モンゴルの遊牧と植生の講義を受けた

モンゴルの話を市内のS大学できいた。本日だけの講師は内モンゴル自治区出身で遊牧生態学が専門のN先生。とても興味深いものだった。自分が知らない分野だと何もかも新鮮で刺激になるし、疑問をはさむ知識が皆無なので、とても素直にしみこんでくる。モンゴルで遊牧と植生の関係を実験と聞き取りで調査していることから、そのデータを使いながらの説明。人が家畜を追いながら時間的、空間的に移動する遊牧という生産様式は、草原の維持に適したものであるというのが先生の主張。遊牧を続けているモンゴルに対して、内モンゴルは政策的に定住化が進められ、草原が荒廃。これが黄砂の大量発生にも貢献しているということだ。暑いと40度、寒いとマイナス50度、極端に少ない降水量で乾燥気候のため、農耕には不向きというモンゴルの自然条件で育つのと、温暖な気候でいつも水がある日本で育つのとでは生活様式だけではなくて、人間の基盤みたいなところが違って当然だろう。

モンゴルの暮らしを知らないので、思い出すのはタイで暮らしていた頃の驚きだ。家の周囲にガティンという食べられる植物を植えて生垣にした。桃栗3年柿8年ではないが、木が育つのには年月を要するという思い込みがあったので、大切に育てたいと思ったのに、それは余計なおせっかい。勝手に見る見る大きくなる。油断するとすぐに伸びるので、最初はもったいないと思ったが、とにかく常に切っていなければならない。通りかかる人が自由につまんで食べているのも、気になるどころか、もっともっとやってくれ、である。料理に頻繁に使うレモングラスを植えようとしたら隣から「そんなもの植えたら増えて困るからウチのを自由に使ってくれ」と言われた。冬がないので休息する期間もなく、自然に食糧を提供し続けてくれるのだ。豊かさとはこれか、とつくずく思った。とはいえ、自然環境に異変が起こっているのは、今日のモンゴルの話でも聞かれたが、タイでも、私が住んでいた頃にはくっきりしていた雨季と乾季の変調を一時帰国の際によく聞いた。このような変化の影響を直接受けないのが都市の暮らし。それを豊かと呼ぶことに相変わらず馴染めずにいる自分の半端さがやっかいだ。
Commented by sakamoto at 2006-05-02 01:32 x
以前山の中で暮らした事があって思った。自然の恵みって「ちょうど良い」ってのが無いんじゃないかと。花も葉も実も「もういいってば!」というくらい毎年毎年与えてくれるから。きれいな花だけのアレンジが嘘っぽく思えて、つい自分の作品には木の実や枝や・・って入れちゃうのは
そういうエネルギー感じるもの入れないと、自然の恵みに太刀打ちできないって思ってるのかも・・・。
by kienlen | 2006-05-01 23:32 | タイの事と料理 | Comments(1)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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