講座「明治日本の台頭-帝国以前」

地元企業のメセナ活動で行っている教養講座の今年の統一テーマは「近代日本の動揺-伊藤博文から東條英機まで」というもの。これは毎月欠かさず聴きたいものだと、知った時に思った。毎年興味深いテーマと講師でひじょうにいいのだけど、金曜日の午後6時からという時間帯は結構厳しく、外出が続く週などはつい挫折してしまっていたが今年は行くぞと決心して初回の昨日のに参加。たった200円で充実した講義を聴くことができるなんて素晴らしい。初回のテーマは標題の通りで、講師は東京大学の三谷博先生。専門は幕末だが、と断わりがあった上でのお話。まず日本という国の世界における位置説明があった。ネット上で公表されている地図を使ったもので、土地面積や人口、富という項目ごとの比率でもって国の大きさを表示する。すると、人口で日本なんて結構太っていることが分かるというわけだ。アメリカは人口比では大きくないが富の項目になると太る。そういう具合になかなか面白い地図で面白い解説が導入だった。軍事力とか識字人口とか森林面積などという項目もあった。

面白い、というか、母の死でずっしりと実感したことと重なるコメントがあった。何か気になっていることがあると、どうしてもそういう角度から物事を捉えがちになるのはしょうがない。それは、無条件に親を受け入れるということについてだ。戦前はこう教育されたはずで、戦前の教育を受けた人と話しているといかにこの教育の影響が強いかを感じる。翻って自分らの世代。戦後民主主義教育の時代。講師が「親の言うことを聞くのが社会秩序の基本」と言い切った時、はあ、なるほどと思った。で、昨日の講義の中でこの部分への言及がどういう文脈の中かというと、識字率である。実証できないというお断り付きで、識字率が高まると社会不安になるという論があるということで、識字率が高まると親の言うことを聞かなくなり・・・という仮説。それで母との関係だが、多分自死でなければ考える方向性は異なったと思うが、そこに至る過程というのは自分として想像しないわけにいかない。ギリギリ昭和一桁。自分の子に親の言うことは絶対とは教えるには確固たる自信がない。自分自身は、親からは多分親は絶対で、学校では半端な世代ということになるのだろうか。こんな点にこだわる余裕はなく講義の方はどんどん進み、東アジアで後発国だった日本がどうして明治期に西洋的帝国になったのかを検証しつつ、すでに時代は大きく変化していることまで。面白かった。
by kienlen | 2012-04-14 10:01 | 出来事 | Comments(0)

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