『醜い日本の私』を読む

好きな中島義道先生の本を久しぶりに読んだ。面白いんだけど、分からないのは、この人の感覚がそんなに少数派なんだろうかということだ。ご自分では執拗とも思えるくらいに少数だと言い張っているけど、当たり前のことを言っているだけじゃん、としか思えない。でも、私は当たり前の感覚ですと断って、こういう本を書いたって面白くないんだろう。まずは自分をどう位置づけるかから表現行為は始まるんだな。それでどんどんその位置を強化していくことで、ますますこういう本は書けるようになるんだな。この間、ばったり会った友人が「ブログを書き始めた友達が、ブログのネタのために奇怪な行動を取るようになった」みたいなことを言っていたが、それはあり得ることだろうと思う。そしてその奇怪な行動がその人になるんだ。これは、それを商売にしている人のヤラセに通じるんだろうな。商売だと「今日は書けません」「今日は作れません」と放棄するわけにいかないもの。自分の中にネタをもっていれば外にネタを探さなくていいから便利だろうな。中島先生の場合は、ネタのネタが身体の中にあって、何を見てもこのネタのネタを通すので何もかもネタに早代わりしてくれるって感じがする。

1人の著者としては中島先生のは数は読んでいる方だろうと思う。知ったきっかけは『人生を半分降りる』というタイトルに惹かれたというだけのこと。それから『私の嫌いな10の言葉』はことごとく同感。『どうせ死んでしまう』なんて、そのまんまのタイトルのもあったな。その他同感だけど、今回の本でも同感だらけだった。私もずっと思っていたのだが、日本語における呼びかけ語の欠如の問題。先生が例に挙げているのは英語だが、つまり英語は当たり前だけど、日本語で親が子に対して「子供よ」と呼びかけるとシュールになっちゃうね、と言っている。この間タイに行った時に白人男性がタイ語で自分の子供に対して「そっち行っちゃダメ、子供」と呼びかけていて微笑ましかったが、日本語に訳すとヘンだ。日本人として私はこのタイ語の言い回しを知識としては知っているが使いこなせない。私が特に使いこなせないのはこういう呼びかけ語の類である。目下への呼びかけ語の不在を先生は「日本社会の筋金入りのルール」とおっしゃっている。同感です。不便です。円滑なコミュニケーションの障害です。と、このような日常に埋もれそうな疑問に光を当ててくれるので嬉しくなる。
Commented by jun at 2007-03-18 09:50 x
「私は一市民として、私たちが選んでいない教育委員長ですが、卒業式に発言することを許し告辞します。」っていう日本語は変ですか。
私はまだ中島先生の本に出会っていなかったので注目します。
Commented by kienlen at 2007-03-18 22:06
日本語の先生じゃないのでよく分かりませんが、私には意味分かりません。どういう意味ですか?誰が話し手なんでしょうかね。意味を考えずに最短で文章のみ正すなら「ですが」を「ではありますが」でいかがでしょうか。ああ、でもやっぱおかしいかな。
by kienlen | 2007-03-17 19:27 | 読み物類 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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