多くの青少年を送出「満蒙開拓」展

標題の展示会を見にいった。信濃教育会主催で創立120周年の記念企画展の一環。満蒙開拓青少年義勇軍に、全国で突出した人数を送り出した当県の負の成果の背景に、この教育団体の影響が大きかったことは知られている。実は今日は2回目の見学だ。前回の後味の悪さの理由をもう1度見て確認するなり払拭するなりして、少し納得できる解釈にたどり着きたいと思った。前回の後味の悪さの一番の原因は、反省の姿勢がこちらに伝わらない、ということに拠る。多分、それに対しては「事実を紹介しているだけ」ということで片付くのは想像できる。しかし特に歴史的な「事実」なるものは、どこから切り取るかによって違った様相を呈するということに、この教育団体に関わる教養ある先生達が思い至らないはずはないから、それを言ったらまやかしだと思うのだが、実は今日、もろにそういう口頭説明をうかがうことになった。まさに絵に描いたような説明を受けた。いわく、満蒙開拓は国策であり、県の役員がトップにいた信濃教育会が国策に加担しないわけにはいかず、当時国策に逆らうなんて国賊、不可能である。よって率先して加担し、先生方は子供を説得して割り当て数達成に努力し、子供の送り出しに最も反対しがちな母親対策にも懸命にならざるを得なかった。その成果が全国一である、という単純な流れだ。

当然先生方個人としては葛藤もあっただろうが、以上の説明に会としての主体性は皆無。国の命令に従うためだけの組織なら、それが必要なくなった今、解散したっていいのではないかと、私などは単純に思う。「すると、今も国策として示されたことには協力するんでしょうか」と聞いたら、それは違うそうだ。協力すべきはして拒否すべきはする、ということ。その決定は会の構成メンバーであるところの先生方がして、会がするわけではないそうだ。だったら先生方が自主的な新たな会を作れば?さらに巨大な疑問。反省から方向転換したっていうんなら、制度と個人につきまとう悩みとか、方向転換の議論も資料として開示して欲しかった。内部の血のにじむような葛藤も。そうすればいくらか納得できる。でも、それは見事に欠落している。このへんも「事実を展示」というお題目には力を持たないということなのだろうか。国策だからやっただけで責任がないというような、この程度の薄っぺらい「事実」を証明するための言い訳展示に見えて仕方がない。それによって多くの子供達が殺された。やるせない。私は形式が美しい国よりも、人間が幸福を感じられる国に住みたい。
by kienlen | 2006-09-08 18:05 | 社会的話題 | Comments(0)

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