アイヒマン・ショー

昨日娘を駅まで送り、家で本を読んでいたら友だちが寄り、彼女が帰った後に夜の映画を見に行った。6時50分からの短めの映画というのは、その後ちょっと一杯やるのにちょうどいい。東京に行った時にどっかの映画館を通りかかったらやっていて、見たいと思ったが、まさかこちらでも上映してくれるとは思わなかったので非常に嬉しい。予告編を見た時点では、結構退屈するかもな、あるいは大げさに描くんだろうかなどと思っていた。アイヒマン裁判を撮影するのに苦労した男たちの物語ということしか分からなかったので、特に期待はしていなかった。しかし退屈などとんでもない。テレビで公開するとはどういうことか、撮影スタッフ自身もあれだけのものを抱えていて葛藤があったこと、記録映像の始まりがこれだったのかとさまざまな感動があった。観客が7人いたのでまあまあの入り。古い映像と今のを重ねるところが何かちょっと苦しかったけど、しょうがないし、大変良かった。

始まりは、1960年にアイヒマンが逃亡先のアルゼンチンでモサドによって捕まるところからで、ハンナ・アーレントと同じだけど、映像的にはあんなセンセーショナルではなく報じただけ。本題の始まりは、裁判を撮影して新しいメディアとして登場間もないテレビで世界中にアイヒマンをホロコーストを報じたいと決めたプロデューサーが、イギリスの赤狩りで仕事を干されていた男を監督にするなどスタッフを集めるところから。法廷にカメラを持ち込む許可を得るまでが大変で、脅迫はくるし、裁判が始まり撮影が始まると撮影者側の思い入れや葛藤が激しくなる。この撮影がなかったらホロコーストの実態の知られ方が違っていたかもしれない、裁判のあり方も違っていたかもしれないと色々考えさせられた。とにかく、記録映像というものの意義を伝えようとしているもので、その意義は充分に感じられる。監督が滞在する安ホテルの女将がすごく良かった。チェコから来た人だった。

by kienlen | 2016-08-16 07:53 | 映画類 | Comments(0)

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