ネズミになれない者にとってのタイ語

久々に、日本語教師養成プログラムの通信教育のテキストを開いた。昨年の夏に申し込み、数回分は楽しくてワクワクで提出したのが、難しくなってついていけなくなって放置、という通信教育の王道をまっしぐら。通信で独学は自分には無理なことは熟知していたので、スクールがあれば行きたいが地方都市の教育機会は極度に限定されていて、しょうがなく通信を申し込んだものだ。裏返せば、この講座への意欲のレベルはそれだけ高いということになる。時間がある今がチャンスなのだが、自分に何が向いていないかへの理解は年齢と共に高まって確信に至り、それを圧して進めるために苦手分野はすっ飛ばすことにした。それで開いたのが『社会言語学』のテキスト。そこに興味深い記述があった。

「言語における性差別分類」という表から導いた結論として、最も性差が大きいのが日本語、次がタイ語、ということ。渦巻いていたわだかまり星雲消散。中国語をちょっと習った時に、1人称が男女の区別なく「我」でいいらしいことに目を見張りそうになったが、タイ語はそういうわけにいかない。日本語同様、意味が通じれば人称代名詞を省略することは多いが、しかし、相手との上下関係などでかなり複雑だ。特に女性。子供や若い女性はへりくだって、私=ヌーという。このヌーというのはネズミの意味である。上下関係は年齢であったり社会的地位だったり、なかなか微妙なようだが、男女間では女性がへりくだるのが一般的。こういうことは知識としては持っていても、実行までのハードルが私の場合は高くて、自分を「ネズミは○○でございます」と言えたためしがないし、ネエサン・ニイサン、オバサン、オジサン等と、タイ語ではごく当たり前の人称代名詞さえ使いこなせない。だから自分で話しながらぎこちないのが分かる。抵抗なく馴染んでいる日本人はいるから、言葉と性格の相性もあるのだろうとよく思う。どうも、関係性や状況で使い分けることの重要性に比重がある言葉というのが苦手なのかもしれない。となると、日本語が母語でなかったら私にとって習得はひじょうに難しかっただろう。
by kienlen | 2006-04-27 13:25 | 言葉 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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