『イスラーム政治と国際社会』という講演に行く

夕食時に留守が多いので、仕事以外の外出は控えようかとも思ったが、子供達の食事の用意だけして小杉泰さんの講演会に出かけた。イスラム世界の統一性と多様性シリーズの前回がとても良かったので、今回も期待。サービス精神と分かりやすさへの配慮なのか、さらに異文化理解の一般的な話もあって、詰めこみが好みの私としては前半少々物足りなさを感じるペースに思えたが、全体的にはとても良かった。こうして何度か講演を聴くうちに、全然知らないイスラム世界がなんとなく形になってイメージされる。身近なイスラム世界出身者の言動を思って妙に納得したりもする。まずは「平安があなたたちの上にありますように」「そして、あなたたちの上にも平安がありますように」というアラビア語の挨拶をする地域をイスラム世界と呼ぶ、というところから話は始まった。エジプト留学時の体験、言語によって表現される世界観や価値観の違いなども興味深かったが、私が最も面白いと思ったのは、契約を基本にした考えと、相場の相容れなさのくだりだった。

例に挙げられたのはエジプトでのタクシー運転手との交渉だ。メーターを使わないと交渉になるが、日本人が距離による相場で金額を主張するのに対して、相手は「子供が7人いるから20ポンド」などと主張してくるということ。これはタイでもよくあったから、その背景となる考え方には興味がある。私は単純に、払える人が払えるだけ払えばよくて、払えない人はそれなりに、なのだとタイでは思っていた。実際、買い物の交渉の時にも「いくらなら払えるか」と聞かれる。商品の価値とか相場だけで価格を決定するのではなくて、こういう基準もいいな、と私は思ったものだった。今日の話によると、イスラム世界では、神との契約という考えに源があって、その場その場で両者が納得できる契約を結ぶのだということ。なるほど、交渉とはそういうことなのだ。とにかく言えることは、相場と契約という、別次元から主張したのでは、話し合いにならないということだ。それは政治の次元でも同じ。多分今日の話のポイントはそこなのだろうと思った。それで国際間における日本の役割は、喧嘩の当事者は対話できないのだから、二者関係の対話ではなくて、鼎談の一翼として、独自の国際理解の長い歴史をもつ立場から発信すべき、という主張。日本の文化の中に、その国際理解の蓄積を入れるべきだと力説していた。賛成。怪しい伝統ばかりでなく、日本の美しさは多彩なのだと思いたい。
by kienlen | 2006-09-15 22:52 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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