イマドキの英語教育論議がこれでいいのかなあ

公立小学校で英語教育が行われるというトピックを、昨日のNHKのクローズアップ現代で取り上げていた。偶然テレビがついていたのと、もともとテレビに集中できないタチなのでしっかり見入ったわけではないが、第一印象としては、ここまで大げさに扱う問題なのかってこと。我と汝の関係が曖昧なタイ語の方が日本人には馴染みやすいので採用するとか、お隣なんだから中国語か韓国語の選択学習を決定、というならテレビにかじりついたと思うが、英語?だから?である。でも番組はマジメだった。すでに実践している所では、得意な子もいる反面苦手な子がでて問題、とか。算数だって体育だって何だって得意な子もいれば苦手な子もいる。恥が生まれる前に始めるべき、という意見もあった。今時の学校及びその周辺地域には恥ずかしげもなく様々な母語を使う人達が暮らしているのだから、言語は多様であることを日常の中で体感する方が恥払拭効果としては期待できるような気もする。もっとも国内の外国人人口構成から予想すれば英語以外の可能性の方が高いから、学校教育的には価値ナシか。

全体としては、コミュニケーションの道具としての英語、という側面が強調されていたようだ。道具は使う主体があってこそだから、使い手は自己責任を伴う意見があって、それを伝えたいという意志があって、相手の考えも知りたい理解したいという姿勢で臨むということだろう。まさか、ここでいうコミュニケーションが挨拶だとか世間話であるはずがないと仮定して。となると、どうもイメージしにくいのは、論理や議論よりは情感や和をもって日本人の美徳とするような面々が、地域や家庭や学校現場だけでなく、権力の中枢にもいるらしいこととの整合性。英語では主張を恐れず、日本語では主張は遠慮しろ、では人格障害にならないだろうか。漠としたコミュニケーション云々より、どんどん外資に開放するから企業内言語が英語になる可能性大なので、最低限英語くらいできないと職に就けないぜ、と明言してくれた方がコミュニケーションの種類が特定できてターゲットが定まってやりやすいと思うけど。
by kienlen | 2006-05-17 20:24 | 言葉 | Comments(0)

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