野生が失われることへの不安

バンコクから来た時、息子は4歳だった。帰国直後に、この息子を連れて川辺に行った。ぬかるんだ轍で彼がバランスを失って転んだ時、ラオスとカンボジアに接する県の農村出身の夫がまず発したのが「バンコクみたいな都会にいたから転ぶんだ」。それは私が瞬間的に感じたことと見事に同じだった。これは、あらゆる場所が都市化することへの生理的な嫌悪感をもちつつも、抵抗や拒否するどころかそれを享受する自分への、さらなる嫌悪感が混じった感情が、息子を責めるわけではないのに、つい表出してしまったということだ。私の場合の出発点は、生まれ育った環境である。遊び場といえば裏山か川。小さな集落で子供も少なく、よく1人で山の中に入って行ったものだった。木の実を拾って食べ、古木の根が作った穴に潜んだ。小学校には自分で拾ったスギ枝の薪をストーブ用に、親が作った野菜を給食用に持参。半身雪に埋もれて動けなくなり、幼いながらも観念しかけたこともある。その時、心配して迎えに来たのは親ではなくて祖母だった。

中沢新一の『僕の叔父さん 網野善彦』を読んだ。友人が、読み終えたからと貸してくれたもの。網野さんの本は初心者用が本棚にあるが多分未読。中沢新一も同じ友人から借りたものを読んだことがある程度。歴史学にも宗教学にも暗い浅才で、2人に関する知識もない。それなのになんだか感動でところどころ泣きながら一気に読んだ。息子の転倒の例を出すまでもなく、技術の発達がじょじょに人の身体機能を失わせていることは実感しているが、思考だって野生を失うのだ。それを突く歴史観が生まれた様子が、とっても分かりやすく描かれているし、著者の情熱がゆらゆらと立ち上ってくるのを感じる。こんな豊饒感を寝転がっていただいている自分が情けない。いくらなんでも基本図書で、読まねば、と思いつつ今に至っている『野生の思考』をこれを機に読むことにしよう。
Commented by sakamoto at 2006-04-25 15:01 x
他人の経験は共有できないけど、自分の経験通して共感するものがありました。このようなお話をうちの通信にも、もっともっと掲載してください。
Commented by MCクリスティー at 2006-04-25 21:35 x
だからね、人間、か・ら・だなんですよっっっ!!
Commented by kienlen at 2006-04-26 10:28
大歓迎お2人様、ご訪問ありがとうございす。ドライの間と筋肉の間へご案内です。通信の件は、はい、いかようにもします。からだの方、クリスさんは泳ぎでますますご健勝のことと思います。筋肉描いてますか。
by kienlen | 2006-04-25 14:21 | 読み物類 | Comments(3)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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