更年期迷走中

家族付き合いも親戚付き合いも希薄な方だと感じている。よく思うが、寂しがりやなのに人と形式的に付き合うのは苦手という最悪な性格である。このことは若い頃から自覚しており、どちらかを改善すれば自分に片をつけるのはそう難しいことではないように思っていた。よって、この改善に関しての意識はしてきたつもりなのに、努力が足りなかったのか、読みが甘かったのか、今だに同じ。苦しさの根底はこれなのだ。そしたら昨日友人に「それって、お酒飲んでないからでしょ」と言われた。その時間は午後4時くらいでまだ飲んでなかった。「飲めば大丈夫よ」と言うから「確かにね」と言った。そしてその彼女は「私なんて、酒なしでもどーでもいいやってなれるようになったよ」と言う。なるほど、次はそれをテーマにするか、といっても当面の解決は何もないじゃん。年はとってもそう変わらないもんだ。高校から知っている友人に自分の状況を説明しようと思ったら「分かってる!16歳から知ってる!」と遮られてしまった。だいたい、人が生きるって、これからいかに目を背けるかじゃないかというのも、若い時から感じていたことで、どうもそういう目で人を見てしまうことになる。でも、これってそもそも違う、と、今さら思うことがあるようになった。

父の家に行く機会が以前よりぐっと増え、そこで甥っ子と会う機会もうんと増えた。この間「明日は高校の制服着て○○に行く」と何度も言うから「何しに行くの?何で制服着て行くの?」と聞くと、結局のところ大人からそう言われたからそうするというだけのことで、目的は知らないのだ。これ、心底びっくりした。娘に「理由もなく行き先日時を指定されて納得できる?」と聞くと、いつもそのいとこと一緒な娘は「あの家はいつもそうなの!」と言う。そしてさすがにこのところ、いとこと父親の会話を聞いていて疑問は膨らみっぱなしのようで「何のためにそれをするかが何も見えない。だから無駄ばかりしているように見える」と言うのである。私自身無駄が多いし、生きるって合理的なものとも思ってないので「そうは言ってもね」と説明を試みるが「そういう意味じゃない」と否定。「だって兄ちゃんだって何を目指しているか分からないじゃない」と言うと「分かる。兄ちゃんは遊びたいだけ」と断言されると「はい、なるほど、その通り」。子供が小さい時からいちいち説明している自分に友人から「理屈で子育てしていると相手が大きくなった時に言うことを聞かなくなるから理屈なしで躾けるべきだ」みたいに言われた時は衝撃だった。自分の理屈が通じなくなったら子供も成長したということで嬉しいじゃないか。ただ、説明って、つまりは先を前提にした上で少々バックする面は大きいから、現場感が薄れるという面も出てくるのかもしれない。これが問題かもしれないと思うこともあるが、今さら変われないし。いや、変われるかも。
by kienlen | 2012-05-03 09:55 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
カレンダー