ラオスの不発弾が除去されますように

ラオスに大量に残っている不発弾の撤去に、自衛隊OBが乗り出すという記事が、昨日の新聞にあった。私はバンコクにいた時に数回はラオスに行った。当時はまだビザ取得も容易ではなく、入国後の移動も自由ではなくて、首都のビエンチャンから出てはいけないとか、いろいろな規制があった。一度、ルアング・パラバーンという古都に行く機会があった。ビエンチャンから国内線に乗る。ラオスで当時使用されていたのは、旧ソ連製の古い飛行機で、職場の同僚が「出発の時、煙が出てきた」と言っていた。ただでさえ飛行機は嫌いだ。乗りたくないが、仕事だったのでそういうわけにもいかないから覚悟した。ラオスは森林がまだたくさん残っていて、眼下は樹海。しかし、その後、伐採禁止になったタイへ向けて丸太がどんどん輸出されていたから、今、どうなっているのだろう。

その古都のロケーションは素晴らしかった。地形がタイとはまた違って、傾斜地に畑や民家が点在していて、炊事の煙がそこから上がっている。高台に行くと古い町が一望できる。何より感動したのは、川の水が日本のように澄んでいることだった。タイではそういう川に会ったことがなかった。温暖な山間地を理想の住処と思っていたので、ここは理想だ、と感じた。が、問題はアクセスである。いちいち飛行機に乗るのは嫌だ。当時は時間通りに飛ぶこともなくて、首都へ行きたい人は、いつ出るか分からない飛行機を待つのだ。これ以外だと、水路を使う。川辺にいたら、物資や人を積んだ船が着いて、一度はあれに乗りたいと思ったが、川底が見えるようになる乾季も、増水する雨季も、それなりに危険が伴うとのこと。それで、陸路がなぜ使えないのかと思ったら、この不発弾のせいだと、確か、ホテルで出会った日本人に聞いたと記憶している。ベトナム戦争の時にラオスがそれほど使われていたということを、私は知らなかったのだ。タイ国内の道路整備が進んだのも、この戦争と深く関係がある。
by kienlen | 2006-07-01 09:23 | タイの事と料理 | Comments(0)

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