13日だけで挫折

今朝からまたA新聞が入ることになった。最初に営業に来たところにしようと密かに思っていたら元のA新聞であった。なくても困らない、と思うように努めたが、そもそもここまで新聞にとらわれること自体が依存だ。息子の小学校の卒業記念文集に親が書く欄があって、子供の文集になんで親が書くのか解せないまま「本があれば生きられる」とだけ書いたところ、よほど恥ずかしかったのか、息子が自分で装飾を施してなるべく見えないようになって印刷されてきた、ということもあったが、そういう活字依存者にとって、新聞の便利さも捨てがたいものがある。まず、読み手が折った通りの形状維持をしてくれる特徴。これは食事しながら読むには最適だ。単行本は汚したくないので食卓には上げたくなく、雑誌や文庫や新書だと、読みたいページを開いてページの両側に重しを載せる手間がかかり、重しの下にキーワードが隠れてしまった場合はそれをよけて読む手間もかかる。こういう作業を行うことで、本来の目的の食事に支障をきたす。

その点新聞だと、好みの大きさに折ってその両面を読んで、それが終わったら反対に折ってさらに両面、という展開が容易だ。お皿を載せることもできる。一つ一つの記事間に関連性はなく、内容把握のために辞書や辞典や特別な知識を動員しなくてもすむので、ながら読みには一番。外に持ち出す場合の利点も多い。軽い、汚れてもいい、読んだら捨てられる、モノを包んだり時には雨具の代わりにもなる。会いたくない人を見たら顔を隠せる。こういう特徴は、見方を変えると、新聞を読むためにわざわざ時間と場所を確保することがもったいないということにつながる。だから、今のように仕事がなくて時間があって、ソファに座って本気で新聞を読むのはなんだか悲しい。でかける用事がめっきり減っているのに、これまでのクセで外出用に読まずにとっておいた新聞が夜にもちこされるともっと悲しい。新聞が今の自分の状況を再確認させてくれている。
by kienlen | 2006-04-14 16:28 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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