知人の訃報とバスの思い出

1日の中に種類の異なる仕事が入るようになっていて、頭の切り替えも必要だが常に移動している状態でもある。アメリカの映画を見ているとこういう場面は多い。もちろん貧困層。工場労働とサービス業とか、仕事をかけもちしてなんとか食えるか食えないか。それでもその合い間に交友関係を維持したり、友達の世話をやくシーンが「ブロークンフラワーズ」にも出てきた。喫茶店で友と話している最中に「あ、次の仕事の時間だ、僕は時間正確なんだ」と言って急ぐ。正確じゃないとクビになるんだろうな、と思わせる場面。それで、本日の自分も最初の仕事場から次のそれまでの間が少なくてあせって歩いていたら、交差点で止まっている路線バスがあった。思わず、ああここがバンコクだったら、と思う。普通バスはドアがないから、渋滞で止まっていればどこでも乗れた。バス停を探さなくても、とにかく止まっているかゆっくり動く程度なら飛び乗る。そのために荷物は持たない。これがバンコク暮らしのコツ。

それで思い出したのが、あの時死ぬか大怪我をしているはずだったという出来事だ。普通バスではドアが閉らないと知らなかった頃、日本のバスのようにドア付近に立ったままでいたら、バスが急発進して私は放り出されるところだった。近くにいた人が体をつかんでくれたから助かっただけだと思う。バンコクのバスがそういうものだと知ってからは注意するようになったが、事故は頻繁だったようで、乗客が乗り終わるまでバスを発進させてはいけない、という注意をラジオでしていたこともあった。若いか、そんなバスに乗る必要のない金持ち以外には残酷な街だった。昨日は、バンコク在住時の知り合いが心臓発作で突然亡くなったという知らせが知人を通じてあった。私より随分と若かったはずだ。生きる、死ぬの境目がどこにあるんだろうかということは、子供を見ていても思う。あの時、ちょっと間違っていれば、という経験は誰にもあるだろう。娘の夜泣きがひどくて辛かった時、眠くて朦朧としながら、眠って欲しいと願いつつ揺ら揺らとゆすって寝かしつけながらミルクをやって、死ぬほどむせた時は最初の予感だった。だから大事にしないといけないと思ったり、どうせ…と思ったり。ちょっと疲れている。それに秋雨の日。
by kienlen | 2006-10-05 17:51 | タイの事と料理 | Comments(0)

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