それでもボクはやってない

あと1週間で終了という今になってやっと行くことができた『それでもボクはやってない』。これは全国民必見であると思って、まず息子に「小遣い上乗せしてやるから見ること」と親命令を下す。「週末は友達と約束してあるから平日に学校休んで行く」と言うから「それはダメである」と言ったら「その程度の熱意か」と言う。中学生が親に向かって「うるさい」発言は問題になるが、このところこっちがそのセリフを言いかける場面が増えた。で、映画であるが、監督が取材に2年だか3年だかかけたというだけのことはあって、素晴らしい出来だと思った。26歳のフリーターの男性が、面接に向かう日の朝の混んだ電車の中で女子中学生を痴漢したという罪で現行犯逮捕され、警察→検察→裁判と進行するだけの単調なお話だが全く退屈しない。しかも最初から無罪であることが明白な設定なので、謎解きの要素は皆無。だから、捜査手続きや裁判所の判断の問題がはっきり浮かび上がるというしくみだ。ただ、どこがけしからんとか誰がいけないという断罪調では一切なくて、点をつなぐとこうなるって話で、実話であっても不思議じゃなく、その点というのがあちこちに散らばっているありふれた点なので、ある意味ひじょうに怖いお話なのだ。このへんの描き方はリアルで終始納得の連続。

被害者がかわいい中学生でなくて風俗の女性だったり醜いオバサンだったらどうだろう、担当刑事があそこまででなければ、担当検事が映画の中のセリフにもあるように「警察の暴走を監視」の役割を果たすことに重きをおく人であれば、裁判官が○○であれば…という風に、見る側のイマジネーションを常時刺激するので、一場面で幾重にも考えさせてくれる。邦画のいいところは、社会背景が分かりやすいことで、この映画も、判決に被害者感情を考慮する方向など最新のテーマを直に反映している。被害者の立場になったら当然かもしれないが、これを突き詰めていくと、国家の権力機構が誰かの代弁をするようになってしまう危険があるし、刑事裁判というものの性格と矛盾するともいえそうだ。今の防犯対策vs監視社会の議論とも似ていると思うけど、私たちがどの方向のリスクを引き受けるかってことだろう。私はどっちかっていうと個人の自由を求めたい。ただしアメリカの武器社会にまで行かない自由…となると…と結構苦しくなったりするのだが、やはり個人がアイツにナンかしてやるゾ次元の怖さと、強力な権力機構が自由に権力をふるえる時の怖さを比較したら、後者の方が怖い。そんな事は歴史をみればとっくに分かっているはずなのに、今の方向性は逆行している、と私は思っているけど、どうなんだろうか。それが、裁判員制度導入による判決への影響にも関係してくることだろう。

2フレーズにしていたんだけど特例ってことで。ここでも盛んに日本の裁判の有罪率が99,9%であることに言及されていたが、この数字が何を意味するかは検討の余地があると思う。それだけ捜査手続きが厳密で確かな証拠がある事件のみ起訴というのであれば誇るべきことではないだろうか。そうじゃない場合はこの映画のようなことになる。私には事実は分からない。ただ、裁判員制度の説明を聞いたときの印象だと、だからここまでの高さにしない、ということが、つまりは捜査を簡略化するようにも解釈でき、ともかく裁判所に判断を仰ごう、しかも素人の「感覚」を入れて、という風に感じられてすごく怖いものがあった。これは犯罪者とされた場合はたまったもんじゃないな、と感じたことは覚えている。誤解であればいいけど。いろんな法律が次々成立している時代であるから、いつどう引っかかっても不思議じゃないってことは意識していた方がいいと思った。
by kienlen | 2007-03-09 21:28 | 映画類 | Comments(0)

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