用です。“親鸞流のいい方をすれば「非僧非俗」の「非僧」は実現したが「非俗」である点が不明確なまま、今にいたっているということであろう。現代の日本社会における、仏教の影の薄さの原因があるように思う”。以上です。ちょっと荷が重たいな。まだ続きますが。
Commented by ワイン at 2007-06-27 14:38 x
二度にわたるわかりやすい解説をありがとうございます。本を解説するにはかなり理解しないとできない仕業なので、敬服です。私の理解では、日本の仏教を理解するには、まず伝来を租借した「宗教者」について理解することが必要のようですね。曖昧に成立してきている日本の仏教はまだ途上で、これからさらに変化する可能性を秘めているととっていいでしょうか。ラオスの古都に入りましたが、ここでは頻繁に若い僧侶を見ます。彼らと話をしようと一度試みましたが、失敗しました。
Commented by kienlen at 2007-06-27 22:00
お坊さんは人と話すのが好きでタイではよく話しかけられましたし、お寺に連れて行ってくれる人もいますが、ラオスは違うのかな。この間チェンマイに行った時もフレンドリーに話してきましたよ。
Commented by ワイン at 2007-06-28 23:05 x
ルアンプラバンのお坊さんたちもひとなつこいです。10代のお坊さんが多いですね。失敗したというのは、私の理解力と英語力の問題なのでしょうが、仏教について質問したことについてなかなか対話が進まなかったのです。で、一般的な世間話に転換しました(^^!)にここには、語学学習の熱心な若いお坊さんが多いです。
by kienlen | 2007-06-25 23:30 | 読み物類 | Comments(3)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
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