赤ん坊連れの食事の日タイ比較

今日(もう昨日)は午後に仕事があったので、その仕事現場付近の店でランチをとった。私は初めての店なのだが、結構盛っているようで、お客さんが次々と入ってくる。おじいさんと思しき年齢の男性が、3歳くらいの孫らしき男の子の靴を脱がせて畳の部屋に上げている。まだ数か月くらいの赤ちゃんを抱っこした若い母親と父親らしき家族が入ってくる。仲良さ気で微笑ましい。きょとんと店内を見ている赤ちゃんもかわいい。でも…、赤ちゃん連れの食事はかなり辛いことも分かる。片手で抱いて片手で食事、と思っても、片手にいる赤ん坊が静かでいるわけがない。結局、どっちかの親が赤ちゃんをあやし、別の親が先に食事をかきこんでから抱っこを交代し、残った親が食べる。これでは、家族で食事といっても和気あいあいの楽しさからはほど遠い。

そんな事を考えていたら、タイでの外食を思い出した。キッチンがそのまま外にあると言っても過言ではないようなバンコクなので、私達もしょっちゅう外で食事した。赤ん坊連れは落ち着かないことは確かだが、日本では考えられないことがひとつある。それは従業員が赤ちゃんを抱っこしていてくれること。別にサービスではなくて、自分が抱っこしたいから抱っこする。それを見て同僚も寄ってきて「かわいい」とか「この目は浮気者になる」とか言いながらみんなでワイワイあやす。親はその間にゆっくり食事を楽しむ。日本にいると、幻のような出来事だが、頻繁だった。見方を変えれば、従業員がちゃんと仕事をしていない、といえるかもしれない。でも、子供って、規律やマニュアル通りに行動するわけでも育つわけでもないので、このくらい緩い社会の方が、赤ちゃん、イコール親には優しいといえる。経済合理性からみたら知らないけど。

息子がまだ3か月位の頃、日本に一時帰国した。やっと飛行機から開放されて、上野駅付近で何か食べようとレストランに入った。疲れていたし、荷物は重たいし、赤ん坊はさらに重たいし、荷物のように床に置くこともできない。なんとか席に着いてほっとして注文しようと思ったら、自動販売機で食券を購入せよとのこと。従業員の職務としては正しいのだろう。でも、疲労感いっぱいだったその時は心底「あんまりだ、注文を受けて買ってくれたっていいじゃないか」と思ってしまった。赤ん坊連れの当方の事情に関心を示す従業員はなし。多分、私がタイの状況に慣れすぎていたのだろう。あれからどんどん少子化は進んでいる。まあ、必然でしょうねと思う時、思い出すのはあの一件。何を食べたかも覚えていないのに、あのひんやりした店内の空気だけははっきり覚えている。
Commented by ワイン at 2006-07-23 12:43 x
「自分の領域を確保するための防衛本能?」

方向に迷って交差点で立ち止まり、地図を広げていると、声をかけかれる確率が高いのは、欧米です。
相乗りしたエレベータの中、スーパーのレジ、散歩している公園・・・
見知らぬ者同士の笑顔と挨拶が飛び交う空気は、日本以外の場所に多いように感じます。
日本は、親しくになった人との関係を大切にする割に、知らない他人と自分との距離を完全に確保しますね。
相手の領域に入る(入られること)ことをタブー視するのは、人との距離感のバランスのとり方を知らなかったり、そうしたコツや習慣が小さい頃から培われていないのかもしれない。
日本の箱庭とオープンガーデンとの違いにも、似ています。
階段で、大きな荷物を抱えたり、乳母車を引いている人に手を貸す人の姿も、日本では本当に少ないな、としみじみ思います。
自分のことで精一杯というのも文化性・社会性・民族性ということなのでしょうか。つまりは、教育(社会教育、学校教育、家庭教育)の成果?
Commented by kienlen at 2006-07-24 21:57
同感ですね。同質性の中にいると、自分と他人との距離を測ったりせずに済むのが一因ではないでしょうか。荷物を持ってバンコクのバスに乗ったときに、座席に座っていた人が黙って私の荷物を取った時はびっくりでしたが、そうやって立っている人の荷物をもってやるのが当たり前なのでした。日本によく来るタイ人は「空港で女の人が重たい荷物を持っているのに日本人は誰も手伝わない」と驚いてましたね。それはそれで文化習慣でいいのですが、違いが不思議だなと思います。
by kienlen | 2006-07-23 00:44 | タイの事と料理 | Comments(2)

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