今さらながら親

昨日、母の洋服を整理する気分になって実家に行った。父も「それはありがたい」ということでふたりでやったのだが、たいしたことではない。捨てるものを縛るだけに近い。遺品といってもこれだけなのだ。とっても不思議な気がする。少なくともモノとして残ったものはほとんど皆無に等しいとも言える。気持ちというか情熱というか、そういう存在感を感じない。遺品の整理というと、思わず涙が出るとかぐっとくるとか、あるいは恨みの気持ちが高まるとか、何かしら感情の波みたいなものがあるというイメージを抱いていたが、そういうことがない。それはモノの問題じゃなく、母という人がどういう人だったのかを感じさせる、あるいは先方から訴えてくるものが希薄だということだと思う。尊敬する人が親という人はかなりいる。私も色々な人に会う中で、親を尊敬する人ってたくさんいるんだなということを実感している。自分はどうか。とてもそうではない。これは自分の方の問題もあるのだろうと思うと悲しいのだが、正直なところはそうなのだ。酷い目にあったとか、愛情をかけられなかったとか、そういうことはなく、むしろ大事にされてきたところはあると思う。経済的な援助も多大にあった。それをありがたいとは思っている。でも、そのことがまた事をややこしくしているようにも思う。一体彼らは何を目指していたのだろうかということだ。

例えばレストランでもいいし本でもいいが、自分の好みではないけど方針とか熱意は分かる、という場合、私的には違和感がない。単なる好みの違いね、ターゲットの違いね、と思えるから。ところが、何を目指しているのか分からないという場合もたまにある。そういえばこの間、入った店もそうだったな。そういう場で感じるもやもや感は、何らかの形で解消しないと体にまとわりつく感があってすっきりしない。その店に関しては「コンサルか何かの言うこと聞いて、この町には○○がないからやれば、程度の発想でやってるんじゃない」ということで一応片付けた。当たっているかは知らないが自分だけの問題なのでそれでおしまいにできる。そして行かなければいいんだし。親がそういう店のような感じだったらどうだろうか。どこと言って不可があるわけじゃない。サービスが悪いとかじゃない。店内はきれいだった。ものすごくマズイというのでもない。ただ、なぜこうなの?って感じ。私が親に抱いてきた気持ちというのは、反発でもなく同意でもなく「なぜ?」だったように思う。なぜここで反対するのか、なぜここで足ひっぱるのか、なぜの連続。納得できる説明はない。そういう恨みが完全に消失してないことについて友人から「あんたもしつこいね」と言われ、確かになと思った。結局自分が何か落とし前をつけたい性格というだけかも。ただ、自分なりの、なので難しいこととは思ってない。母に対してはそれをしたつもりだった。ところが、母の片付けをしながら父に対しての疑問がふつふつ沸いてきた。それでもやもやしてきた。夕方友人にSOS。とりあえず盛大に飲み食い。今日は幾分すっきりしているが、どうなんだろう。
by kienlen | 2012-05-04 14:18 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

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