いただきもののゴーヤに想う

友だちからゴーヤをもらった。食べたいのに今年は野菜不作でどこからのもらいものもない。すごくありがたい。夫の店に持って行って作ってもらいたいが時間が惜しい。そこにソファでごろごろしている息子が目に入ったので、試しに「ゴーヤ炒め作ったことある」と聞いてみた。「ないよ」との返事。そうかと思って諦めて風呂に入っていたら、豆腐はあるか、と聞くので半分冷蔵庫にあると答えた。次にゴーヤはどこかと聞くのである場所を教えた。風呂から出たらゴーヤチャンプルーができていた。やった。

大変美味しそうに見えた。写真を撮りたかったがその前に娘加えて3人で食べたらあっという間におしまい。大変美味しかった。やっぱ自分の料理ヘタを感じるばかりだ。人のを食べると。彼は生活時間が読めず、食事も勝手にやっているが、どうも彼の作っているものの方が美味しそうなのである。だったら私らの分も作っておいて欲しいものだ。しかし、この年になると失ったものの大きさを感じ入る。何もしてこなかった。料理が嫌いというわけではないし、色々やりたいこともあるが、結局こんな仕事している限り、何となくいつも追い詰められている状態ですっきり感がない。不器用であるというつもりはないが、やはりそうなんだろうか。今さらしょうがないが。息子と娘が一度に家にいる時間なんてもうこの先ないだろうに、この有様、残念。

by kienlen | 2014-09-09 19:55 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

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