シアター・プノンペン

昨日雨、今日も雨のようだ。昨日は雨足の弱まった隙に自転車で出かけ、お金にはならないが仕事というのを短時間やり、外に出るととても雨が強くなっていたので自転車を置いておける場所まで引っ張り、それから歩いて映画館に行った。カンボジア映画を上映してくれるとはありがたいが、見に行く人はいるんだろうかと心配していたら9人も観客あってびっくりした。それに上映予定をみると見たいものだらけ。長野の映画事情に深く感謝。そんな気持ちで劇場へ。スタートから惹き込まれた。あの南国のお日さまが近くに張り付いているような空気感がものすごく懐かしい。赤いライトと褐色の肌と猥雑な町の様子に入り込んでしまう。母娘関係、父娘関係、若い恋人同士の関係、若い不良仲間関係、父の仕事関係とコネ、抑圧的な女性の立場等々、パーツごとにはありがちな関係。でもカンボジアである。クメールルージュ時代の影響が誰にも影を落としている。日本でいうと主人公は戦後生まれの民主主義に育った女の子で、親世代は戦争を引きずっていると考えるとイメージしやすいが、カンボジアの場合は内戦なので殺した側も殺された側も殺されるはずだったのに生きのびた人も一緒に生きることになる。

これらの人々を結んでいるのはタイトルにある映画館。ちょっとこのへんはニュー・シネマ・パラダイスを思い出させた。こちらは最初見た時に、どうしてそんなに人気なのか分からずもう1度また劇場で見てみたけど、自分には多分映画への愛情がそこまでないんだろうと感じる程度の低い理解度に留まってしまっている。で、こちらのプノンペンの方は、生死の切実さのある中での映画。原題はストーリーそのままに「最後のリール」だったが、色々な意味で最後なのだった。伏線が色々あって物語自体の展開が面白かったのと、それからやはり自分がここまで親をやってくると、状況に共通点がなくたって親の気持ちが分かるなというのを感じ、しんみり泣ける部分もあった。カンボジア語がタイ語と似ているときいているのでそれも気になったけど、いくつかの単語が共通しているのが分かったくらいだった。ขอบคุณは最初の子音が取れて母音から始まるようだ。完全に同じかなと感じたのは「将来」。他にもいくつかあったのでメモっておけば良かったのに迂闊だった。主人公の女性がすごく魅力的だったし、映像がきれいだった。クメールルージュ時代に人口の4分の1が死に、映画監督や俳優はまず殺害の対象になったこと、苦しんでいる人は殺した側にもいること、それでも国を造っていかねば、というメッセージが分かりやすく伝わる。その時代を知らない若い世代の視点なのでカンボジアの歴史について知らない外国人にも分かりやすい。ひとつだけ分からなかったことは、映画の撮影を収容所でしたということになっているように理解したが、それが可能だったという状況説明はなかったように思って疑問が残ってしまった。もっともあれも嘘なら納得できる。私としてはとても好感のもてる映画、ひじょうに良かった。

by kienlen | 2016-09-19 09:16 | 映画類 | Comments(0)

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