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個別懇談のシーズンの感想

小さなやつを納品して、振込みなんかも済ませて小学校の個別懇談会へ。懇談会というものがあることを不思議に思う人は日本ではあまりいないと思うが、そういえば昨日もタイからの高校留学生がこぼしていた。つまり彼らの留学先の高校が懇談会のため連日授業が半日で暇でしょうがない、というのだ。それで「タイでも懇談会あるの」と聞いたら「ない」と言う。授業参観もないし運動会も親が来ないし、入学式や卒業式に親が来るってこともフツウはない。親が来るのは何か問題がある時である。地域や学校による差は多少はあるが、いずれにしろ日本のような学校と家庭の緊密な関係はない。私が「小学校は毎月のように授業参観がある」と言うと「親が大変ですね」と言われた。さすがは親を尊敬するのが基本的美徳の国の子である。昨夜、教員をしている友人が、懇談会が終わった打ち上げの飲み会を、夫の店でやっていた。ついでに「なんで懇談会なんかあるんだろう」と聞いてみたが、そんな疑問をもつ方がおかしくて、家庭と学校が常に連携して子供を見守るのが日本の制度なのだ、と大学の教育学部の教員にも諭された。

学校が家庭の問題も受け止めてきたからこそ、かなりの平等が実現した成果は大きいと思う。タイみたいなところだと、日常生活にしろ進路指導にしろ、学校に頼ることができないから、親や当人の資質や資力なんかが直接に子供に影響してしまう。逆に学校にすごく問題があっても表面化しないだろう。これはこれで大問題。しかし、今の日本で先生たちが親の要求を受け止めるのに必死になっている様を見ると、どうも疑問を感じてしまう。多様な要求をすべて受け入れることは不可能なわけであり、これがエスカレートすると拒否になるのは予想がつく。どこで線を引くかについてもっと広く考えるべきじゃないだろうか。そう簡単にいかないにしても、どっかおかしいと感じている人は親にも先生にも多いと思う。まあこれについて考えるのは当事者は現場の対応に忙しいだけだし、どこがやるかってことになる。タイへ行った時に会った日本人たちは一様に日本の学校がいじめにあふれて、少年の殺人が頻発してとんでもないことになっていると言っていた。そこまで言われると日本の学校をかばってしまう自分がいる。報道が責める先として学校は楽だが、それによって失われるものも大きい。これはちょっと怖いことだ。これだって、学校と家庭の関係を振り返ることで少しは違ってくるように思うのだが。もちろん何かと何かの境界線を引くのが容易であるはずはないことは分かるつもりだけど。
by kienlen | 2006-12-22 16:16 | PTA・学校 | Comments(0)

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