『象を射つ』

ジョージ・オーウエルについての評論を読んでいる時、象を射つへの言及があり、読みたいなと娘に言うと、動物農場に入っているとのことだった。じゃあ読んだことあるのか。しかし覚えていない。それで読んでみた。読むというほどのボリュームではなくて、たったの15ページ。植民地ビルマに、帝国主義イギリスの警察官として赴任していた著者の体験のようだ。どういう体験かというと象を撃つはめになってしまった体験。発情期に象が暴れるというのはタイにいる時に聞いて知っていた。それで観光客が犠牲になることもたまあにあった。で、そういう象がいると連絡があり警察官が象撃ち用の銃を手配して出かけて行く。

彼は象を撃ちたくはない。撃ち方を知らないのもあるが、貴重な象を撃つのは忍びないからでもある。落ち着きを取り戻していれば撃つ必要もないのだ。しかし、象撃ちを見たさに群衆が2千人ほども付いてくる。帝国の白人と現地の黄色い人たち。彼は帝国主義が嫌いなので、警察官でいることももう辞めると決めている。しかし黄色い人たちが支配者の手先に何を望んでいるかは理解している。こう書いている。「白人が圧政者となるとき、彼が破壊するのは、自分自身の自由なのだ」。群衆の期待に応えるよう自分自身が追い込まれていく心理描写がとっても分かりやすい。象が撃たれて死ぬまでがまた悲しい。そして撃った人の気持ちなどまるで眼中にない民衆。こういうことって帝国主義と植民地の関係でなくても対個人でもあるし、体験といっても、相変わらず実に普遍的である。すごい。良かった。

Commented by jun at 2017-01-03 18:40 x
普遍性がありますね。日本が後から意味付けした「アジアの解放の為の日本帝国の植民地政策」による戦争というのは、これに依ると形容矛盾になりますね。最近の研究では日清、日露でも戦争を始める際の布告にはちゃんとその意義が書かれていたのが、泥沼化した先の戦争にはアジアにはそれさえ無かったということです。伝聞なので調べます。でも、大晦日の「朝なま」の録画を観ると竹田某氏は、保守の論客にも苦笑されていました。
Commented by kienlen at 2017-01-04 10:26
> junさん
この小説はすごく短いのですが細部への視線がいいんですよね。ビルマ人を「いっちょう反乱をひき起こしてやろうかという元気のあるものは、ただのひとりもいないくせに、ヨーロッパ人の女がひとりで市場など通ろうものなら、きまって洋服にキンマの嚙み汁を吐きかけるのだ」とか。歴史家にはない自由さは小説ならではですよね。どっちも必要ですけどね。
by kienlen | 2017-01-03 17:31 | 読み物類 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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