通訳って何だろう

3日連続遠出の最終日。今日は仕事ではなくて「災害通訳ボランティア養成講座」に参加のため。主催は県の国際チーム。義務でもないし交通費もかかるし時間もかかるし、それに今までの経験からして、この手の講座で面白いことはあまりないから、挫折してしまおうかとも思ったが、申し込んだものをサボるのも気持ちが落ち着かないのでがんばって行く。講演会があってワークショップという、ありがちな進行。でも、ありがちでなかったのは、講演がとても面白かったことだ。阪神淡路大震災で、外国人向けの多言語情報提供をしたことをきっかけに誕生した「多文化共生センター」の現在理事、もともとは代表だった田村太郎さんの講演。現在、やたらに使用されている感のある「多文化共生」という表現は、どうやらここが発祥らしい。自身の経験を、その上の次元で普遍化させ、両者を行き来しながら話してくれる。こういう話こそ講演で聞きたいという内容のものだった。

私が面白いと思ったのは、ここで使われる「通訳」という言葉である。通常、通訳という場合、相手が話したことを別の言語にしてもう一方に伝える役割のことだろうと思うが、今日の話は、災害時に言葉が分かっても混乱するのに、情報を理解することも難しい外国人では一層だから、その相談にのるため、という設定におけるものである。だから誰かが言った内容を伝達するのではなくて、自己判断が強く求められる。私も経験があるが、通訳と言われて行くと、とんでもなくて、当方にお任せ状態。というのは、相手に関する知識がないと、何を聞けばいいのかさえ分からないし、遠慮もある(もちろんケースバイケース)。私自身はどうでもよくて、通訳と言われたらするし、お任せされたらそれなりの対応をする。ただ、困るのは、お任せを通訳と思っている人が結構いるということ。以前の事になるが、通訳という役割で依頼され、自分で余計な口は挟めない類の時、言葉足らずだな、と思ってもそのまま伝える。すると、理解がしにくいらしく、付き添いの日本人が気をきかせて同国人に電話してアドバイスをもらったという。これはこれで問題ないが、その事をもって「通訳し直してもらいました」と言った時には驚いた。これは別問題であろう。通訳とは何かは、いろいろあるらしい。が、自分がどう理解しているかは自覚すべきだと思う。多文化共生って、そう簡単ではないと思うことが常である。
by kienlen | 2006-07-23 23:55 | 言葉 | Comments(0)

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