『スプートニクの恋人』

村上春樹のこの本が読書会の課題になったので、北海道旅行に持参して読んだ。そんなこともなければご縁がなかったと思うのでありがたい。村上春樹のを読んだのはいつ以来だろう。タイから戻った直後にアンダーグラウンドを読んで、その後、海辺のカフカを友達に借りて読んだ。その友達は森鴎外の研究者でこちらにいる時はだいぶ親しくしていたのに精神状態がどんどん悪くなり、母校の病院で治療すると言っていなくなった。引っ越してから状態はさらに悪化し、入院もしていた。状態がいいと本が読めるということで「何読んでるの」と聞くと、いつもいつも「村上春樹」と答える。「何がいいのよ」と聞くと「文体」と言って、比喩の一部を電話口で朗読したりする。これも病気の一部なのか不明。もうちょっと別の角度から良さを説明してほしいと言っても、いつも文体ばかり。そういえば文学部出身の人はよく文体と言うような気がするが、気のせいだろうか。

村上春樹がすごく好きというのでも、嫌いというのでもない。読むと面白いと思うけど、かといって次々と読みたいと思うわけではない。どうしてなんだろう、ということを考えながら読んだ。主な登場人物は3人。小説家志望の若いすみれと、すみれを好いている教師のぼく。それからすみれが愛したミュウ。それぞれ孤独。多分それぞれ愛のある人達らしいのに結ばれることはない。それが、タイトルの暗示通り、それぞれの軌道で並行に周っているということらしい。読書会での読み解きによると「輪廻思想のバリエーション」ではないかということだった。なるほど、受けそう。それと、音楽などなど重層的なレトリックを解いていくのを目的にしている人もいるらしいという話もでた。なるほど。高度な小説であることが分かった。そういう趣味のある人にはたまらない楽しさなんだろうということは想像できるが、自分にはそこまで分析できるツールがない。文化レベル低いし。好きでも嫌いでもないという半端さの訳がちょっと分かったような気分。悲しくもある。




by kienlen | 2015-08-25 21:26 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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