『『罪と罰』を読まない』

これ、前に本屋で見た時に発想が面白いなと思ってちょっと手に取り、しかし買って読むまでには至らず忘れかけていたところ、三浦しをんファンの本読み友だちが最近読んで大絶賛するので、貸しておくれと言ったら快く貸してくれた。4人の作家や翻訳家など、つまり現役で書いている人たちが『罪と罰』を読まずに物語を推理していくという趣向の読書会というか未読会というか。推理を終えた後で、実際に読んでからの感想もあるが、ボリュームは読む前の方にある。そのありがたい友だちによると、この未読会が抱腹絶倒で、特に三浦しをんの知識とか飛ばしっぷりが素晴らしいということだった。で、私はそこまで笑えたわけではないけど、ひとつの要因は読んでしまったことにあるのではないだろうか。どうしても自分が知っていることと比べてしまい、単純に楽しめないという皮肉な弊害を感じた。という意味でも、面白い企画であると思う。皆さん書く側の人なので、心理を図るのも、この章のこの辺りにはこういうことが書いてあるだろうとか、推理が具体的で立場がドストと呼ぶ作家の側。で、推理を進める根拠にするのは、参加者のひとりの岸本佐知子さんという翻訳家が訳した最初と最後のページと、途中で部分的に1ページとか数ページを指定して読んだ内容。こうして調整しながら独自の物語をつくり上げていく。この手法、ひじょうに面白そうで私たちも未読会をやりましょうということになった。

私がまず面白さを感じたのは「読まずに読む」と題した参加者のひとりの吉田篤弘さんという作家のエッセイだった。これがなくていきなり座談会だと印象はかなり違ったと思う。この人の本を、この友人から頼まれてついこの間買ってきたばかりだった。おつかいを頼まれたおかげで名前だけを知った次第。日ごろから本を読むって何なんだということはよく考える。これだけの時間を使っている分、他のことを犠牲にすることになる。自分の場合に犠牲にしたのは家事育児を筆頭にその他色々で、犠牲にしてないのは飲酒。ということを考えながら本編へ。これはやる側は楽しいでしょう、という内容。楽しんでいるのを楽しめるかそうでないかはちょっと見解が分かれそうな感じはする。最後の章が読んでからの感想を語り合う読書会。そうかあと感じるところ多々あり。それにしても思ったのは、どうして名の知れた名作は重厚で読みにくいイメージがあるのかということだった。文学史教育の問題じゃないかというのは友だちとの話。読んでみるとエンタメとしてすごく面白い、ということはこの読書会でも一致していた。というわけで、読むこととか小説についてとか、この本を通じて感じるところは色々あった。




by kienlen | 2016-03-24 11:38 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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