母語を外国人に教える難しさ

午前中ちょっとした仕事でちょっと外出。お昼に帰宅すると郵便物がいくつか届いている。仕事した分の口座振込み明細、電話の引き落としのお知らせその他いろいろ。入っては出るという経済活動を細々とまじめに行っている微小な自分が郵便受けの中に棲んでいる、という猛暑の中の幻覚か。その中に振込み用紙同封の請求書があった。日本語講師養成講座の通信教育の1年間延長代金9000円。じきに期限が切れる、暇な毎日だから必死で課題を提出したら終わらせることができるかもしれない、しかしやる気がでない、でも途中で挫折したのでは無意味で無駄、と逡巡しているところに「もったいないですから9000円で1年間延長しませんか」との勧誘電話があり、その対応が悪くなかったこともあって、延長することにした。なかなかニクイ額の提示である。さすがはこの道の大手。せいぜい来年の今頃、さらに9000円の無駄を上乗せしたことを後悔しないようにがんばろう。

でも我ながら自信はない。机上の勉強が嫌いなわけではないし、将来外国に住む時に日本語教師の資格を活かせる可能性があるかもしれないから、という具体的な動機もあるし、勉強時間もあるはずなのに、なんで挫折するのか。第一、通信講座では過去に何度も挫折しているから、今回は覚悟して始めたはずなのだが、なさけない。しかし、自分が苦労して身につけたわけでない母語を外国人に教えるというのは、多分相当に難しいことなのだ。ちょうど、自分が作った造形物なら構造が分かっているから仕組みを説明できるが、誰かが作ったものを分解してからいちいち吟味して理解するのが難しいのと同じことなのだろう。タイ語の表現でも同義語の適切さが分からない時など夫に聞く。答えは「どっちでもいい」がほとんど。当方はその先の微妙なニュアンスの違いが知りたいのだが、これを専門家でもない人に答えろというのが無理なのだ、ということは、日本語教師養成講座を受講してみて、つくずく分かった成果。これだけの事を知るだけなら高すぎるから、なんとかがんばる。
by kienlen | 2006-08-04 13:42 | 言葉 | Comments(0)

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