ダブルブッキングの際の判断基準変更

明日とあさっての、現場で拘束されるタイプの仕事の打診があり受けた。以前だったら、受けられるかどうか、必ず予定帳を確認しながら答えていたのに、このところ真っ白続きだから見ないで受けた後に、書き込みのため開いたら別のが入っていることに気付いた。記憶力の悪さと不注意を自覚しているので、こと仕事に関しては、こういうことはないつもりだったのに、今のように、仕事なし、でもたまにアリ状態は半端で油断してしまう。それに労働環境としては底辺に組み込まれて身動きできなくなる感覚がヒリヒリするこの頃。女子供に貴重な男はタイ人ときたら、社会的強者は1人もいないから、堂々と弱者顔ができるのだが、強弱意識そのものに疎かったのでそれも慣れていない。田舎で持ち家で親が公務員だったため年金があるという境遇にかろうじて支えられているだけで、病気等のありふれたきっかけで即どうなるか、想像するまでもないお隣さん感覚だ。まず、異様に高い国民健康保険は払えなくなる。見もしないのに口座引き落としになっているNHK受信料なんか絶対に払いたくない。外国人政策が信用できないのは歴史から明らかだから、夫が払っている国民(!)年金もどうしたものか。

結局、先約の所に電話して断ることにする。それは、後のものの方が、やりがいもあってギャラもいいから。条件で選んだら全く迷うことはない。それでも今までは、こういう事態の時は、泣く泣く常識的に先約を優先していたのだが、衣服足りて礼節を知ってこその常識である。外注をどう使うかは職種や企業によって異なるが、どうも、安かろう良かろう、が期待されているようで疑問に思うこともある。安いからとそれに見合った品質でいい業界があるのだろうか。時給を50円下げるから、笑顔を1回減らしていいというマニュアルをバーガーショップが作るわけにもいかないだろう。個人の良心に頼った労働スタイルは、その良心があるうちはいいが、正直者が損をすることが明白になった場合に社会はどうなるのか。今日の判断は、ちょっとした抵抗なのだが、弱い立場の者が中途半端に抵抗して自分に利があるということは、まずあり得ないのだ。
by kienlen | 2006-05-01 19:39 | 仕事関係 | Comments(0)

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